第五節
**一九六二年十一月二十三日 エール峠を発つ前の記録**
峠を離れる朝は、谷や浜と違って、いかにも何もなかったような顔をする。
夜ごとに旅人を惑わせた石垣も、昼にはただ崩れた境にすぎず、石標も、濡れて冷たいだけの白い柱へ戻る。
余分な灯りも、道を外させる影も、朝の光の下では一つも残らない。
だからこそ、残るのは地面と石のほうの記録だけである。
私は発つ前に、鞍部から西斜面の旧道外れまでをもう一度歩き、ここ数夜に見たものを朝の線へ戻して確かめた。
石垣沿いの銀白色の鱗片は、霜が溶けるにつれていくらか目立たなくなった。
だが、消えはしない。
草先と石粉の上に、前日までと同じ高さで細く残っている。
排水溝の石口の前には、小さな足跡が新しく二つ増えていた。
大きいものと小さいものが一つずつで、どちらも石口を正面からではなく、わずかに斜めから使っている。
正面へ立つと道側から見えやすいのだろう。
低い隠れ場を使うにしても、向きまで選んでいるらしかった。
倒れた道標の裏では、前夜の固定灯のすすけた跡が残っていた。
私はそれを見て、自分のやり方が少し子どもじみていたことを認めざるを得なかった。
観察のための仕掛けは、時に対象の輪郭を浮かせる。
だが、仕掛けを増やしすぎると、今度はこちらの作為のほうが記録へ混じりはじめる。
この峠で必要だったのは、灯りをいくつ置くかではなく、石の縁と草の高さに何が繰り返し現れるかを押さえることだった。
その点で言えば、昨夜までの観測で十分なものは得られたと思う。
宿へ戻る前に、私は古い馬方へ礼を言った。
彼は相変わらず多くは喋らなかったが、
「馬が嫌がるなら、道のほうが間違っていると思え」
と言った。
面白い言い方だった。
人は自分の見えたもののせいで道を外す。
馬は、見えたものではなく、道の脇の気配で足を鈍らせる。
同じ峠でも、何を頼りにしているかが違う。
この遠征で私が得たものの一つは、その違いだったかもしれない。
宿の卓で最後の整理をすると、エール峠で確かめられたことは、次のようにまとめられた。
エール峠で“余分な灯り”または“もう一人の旅人”として語られてきた現象は、霧や疲労のみでは説明しにくく、石垣・石標・排水溝石口などの低い隠れ場を反復利用する小型幻獣候補の関与を強く疑わせる。
対象は銀白色の鱗片状物質を体表へ持ち、旅人の灯火を特定の角度で返すことで、低い影と結びついた旅人様錯視を生じさせる。
少なくとも大小二種の個体が同じ帯を利用しているらしいが、強い錯視を作るのはより大きく反射の強い個体である可能性が高い。
したがって当地の進路逸脱事例は、単なる視覚疲労ではなく、峠道の細い縁を通る小型幻獣の移動と、人間の灯火の重なりによって生じると見てよい。
ただし、対象が旅人を積極的に誘導しているのか、それとも単に自身の通路と旅路が重なった結果にすぎないのかは、なお保留すべきである。
私は見出しを少し迷った末、
**返灯獣(仮)**
とだけ書いた。
良い名とは思わない。
だが、峠で見たものの中心は、発光でも幻術でもなく、返してくる灯りだった。
そこに絞るなら、このくらいの不器用な名でも足りるだろうと思った。
エール峠の記録は、ここでいったん閉じる。
再訪するなら雪の出る前後がよいはずだ。
積雪が浅ければ、足跡と通路は今よりはっきりするだろうし、逆に深くなればこの帯自体が使われなくなるかもしれない。
また、春の湿りが強い時期に同じ返りが出るかどうかも、本当は見ておきたい。
それでも、今の段階で一つだけ確かなことはある。
この峠の話は、旅人の弱さだけから生まれたものではない。
石の縁を低く使う小さな生きものがいて、その体表と動きが、人間の見え方の曖昧なところへちょうどはまり込む。
峠の“余分な旅人”とは、おそらくそういうものなのだろう。
峠を下りながら振り返ると、石標は昼の光を受けて静かに立っていた。
昨夜まであれほど人間らしく見えた余分な灯りも、今はどこにもない。
道はただ一本で、外れた草地も、崩れた石垣も、すべて最初から見分けがつくように思える。
峠はいつもそうだ。
朝には単純になり、夜にだけ人を試す。
その夜のほうに、小さな生きものがひっそり乗っているのだと分かっただけでも、この往復としては十分だった。
### 一九八三年春 整理のための短い注記
この遠征では、私は現象を追いすぎるとすぐ道を外す、という単純なことを身をもって覚えている。
若い頃の記録らしく、灯りの増え方や見え方そのものに気を取られすぎているが、そのぶん、石垣の縁や草の高さへ視線が落ちていく過程はそのまま残っている。
いま同じ峠へ入るなら、私はもっと早い段階で、旅人の証言と道の脇の利用帯とを分けて図へ置くだろう。
また、この調査はラーデン谷のように数年後の再調査を前提とするほどの不足は残していない。
季節差の確認は望ましいとしても、対象の核となる行動は、この遠征の範囲で一応まとまっている。
若い頃の手記の中では、比較的きれいに一度で収まった例として扱ってよいと思う。




