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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第十章 一九八〇年 高原湧水地における微量鉱物成分変動および局所植生攪乱の予備調査
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第四節

## 一九八〇年五月五日 エルディン高原、北小泉から礼拝堂跡への戻り路


いったん姿を見たあとの調査は、しばしばその前より難しい。

見えていなかった時には、地面も証言もすべて同じ重さで扱えた。ところが一度でも輪郭を得ると、以後はこちらが勝手にそれへ合わせて景色を読み始める。

白い草は毛に見え、低い霧の筋は背の線に見え、蹄跡でない窪みまで足跡へ寄せてしまう。

研究者にとって危ないのは、何も見えない時間ではなく、少し見えたあとの時間なのだろう。

私は朝からそのことを何度も自分へ言い聞かせていた。


この日は、前日に視認した西の浅水地へすぐ戻るのではなく、まず北小泉から礼拝堂跡へ戻る線を調べることにした。

理由は単純である。

個体が浅水地を使うことは分かった。

では、そこへ至る前後にどのような足場を選び、どの程度まで巡礼地の近くへ寄るのか。

それを見なければ、「泉を選ぶ獣」という以上のことは書けない。

一角獣の伝承はたいてい泉そのものばかりを語るが、生きものは水場だけで生きているわけではない。


朝の霧は昨日ほど厚くなかった。

そのため地面の状態は読みやすかったが、逆に視認には向かないだろうと思われた。

こういう日は、追跡に徹するほうがよい。

私はトマスを半日だけ案内役に借りた。

子どもを連れて歩くのは本来あまり好まない。

だが彼は羊と馬の跡を見分ける目がかなり確かで、しかも「一角獣らしい話」を面白がって足す癖が少なかった。

土地の案内役としては、そのほうがよほど役に立つ。


北小泉の周辺では、昨日見た蹄跡の外側に、より古い痕が何本か残っていた。

どれも同じ場所へは入らない。

だが全く無秩序でもない。

個体は泉そのものへ直進するのではなく、必ず一度、風下か、少し高い乾いた側を回ってから下りるらしかった。

トマスはそれを見て、

「こっちから来る時は、いつも先に草の匂いを見てる」

と言った。

私はその言い方をすぐ訂正しなかった。

匂いを嗅ぐ、ではなく、匂いを“見る”。

子どもや土地の人間は、そういう混じった言葉を時々使う。

実際のところ、大型草食獣が風と草と湿りを同時に読んでいるなら、その表現のほうが近いのかもしれなかった。


小泉から礼拝堂跡へ向かう途中の低木地で、ひとつ妙なものを見つけた。

古い石垣の崩れの脇に、細い枝が一列だけ外向きに折れていたのである。

鹿や羊が通ったなら、もっと下の草が荒れる。

人間が通ったなら、枝の折れ方が不規則になる。

ところがそれは、ちょうど胸高あたりで、ほぼ一定方向へ払われたような折れ方だった。

私はそこで、前額の角が低木を切るように抜けた可能性を考えた。

もっとも、それだけなら家畜の牡羊でも起こりうる。

私は一歩引いて、枝先の折れ口を見た。

古いものではない。

昨夜から今朝のあいだと見てよさそうだった。

そして折れた枝の先に、昨日と同じ乳灰色の毛が二本、絡んでいた。


この時点で、私はかなりはっきりした移動の線を得たと思った。

浅水地から北小泉へ、あるいは逆に北小泉から浅水地へ、礼拝堂跡の北側を大きく回る帯がある。

ただし、それを「巡回路」と呼ぶにはまだ少し早い。

二日分の痕跡だけで道を決め打ちすると、たいてい別の日に恥をかく。

私は図へ線を引きながらも、見出しには「利用帯候補」とだけ書いた。


昼近く、礼拝堂跡の脇でエーヴァに再び会った。

私はあえて個体を見たとは言わず、石の磨耗と枝の折れ方の話だけをした。

すると彼女は、少し考えてから妙なことを言った。

「今年は荒くない」

「何が?」

「角の使い方です。若い年は、石をずいぶん叩くことがあります」


私はそこで、ようやく伝承の外側にある、しかし伝承に残る理由にもなる部分へ触れた気がした。

角は象徴でも装飾でもなく、土地に対して実際に使われる器官なのだろう。

水を当てる。

低木を払う。

時に石を叩く。

それが年によって荒い、荒くないと見える。

もしこの観察が正しいなら、角は単に「一本ある」ことより、どう使われるかのほうがはるかに重要になる。


「若い年、というのは若い個体ですか」

そう訊くと、エーヴァは首を振った。

「年です。春の荒い年」

私は少し恥ずかしかった。

こちらがすぐ個体の年齢へ話を寄せたのに対し、彼女は気候の年回りを言っていたのだ。

調査者は、こういうところで勝手に生態を細分化しすぎる。

土地の人間はもっと荒く、しかししばしば本質的な条件を掴んでいる。


午後、礼拝堂跡の南側の大きな泉へも一度入った。

ここは巡礼者が多く、正直なところ私はあまり期待していなかった。

ところが、足元を見れば見るほど、意外に利用痕の少ないことが分かった。

人の踏み跡、杖跡、布で縁を拭いた擦れ、そうしたものばかりで、昨日見たような角か口先による局所的な磨耗はほとんどない。

つまり、伝承の中心泉そのものは、人間には重要でも、対象にとってはむしろ近づきにくい場所なのだろう。

このずれは面白かった。

「一角獣の泉」と呼ばれる場所が、実際には一角獣候補の行動から遠い。

人間はつくづく、意味のある場所へ自分から寄り集まり、その結果として相手を追い出してしまうらしい。


この日の観察で最も良かったのは、夕方近くに起きた小さな成功だった。

北小泉の手前の乾いた帯で、私は個体そのものではなく、その“通り過ぎた直後”を見たのである。

霧は薄く、姿は出なかった。

だが低木の向こうの草が、風とは別の重さで一列に沈み、そのあとで白い花だけが遅れて起き上がった。

私は反射的に走り出しかけ、すぐやめた。

代わりに、その沈みの先を双眼鏡で追った。

すると、乳灰色の背がほんの二歩ぶんだけ、石垣の向こうへ現れて消えた。

角は見えない。

頭部も出ない。

だが、馬より低く、鹿より厚い背線であることは分かった。

昨日の視認とよく合う。

直接の長い観察ではない。

それでも、痕跡と姿の中間にあるような確認としては十分価値があった。


私はこの時、少しほっとした。

前日の成功が偶然ではなかったと、自分に言える程度にはなったからである。

野外では、この「偶然ではない」が思いのほか大きい。

見えた、では足りず、再び似たものが出て、しかも前回の記述と大きく食い違わない。

その積み重ねでようやく、観察者は自分の目を少し信用できる。


夜、宿へ戻ってから、私はかなり落ち着いた気分で書いた。


**北小泉—礼拝堂跡北—西浅水地を結ぶ帯に、本種の利用痕が繰り返し現れる可能性が高い。

現時点では巡回路と断ずるほどではないが、少なくとも偶発的な通過ではない。

角は水面確認だけでなく、低木地の通過や石面への接触にも使われるらしい。

ただしその使用頻度は個体年齢ではなく、春の乾湿や地面の荒れ方に左右される可能性がある。

大泉そのものは伝承上の中心であっても、実利用地としてはむしろ副次的で、人の出入りの少ない小湧水地のほうが重要らしい。

夕刻、姿の直接視認には至らなかったが、通過直後の草沈みおよび背線の短時間確認あり。前日記録との大きな齟齬はない。**


これで少し、相手が「伝承の象徴」から「高原を選んで使う大型獣」へ近づいた気がした。

まだ角の全体も、歩き方の癖も、食性の幅もよく分からない。

それでも、泉と草地と低木の使い分けが少し見えてきたことは、かなり大きい。

高原の調査は、山ほど劇的ではない代わりに、こうした地味な積み重ねが後で効いてくる。


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