第一節
**一九八二年七月三日 南岸リュネ入江、マルティエ浜着**
海辺の話は、声から腐ることがある。
姿の話なら、まだ土地の形に縛られる。あの岩にいた、あの棚へ消えた、あの潮だまりの向こうを横切った。そういう言い方には、少なくとも場所が残る。
だが声は違う。
一度「歌っていた」と言われれば、あとは誰もが自分の知っている歌へ寄せてしまう。
人の声だった、女の声だった、子守歌に似ていた、舟歌の返しだった。
そうして話が柔らかく膨らむあいだに、肝心の地形や潮の時刻や、音が返ってきた方向は、驚くほどきれいに消えていく。
沿岸の幻獣を追う時、私がまず気をつけるのはその点である。
人は見たものを誇張するが、聞いたものはもっと簡単に作り変える。
リュネ入江は、石灰質の白い崖が浅く海へ回り込み、内側にだけ静かな水を溜める、小さな半月形の浜だった。
外洋に面した海岸線は荒いのに、この入江だけは波が穏やかで、干潮時には左右の岩棚のあいだに浅い潮だまりが帯のように残る。
浜の奥には小さな漁村があり、古い船着き場の石段と、半ば崩れた見張り台の土台がまだ使われぬまま残っていた。
村そのものは大きくない。
舟を出す者も少なく、魚より貝と海藻で暮らしを繋いでいるような土地である。
そういう場所にかぎって、海の話だけは妙に豊かだ。
大学からの依頼名目は、
**「沿岸部における夜間音響誤認および小型漁船の接岸判断錯誤の調査」**
というものだった。
つまり、夜の入り江で声や音の方向を取り違え、舟が不必要に寄りすぎたり、逆に遠回りしたりする例が続いているから見てこい、ということである。
実際、近年この入江では、夜の帰り舟が「呼ばれた」と言って岩棚へ寄り、危うく座礁しかけたことが何度かあるらしい。
大学が気にするのも無理はない。
海では音の取り違えがそのまま事故になる。
だが村の者は、もちろんそんな言い方はしなかった。
宿の女主人は、私が紹介状を出す前に、
「人魚を見に来た先生でしょう」
と言った。
その言い方に揶揄はなかった。
からかうでも、信じきるでもなく、単に村の外の者がこの浜へ来る理由として、それがいちばん話が早いというだけの調子だった。
私はすぐにその名へ乗らず、最初は漁の戻りでどこが危ないのかだけを訊いた。
すると彼女は、浜の中央ではなく、北の岩棚の切れ目を指した。
「歌うのはいつもあそこです」
「見えるのも?」
「見えたと言う人はいます。でも、だいたい声のほうが先です」
この順序は、ありがたかった。
姿より声が先に来るなら、少なくともこの土地の伝承は、絵姿から育ったものではない。
私はそれを手帳へ短く書き留めた。
午後、村の年寄りの漁師二人と、海藻採りの女たちから別々に話を聞いた。
案の定、姿の説明は食い違った。
腰まで水に浸かった女に見えたという者もいれば、黒い鳥が岩へ立ったようだったという者もいる。
髪が長かった、いや、頭のまわりに藻が垂れていただけだ、という言い争いまであった。
だが、ここでも共通していたのは三つだけだった。
一つ、見えるのはたいてい干潮の後半であること。
一つ、声は人を呼ぶというより、先に聞こえた声へ遅れて返ること。
そしてもう一つ、魚群が寄る時より、むしろ散る時にそれが出るということだった。
最後の点が気になった。
人魚やセイレーンの話は、しばしば魚を集めるものとして語られる。
だがここでは逆だった。
小魚が潮だまりや入江の奥からふっと消え、しばらくしてから声が返る。
もし対象がいるなら、誘うものではなく、魚の移動や避難と関わる捕食側の存在かもしれない。
私はこの時点で、人魚の絵姿はかなり脇へ置いた。
代わりに、潮位、反響、魚群散開、岩棚利用の四つを中心に見ていこうと決めた。
夕方、北の岩棚の下見に出た。
干潮の引きかけで、石灰の白い棚が海へ段々に張り出し、その間に黒い潮だまりがいくつも残っている。
表面は平らに見えるが、歩くと靴底の下で石がぬめり、ところどころに海藻が薄く張りついている。
海辺で滑るのは珍しいことではないが、この岩棚はとくに悪かった。
しかも、棚の端へ近づくほど、波ではなく洞穴の反響が足元から返ってくる。
見張り台の残骸の陰へ立って、私はまず声を試した。
短く一度、「おい」とだけ海へ向かって呼んでみる。
すると返りは三つに分かれた。
正面の岩壁からの遅い返り。
北の切れ目からの薄い返り。
そして、少し遅れて、まるで人が低く喉で返したような短い音が、足元に近いどこかから来た。
私はそれを、すぐには対象の声だとは思わなかった。
むしろ洞と潮だまりと波の合成だろうと考えた。
だが、その“不自然に人間的な短さ”だけは記録しておいた。
さらに岩棚を回っていくと、潮だまりの一つに魚鱗が妙にまとまって残っていた。
鳥が食い散らしたにしては広がりが少なく、蟹が運んだにしては集まりすぎている。
その脇に、貝殻がいくつか割れていた。
ただし、砕かれているのではなく、薄い縁だけが一方向へ剥がれている。
私はしゃがみ込み、その割れ口を見た。
人が石で叩いたならもっと乱れる。
鳥なら嘴の先端で一点が深く入る。
これらはもっと細く、横に滑ったような剥がれ方だった。
何かが、濡れた石の上で、器用に口先を使っている可能性があった。
ただし、ここで私は一度軽く外した。
岩棚の切れ目の陰に、濡れた灰色のものが半身を起こしたように見えたのである。
肩と頭の線に見えた。
私は一瞬、人魚の上半身という安易な語を頭へ浮かべかけた。
だが次の瞬間、それは崩れた漁網の一部だと分かった。
潮を含んだ網が岩へ引っかかり、ちょうど人が片肘をついて起き上がったような形になっていたのである。
海辺ではこういうことが起こる。
人型の誤認は、だいたい人が勝手に作る。
私は少し苦く笑い、その網の位置も図へ入れておいた。
後で同じ場所を誰かが「見た」と言い出すかもしれないからだ。
日が落ちるころ、私は北の切れ目を見下ろす低い岩陰に観測点を取った。
ここなら村の灯も背にならず、見張り台の残骸が風除けにもなる。
潮はまだ下げている。
声が返るなら、今夜の前半だろう。
私は何も起きぬ時間にしばらく耳を慣らした。
波の小さい返り。
洞の奥の遅い響き。
浜へ戻る人の足音。
漁具が擦れる音。
こうしたものを先に身体へ入れておかないと、「人の声に似た返り」がどれほど異質かを判断できない。
やがて、浜のほうから遅く帰る舟の者が一人、岸へ向かって短く呼んだ。
返事を求めるでもない、ただ位置を知らせる程度の声だった。
その直後、北の切れ目から、よく似た高さの短い返りがあった。
少し遅い。
だが、洞の反響にしては母音が崩れない。
私は身を低くし、切れ目の縁を見た。
何かがいた。
それははっきりした姿ではなく、まず「濡れた縁」が立つように見えた。
白い石の上に、黒く濡れた半円が一つ出る。
ついでその下に、肩とも前肢ともつかぬ張り出しが見え、最後に、水面近くで細いものがいくつも垂れているのが分かった。
髪、と言ってしまえば簡単だが、そうは見たくなかった。
むしろ感覚毛か、皮膜の縁か、海藻が絡んでいるのか、そのどれかに近い。
個体は完全には上がらなかった。
岩棚へ半身を預け、水の中の後半身を見せないまま、しばらく静止していた。
その姿勢だけを遠目に見れば、たしかに人の上半身に見えなくもない。
だが近くでこの動きを見れば、少なくとも人間の体の置き方ではない。
肩に見えた部分は、むしろ胸鰭か前肢の支持器官に近い。
首は短く、頭部は人のように垂直へ立たない。
それでも、岩棚に片肘をつく女の形へ村人が寄せる理由は十分にあった。
人間は似ているところだけを拾って物語を作る。
舟の者がもう一度声を出すと、個体は今度は返さなかった。
代わりに、わずかに頭を動かし、そのあとで水面に沿って横へ沈んだ。
潜ったというより、岩棚の縁に沿って低く滑った。
すると直後に、切れ目の奥で、小魚の群れが一斉に散るのが見えた。
私はそこで、地元の者が言っていた順序――魚が先に散り、声はそのあと――を思い出した。
今夜は逆に見えたようにも思う。
だが、もしかすると私が先に聞いた返り音そのものが、個体の発声ではなく、魚群が動いた結果の水音を洞が拾ったものだったのかもしれない。
沿岸では、こういう解釈の揺れが常につきまとう。
私はそこを無理に一つへ決めないことにした。
その後、個体は二度と姿を見せなかった。
ただ、潮だまりの一つで、魚鱗のある場所の水面が何度か不自然に揺れ、そのたびに短い返り音が洞へ残った。
姿がないのに音だけが人に近づく。
この土地で「歌う」と言われたものの中身は、おそらくこういう現象なのだろう。
歌ではない。
しかし、人が歌と誤るには十分に声へ似ている。
海辺の伝承は、たいていその程度の距離で育つ。
夜の記録には、こう残した。
**北の岩棚切れ目において、沿岸性幻獣候補を短時間視認。
人魚様とされる目撃の核は、岩棚へ半身を預ける姿勢と、水中に残る後半身の不可視性、および頭部周辺の感覚毛状・皮膜状構造に由来する可能性が高い。
対象は完全な人型ではなく、むしろ岩棚支持に適した前方器官を持つ水辺の捕食種として理解するほうが自然である。
返り音については、対象自身の短い発声、洞の反響、魚群散開に伴う水音のいずれも関与しうる。現段階ではその比率を断定しない。
少なくとも当地の“人魚”伝承を、そのまま美女型水棲種の記録とみなすことはできない。**
これで、入江の話もようやく地面――いや、岩棚と潮だまり――の上へ立った気がした。
人魚という呼び名は残るだろう。
それでよい。
ただ、記録の側では、あれをもう少し別の生きものとして扱うだけの理由が、今夜ようやく揃い始めた。




