第六節
**一九六一年十月七日 ラーデン谷を発つ前の記録**
朝の空地は、夜よりはるかに多くを残していた。
人が見ようとして見損ねたものは、案外その場にきちんと残る。
火を潰した灰の位置、草の倒れ方、袋を置いた跡、そして去る順に乱れた土。
夜のあいだは意味ばかりが先に立つが、朝になると、残るのは手順である。
私は早くから尾根下の空地へ戻り、昨夜の動きが地面にどう書かれているかを確かめた。
火床は思ったより小さかった。
掌を二つ並べたほどの窪みに、細い灰と焦げた枝先があるだけで、焚火と呼ぶにはあまりに控えめである。
火を保つというより、火種を確かめるための場に見えた。
その火床のまわりに、足跡が放射ではなく半円に並んでいる。
一番大きい跡が火の正面、中くらいの二つが左右、小さい跡は火から少し遠く、草の縁へ寄っていた。
昨夜見た位置関係とよく合う。
火を囲んで雑然と集まるのでなく、それぞれが立つ場所を持っていたのだろう。
さらに確かだったのは、物を置いた跡である。
中央の薄い地面に、底の平たい袋か籠を一度置いたような圧痕が二つ残っていた。
一つは小さい。
もう一つはやや大きく、その縁に、乾いた木の実の殻と薄い土が混じっている。
私はそこを見て、村から持ち去られた根菜だけでなく、沢筋や尾根で得たものをここへ一度集め、分けるか運び直すかしている可能性を強く感じた。
谷の中の被害は点々として見えるが、相手の側には相手なりの“まとめる場所”があるのかもしれない。
空地の南側、沢へ下る窪みの入り口には、昨夜より新しい滑り跡が残っていた。
ただの逃走跡ではない。
前へ飛ぶような乱れでなく、低い姿勢のまま、決まった線へ重みが連続している。
大きい跡が先に入り、その上を中くらいの二つが追い、小さい跡は最後に浅く重なる。
私はそれを見て、昨夜の離脱が混乱ではなく、少なくとも身体に覚えた順で行われたのだと考えた。
火を潰すこと、位置を崩すこと、暗がりへ戻ること。
それぞれが何度も反復されているからこそ、あの短さでも乱れなかったのだろう。
沢筋へ下りると、前日に見た卵殻の近くに、新しく割られた堅果の殻が増えていた。
火床のある空地と、採集の出る沢筋が、一晩のうちに続けて使われていることになる。
もしそうなら、谷の対象は単に一箇所へ留まるのでなく、
**村寄りで得るもの、谷の中で得るもの、尾根で運ぶもの**
を、それぞれ別の場所で扱っている。
この時点で、私はようやく最初の書類の「小規模集落被害」という言い方に、かなり不満を覚え始めていた。
被害は確かにある。
だが、起きていることの中心は、被害そのものではなく、人間の住む幅のすぐ外側に、別の小さな生活の線があることのほうではないかと思えたからである。
昼過ぎ、私は村役のベッカーへ昨夜の空地のことを話した。
彼は私の記した足跡の位置と火床の図を見て、しばらく黙っていたが、やがて言った。
「先生はやっと、畑より向こうを見るようになった」
私はその言い方に少し腹を立てた。
若い者は、自分が既に十分見ていると思いたがる。
私はおそらく、そういう顔をしたのだろう。
だが老人はそれ以上余計なことは言わず、
「谷の者は、盗られたものからしか話せん」
とだけ付け加えた。
その一言のほうが、あとになって長く残った。
確かに、村の者にとって大事なのは、自分の鶏や蕪が減ったことだ。
相手の生活がどれほどまとまっていようと、それはまず被害の側からしか見えない。
私はそこへ、別の側から線を引こうとしている。
その違いを、ようやく少しだけ自覚した。
この遠征では、結局、直接の接触には至らなかった。
火の周りの影は二度見た。
足跡、編み屑、袋の圧痕、卵殻、堅果殻、細い切り枝も拾った。
だが顔立ちや目の位置、体表の色までは、最後までつかめなかった。
言葉に近い発声を聞いたとも書けない。
聞いたのは位置を保つための短い音だけである。
そのため、この段階で彼らをどこまで“先住民亜人”として扱うべきかについては、私は最後まで少し迷っていた。
火と運搬具と作業分担だけで、人に近い社会を言い立てるのは早すぎる。
一方で、それらを持ちながら単なる害獣の語へ戻すことも、もはや無理だった。
ラーデン谷を発つ前の整理として、私はノートへこうまとめた。
**ラーデン谷で“ゴブリン”と呼ばれていた対象は、単独の夜行害獣ではなく、少なくとも複数個体が体格差を伴って反復的に谷を利用する一単位として見るべきである。
利用地点は、村外れの農具小屋、焼畑跡、炭焼き小屋跡、沢筋、尾根下の古道沿い空地に分かれ、各地点で根菜・木の実・卵・小動物など扱う対象が異なる。
火の使用は短時間かつ低位で、焚火というより火種の保持・確認・移送に近い。
編み紐・袋状運搬具・切り揃えた細枝・位置確認の短音から、道具使用と相互行動が明らかである。
ただし、生活単位の性質(家族・齢差集団・臨時集合など)、言語の有無、恒常的居住の形については未確定であり、現段階で人間社会に準ずる集団と断定することは避ける。
一方で、村の被害報告だけを基準に“害”の語で括ることも適当ではない。
本対象は、人間の住む帯の外縁を、明らかに独自の手順で使っている。**
私はこの遠征の見出しを、出発前には単純に**「ゴブリン調査」**と書いていた。
だが村を離れる時には、その書き方に少し迷いが生まれていた。
ゴブリンという地方呼称を捨てる理由はない。
現地の人間も領主代行も大学も、その名でしかこれを結んでいないからである。
ただ、その名が指している中身は、私が谷へ入る前に思っていたより、ずっと細かく、ずっと土地の都合に縛られていた。
馬を引いて谷を下りる途中、焼畑跡の明るい斜面が一度だけ見えた。
昼のそこには火も影もない。
ただ草が薄く、古い仕事の痕だけが残っている。
夜のことを知らなければ、あそこを何かの生活の場と見抜くのは難しいだろう。
ラーデン谷で最初に学んだのは、その点だったのかもしれない。
人の住む場所のすぐ外にあるものほど、昼には見えず、被害の形でしか語られない。
それを逆から辿るのが、私の仕事なのだろうと思った。
### 一九八三年春 整理のための短い注記
この遠征の記録は、若い頃の私が最初に「被害報告」と「相手の生活」を別のものとして見始めた例として残しておく価値がある。
一方で、当時の私はまだ、火と道具使用と体格差を見た時点で、そこへ社会の形を急いで読もうとしている。
慎重さがないわけではないが、保留の置き方はまだ硬い。
いま同じ谷へ入るなら、私はまず、人間側の損失の語りと、谷の中の利用地図とを、最初から別々に作るだろう。
また、この時のラーデン谷は、これで終わったわけではない。
記録の上でも、私はこの遠征だけでは足りないと感じていた。
その不足が、のちに数年置いてもう一度この谷へ戻る理由になる。
したがって本章は、理解の完了ではなく、むしろ最初の見方の癖が露わになった調査として読むべきだと思う。




