第四節
## 一九八〇年五月五日 エルディン高原、北小泉から礼拝堂跡への戻り路
いったん姿を見たあとの調査は、しばしばその前より難しい。
見えていなかった時には、地面も証言もすべて同じ重さで扱えた。ところが一度でも輪郭を得ると、以後はこちらが勝手にそれへ合わせて景色を読み始める。
白い草は毛に見え、低い霧の筋は背の線に見え、蹄跡でない窪みまで足跡へ寄せてしまう。
研究者にとって危ないのは、何も見えない時間ではなく、少し見えたあとの時間なのだろう。
私は朝からそのことを何度も自分へ言い聞かせていた。
この日は、前日に視認した西の浅水地へすぐ戻るのではなく、まず北小泉から礼拝堂跡へ戻る線を調べることにした。
理由は単純である。
個体が浅水地を使うことは分かった。
では、そこへ至る前後にどのような足場を選び、どの程度まで巡礼地の近くへ寄るのか。
それを見なければ、「泉を選ぶ獣」という以上のことは書けない。
一角獣の伝承はたいてい泉そのものばかりを語るが、生きものは水場だけで生きているわけではない。
朝の霧は昨日ほど厚くなかった。
そのため地面の状態は読みやすかったが、逆に視認には向かないだろうと思われた。
こういう日は、追跡に徹するほうがよい。
私はトマスを半日だけ案内役に借りた。
子どもを連れて歩くのは本来あまり好まない。
だが彼は羊と馬の跡を見分ける目がかなり確かで、しかも「一角獣らしい話」を面白がって足す癖が少なかった。
土地の案内役としては、そのほうがよほど役に立つ。
北小泉の周辺では、昨日見た蹄跡の外側に、より古い痕が何本か残っていた。
どれも同じ場所へは入らない。
だが全く無秩序でもない。
個体は泉そのものへ直進するのではなく、必ず一度、風下か、少し高い乾いた側を回ってから下りるらしかった。
トマスはそれを見て、
「こっちから来る時は、いつも先に草の匂いを見てる」
と言った。
私はその言い方をすぐ訂正しなかった。
匂いを嗅ぐ、ではなく、匂いを“見る”。
子どもや土地の人間は、そういう混じった言葉を時々使う。
実際のところ、大型草食獣が風と草と湿りを同時に読んでいるなら、その表現のほうが近いのかもしれなかった。
小泉から礼拝堂跡へ向かう途中の低木地で、ひとつ妙なものを見つけた。
古い石垣の崩れの脇に、細い枝が一列だけ外向きに折れていたのである。
鹿や羊が通ったなら、もっと下の草が荒れる。
人間が通ったなら、枝の折れ方が不規則になる。
ところがそれは、ちょうど胸高あたりで、ほぼ一定方向へ払われたような折れ方だった。
私はそこで、前額の角が低木を切るように抜けた可能性を考えた。
もっとも、それだけなら家畜の牡羊でも起こりうる。
私は一歩引いて、枝先の折れ口を見た。
古いものではない。
昨夜から今朝のあいだと見てよさそうだった。
そして折れた枝の先に、昨日と同じ乳灰色の毛が二本、絡んでいた。
この時点で、私はかなりはっきりした移動の線を得たと思った。
浅水地から北小泉へ、あるいは逆に北小泉から浅水地へ、礼拝堂跡の北側を大きく回る帯がある。
ただし、それを「巡回路」と呼ぶにはまだ少し早い。
二日分の痕跡だけで道を決め打ちすると、たいてい別の日に恥をかく。
私は図へ線を引きながらも、見出しには「利用帯候補」とだけ書いた。
昼近く、礼拝堂跡の脇でエーヴァに再び会った。
私はあえて個体を見たとは言わず、石の磨耗と枝の折れ方の話だけをした。
すると彼女は、少し考えてから妙なことを言った。
「今年は荒くない」
「何が?」
「角の使い方です。若い年は、石をずいぶん叩くことがあります」
私はそこで、ようやく伝承の外側にある、しかし伝承に残る理由にもなる部分へ触れた気がした。
角は象徴でも装飾でもなく、土地に対して実際に使われる器官なのだろう。
水を当てる。
低木を払う。
時に石を叩く。
それが年によって荒い、荒くないと見える。
もしこの観察が正しいなら、角は単に「一本ある」ことより、どう使われるかのほうがはるかに重要になる。
「若い年、というのは若い個体ですか」
そう訊くと、エーヴァは首を振った。
「年です。春の荒い年」
私は少し恥ずかしかった。
こちらがすぐ個体の年齢へ話を寄せたのに対し、彼女は気候の年回りを言っていたのだ。
調査者は、こういうところで勝手に生態を細分化しすぎる。
土地の人間はもっと荒く、しかししばしば本質的な条件を掴んでいる。
午後、礼拝堂跡の南側の大きな泉へも一度入った。
ここは巡礼者が多く、正直なところ私はあまり期待していなかった。
ところが、足元を見れば見るほど、意外に利用痕の少ないことが分かった。
人の踏み跡、杖跡、布で縁を拭いた擦れ、そうしたものばかりで、昨日見たような角か口先による局所的な磨耗はほとんどない。
つまり、伝承の中心泉そのものは、人間には重要でも、対象にとってはむしろ近づきにくい場所なのだろう。
このずれは面白かった。
「一角獣の泉」と呼ばれる場所が、実際には一角獣候補の行動から遠い。
人間はつくづく、意味のある場所へ自分から寄り集まり、その結果として相手を追い出してしまうらしい。
この日の観察で最も良かったのは、夕方近くに起きた小さな成功だった。
北小泉の手前の乾いた帯で、私は個体そのものではなく、その“通り過ぎた直後”を見たのである。
霧は薄く、姿は出なかった。
だが低木の向こうの草が、風とは別の重さで一列に沈み、そのあとで白い花だけが遅れて起き上がった。
私は反射的に走り出しかけ、すぐやめた。
代わりに、その沈みの先を双眼鏡で追った。
すると、乳灰色の背がほんの二歩ぶんだけ、石垣の向こうへ現れて消えた。
角は見えない。
頭部も出ない。
だが、馬より低く、鹿より厚い背線であることは分かった。
昨日の視認とよく合う。
直接の長い観察ではない。
それでも、痕跡と姿の中間にあるような確認としては十分価値があった。
私はこの時、少しほっとした。
前日の成功が偶然ではなかったと、自分に言える程度にはなったからである。
野外では、この「偶然ではない」が思いのほか大きい。
見えた、では足りず、再び似たものが出て、しかも前回の記述と大きく食い違わない。
その積み重ねでようやく、観察者は自分の目を少し信用できる。
夜、宿へ戻ってから、私はかなり落ち着いた気分で書いた。
**北小泉—礼拝堂跡北—西浅水地を結ぶ帯に、本種の利用痕が繰り返し現れる可能性が高い。
現時点では巡回路と断ずるほどではないが、少なくとも偶発的な通過ではない。
角は水面確認だけでなく、低木地の通過や石面への接触にも使われるらしい。
ただしその使用頻度は個体年齢ではなく、春の乾湿や地面の荒れ方に左右される可能性がある。
大泉そのものは伝承上の中心であっても、実利用地としてはむしろ副次的で、人の出入りの少ない小湧水地のほうが重要らしい。
夕刻、姿の直接視認には至らなかったが、通過直後の草沈みおよび背線の短時間確認あり。前日記録との大きな齟齬はない。**
これで少し、相手が「伝承の象徴」から「高原を選んで使う大型獣」へ近づいた気がした。
まだ角の全体も、歩き方の癖も、食性の幅もよく分からない。
それでも、泉と草地と低木の使い分けが少し見えてきたことは、かなり大きい。
高原の調査は、山ほど劇的ではない代わりに、こうした地味な積み重ねが後で効いてくる。




