第二節
**一九八二年七月四日 リュネ入江、北岩棚の干潮洞にて**
一度、岩棚の縁へ半身だけ現れるものを見ると、翌朝にはどうしても「洞の中に何があるか」を見たくなる。
これは良い癖とは言えない。
見えた個体の直後に、その退いた先をすぐ確かめたくなるのは、観察者の側のせっかちさであることが多い。
しかも海辺では、潮がそれをさらに急かす。
今見なければ満ちる。
今入らねば跡が消える。
そう考え始めると、地形そのものへの慎重さが少しずつ薄れる。
私はそれを承知で、朝の低潮のあいだだけ、北の切れ目の奥を見に入ることにした。
夜のうちに見た返り音の出方から考えると、対象は切れ目そのものに棲んでいるというより、その奥にある短い洞と外側の潮だまりとを、状況で使い分けているように思われた。
もしそうなら、洞の奥に大きな巣があるというより、むしろ休止のための浅い棚か、魚や貝を処理する暗がりがあるだけかもしれない。
村の者が「歌っている」と言うのも、洞に棲むからというより、そこを使う時にだけ声が人間的に返るのだろう。
今朝の潮はよく引いた。
見張り台の残骸から北の切れ目へ降りると、昨夜は水に隠れていた石灰の段がいくつも露出している。
白い岩のあいだに黒い水が残り、そこへ小魚が細く溜まる。
歩ける場所は多くなったが、そのぶん油断もしやすい。
乾いて見える岩でも、表面だけぬめっていることがある。
私は杖で先を確かめながら進んだが、それでも途中で一度足を滑らせ、片手をついて止まった。
大したことではない。
だが、こういう時に持つ嫌な冷たさは、海では山より長く残る。
洞は思ったより浅かった。
奥へ長く続く穴ではなく、岩棚の下に半ばえぐれた低い空間で、満潮時には半分ほどまで水が入るらしい。
人が身を屈めて入れる程度の高さしかない。
したがって、ここを主要な棲み処とみなすのは難しそうだった。
それでも、使われている形跡はあった。
奥の乾いた棚に、魚鱗がかなりまとまって残り、貝殻も何枚か割れている。
殻の割れ方は昨日見た潮だまりのものとよく似ていた。
一点を強く打つのではなく、縁を薄く滑らせて剥ぐような割れ方である。
私はその場で二、三枚を拾い、角度と欠けの方向を図へ写した。
さらに面白かったのは、水際の痕である。
這い跡、と最初は思った。
だが蛇のように連続した線ではない。
濡れた石の上に、左右一対の浅い支持痕が交互に並び、そのあいだを短い腹面のこすれが繋いでいる。
魚の跳ね跡でもなければ、鳥の足跡でもない。
前方を支える器官が二つあり、それを岩へ置きながら、後半身は水か、あるいは水際ぎりぎりに残して動いているように見えた。
昨夜、岩棚へ「片肘をつく」ように見えた姿勢が、少しだけ具体の形を持ち始めた。
ただし、そこから先を想像で埋めるのは危険だった。
人の上半身めいたものを見たあとでは、誰でも前肢を腕に、支持痕を手跡に見たくなる。
私はそうならぬよう、距離と幅と深さだけを測った。
支持痕は思ったより広い。
しかも先端に、指とも鰭条ともつかぬ短い分かれがある。
陸上の獣ほど独立しておらず、魚の鰭ほど一枚でもない。
この曖昧さが、沿岸の伝承を長く人型へ引っぱってきたのだろう。
人間は、自分の知らない構造を見ると、既知の形へ一番近いところから順に名前を貼る。
洞の奥で、もう一つ気になるものがあった。
天井の低い部分の石灰面が、ところどころ黒く磨かれているのである。
煙ではない。
火の跡もない。
濡れて光るだけとも違う。
ちょうど、濡れた毛か皮膜のあるものが、繰り返しそこへ触れてきたような艶だった。
高さは私の胸ほどで、昨夜見た対象が半身を起こしたなら、ちょうど頭部の後ろか肩のあたりが当たりうる。
洞が単なる通り道ではなく、姿勢を変える場所として使われている可能性があった。
潮が最も引いた頃、私は洞を出て、その外側の潮だまり列を見て回った。
魚はいる。
だが大きくない。
細い銀色の群れが、石と石のあいだを時々まとめて向きを変える。
そこへ、甲殻類の殻と、小型の烏賊らしい柔らかい残渣が少し混じる。
魚食性を主としつつ、潮だまりへ閉じ込められたものは幅広く取っているのかもしれない。
いわゆる「人魚の歌で船人を誘う」種よりは、ずっと現実的で、地味な沿岸捕食者に見える。
ただ、地味であることと、誤認されにくいことは別だった。
むしろ地味なものほど、夜の潮面と反響の中では奇妙な輪郭を持つ。
昼前、浜へ戻る途中で、村の若い漁師に呼び止められた。
昨夜、舟から声を出したのは彼だったらしい。
私はその時刻と、実際にどう呼んだのかを確かめた。
彼は少し照れくさそうに、
「歌ったわけじゃありません。ただ、石に寄るなよって、浜へ向けて怒鳴っただけです」
と言った。
そのあとで、自分の声に似た返りが北の切れ目から来たので、沖側ではなく入江の内側へ誰かいると思ってしまったのだという。
これはかなり重要だった。
海で「呼ばれた」と語る話の中身が、誘惑ではなく、応答の誤認であることが、これで一つ具体になったからである。
午後は宿で記録を整理し、夕方から再び北の切れ目を見た。
今夜は誰にも声を出させず、潮が上げる前後で、音の返りと魚群の動きだけを先に見ようと決めていた。
昨日のように人の声に対する返りを待つと、どうしても「歌」に話が寄りすぎる。
対象が本当に声を出しているとしても、それが人の声に似るのは地形が手伝っているからだろう。
ならば、声そのものより、声がなくても崩れる魚の線のほうが先に来るはずである。
この晩は、それがよく分かった。
潮が上げ始めてしばらくしたころ、切れ目の内側の小魚が、一度だけ急に外へ散った。
海鳥は来ていない。
波も穏やかである。
その直後、洞の奥から低い擦れ音がし、少し遅れて、昨夜と同じ高さの短い返りが来た。
私はその順序を、かなり重く見た。
少なくとも一部の「歌」は、対象の発声そのものより、魚の散り、水の動き、洞の反響がまとめて人に聞こえる結果なのだろう。
もっとも、その時に姿が出なかったことも書いておくべきだ。
音は先に来た。
だが、個体はついに岩棚へ現れなかった。
海辺ではこういう空振りも珍しくない。
満足ではないが、条件の切り分けとしては悪くなかった。
手帳へは、こう記した。
**北の干潮洞は主要な棲み処というより、潮位に応じた短時間の休止・処理場として使われている可能性が高い。
魚鱗、貝殻、軟体動物残渣、支持痕、洞内の高所擦れは、昨夜視認した沿岸幻獣候補と矛盾しない。
“人魚の歌”の少なくとも一部は、対象の短い発声に加え、魚群散開、水音、洞の反響が重なった音響誤認とみるほうが自然である。
姿勢の一部が人型に見えること、後半身が常に水側へ残ることが、人魚伝承の中心にあると考えられる。**
ここまでくれば、リュネ入江の話はだいぶ形を持ち始めていた。
美女でも歌姫でもない。
だが、村が人魚と呼ぶ理由はたしかにある。
沿岸の伝承とは、おそらくそういうものなのだろう。
本体は海の生きものの理屈に従っている。
人間はその輪郭のうち、自分に似たところだけを長く覚える。




