第一節
**一九六一年十月二日 北東辺境、ラーデン谷入口**
ラーデン谷へ入る道は、街道から外れるとすぐ細くなった。
荷馬車が二台並ぶ余地もなく、痩せた川に沿って石と泥のあいだを曲がりながら上がっていく。
左右の斜面は思ったより近く、上ではもう落葉が始まっていた。
人の谷ではあるが、人の住める幅は狭い。
畑と家畜小屋と薪置き場だけが谷底へ細く貼りつき、その上はすぐ林と伐採跡へ変わる。
こういう土地では、畑の縁から先にいるものは、すぐ一つの名前で呼ばれる。
今回大学から渡された書類には、
**「北東辺境における小規模集落被害と夜間火光現象の実地確認」**
とある。
谷筋の農具小屋が荒らされ、鶏や根菜が盗まれ、夜になると林縁に低い火が見える。
現地ではそれをゴブリンの仕業として扱い、領主代行の側からも確認の要請が来ているという。
火を扱う集団であれば、被害の有無だけでなく、生活圏と反復の仕方を見ておく必要がある。
少なくとも、書類を読んだ段階ではそのように考えた。
谷の入口の村で、領主代行の使いと村役の老人に迎えられた。
使いの男はよく喋った。
納屋の板が外されていた、干し籠の縄が切られていた、鶏の首が落ちていた、芋が抜かれていた、夜には赤い火が斜面を動いた。
そして、そのどれもを疑いなく「ゴブリンの癖」と呼んだ。
一方、村役の老人はほとんど口を挟まない。
私が「見たのは何人くらいか」と訊いた時にだけ、
「見た者はみな違うことを言う」
と短く答えた。
その返答はいくらか煩わしかったが、こういう食い違いがある土地のほうが、かえって話を急がずに済むこともある。
その日のうちに、村外れの農具小屋を見せてもらった。
板戸の下が外れ、干した根菜の束が半分なくなっている。
土間には藁が散り、縄籠が倒れ、泥のついた藁紐が足元へ引きずられていた。
荒らされてはいる。
だが、怒った獣が暴れたというより、急いで中を探ったような散り方だった。
燻製肉には手がついていない。
芋と蕪、それに乾かした根ばかりが減っている。
食い荒らしというには選び方がある。
土間の泥には、乾きかけた足跡がいくつか残っていた。
靴ではない。
裸足に近いが、人間の子どもの足とも少し違う。
指が短く開き、踵が浅い。
大きさは小さいが、歩幅はその割に長い。
私はしゃがみ込み、紙へおおよその輪郭を写した。
家畜でも犬でもない。
少なくとも、二足で出入りしたものがいることだけは確かだった。
村役の老人は、足跡を見ているあいだも何も言わなかった。
ただ私が立ち上がると、
「明日、上の村まで行くなら案内する」
と言った。
私はそれを受けた。
被害が谷の下だけに限られているなら、足跡や盗まれた物だけで話は終わる。
だが、夜の火が本当に上手の林縁へ出るなら、見なければならないのはむしろそちらだった。
夕方、村の外れから谷を見上げると、焼畑跡らしい明るい斜面が二つほど見えた。
そのさらに上には、使われなくなった炭焼き小屋の黒い影もあるという。
人の手が一度入って、そのあと半分だけ放された土地は、たいてい人間以外にも使いやすい。
伐り残し、土の柔らかい帯、崩れた小屋、乾いた薪、畑からこぼれたもの。
谷の縁にいるものがそこへ寄るのは不思議ではない。
問題は、それが単に人間の残したものへ寄っているだけなのか、もっとまとまった生活圏を持つのか、という点だった。
宿へ戻る前に、私は谷の入口の川沿いを少し歩いた。
川原には新しい足跡はなかったが、切株の横で、草繊維のより紐の切れ端を一つ見つけた。
細く、粗く、樹皮とも羊毛ともつかぬものが混じっている。
子どもの手遊びにも見えるし、何かを縛った実用品にも見える。
人間の村から流れたとも考えられる。
ただ、それが納屋の縄と同じ類の太さではなかったことは記録しておいた。
小さなものを括るための紐なら、このくらいが自然だった。
夜、宿の卓でノートを開き、谷の入口の村、農具小屋、足跡、紐の切れ端を一つの図へ落とした。
いまのところ、見えているのは被害だけで、姿も声もまだない。
それでも、ここで起きていることを「夜に畑を荒らす獣害」の一語で済ませるのは早い気がした。
足跡の形、盗るものの選び方、縄の切れ方、そのどれもに、ただ壊すだけではない手順がある。
その晩の記録には、こう残した。
**谷入口の被害は実在。
ただし、散乱の仕方・持ち去る物の偏り・二足の足跡から見て、単純な獣害として扱うのは難しい。
火光現象を確認するには至らず。
明日は第二村上手の焼畑跡と炭焼き小屋跡を見て、被害地と林縁とのあいだに反復する線があるかを確かめる。**
谷は夜になると早く暗くなる。
外では川の音だけが続いていた。
火はまだ見ていない。
だが、翌日見るべき場所はだいぶ絞れたつもりでいた。




