第三節
## 一九八〇年五月四日 エルディン高原、西の浅水地にて
高原での追跡は、見つけることより見失わぬことのほうが難しい。
足跡が続いているあいだは、誰でも少し気が大きくなる。
次の窪みへ、次の石垣の向こうへ、もう少し行けば姿が出るのではないかと考える。
だが実際には、対象のいる土地ほど、その手前で痕跡の性質が変わる。
泥から草へ、草から礫へ、礫から霧へ。
こちらがまだ同じ一頭を追っているつもりでいるうちに、地面のほうが先に別の読みを要求してくる。
昨日、牝馬の跡へ引っぱられたのは、そのあたりの気の緩みがあったからだろう。
そのためこの日は、最初から「追う」より「待つ」ことを主にした。
エーヴァとトマスの話を合わせると、霧の濃い朝には北の小泉ではなく、もっと西の浅い水たまりへ寄ることがあるらしい。
そこは巡礼路から外れ、放牧地とも少し距離があり、人の目にはただの濡れたくぼみにしか見えない。
私は夜明け前のまだ暗いうちに宿を出て、杖で地面を探りながらその西の低地へ向かった。
昨日の踏み抜きが効いたのか、今朝の足取りは自分でも少し慎重すぎると思うほどだった。
もっとも、高原ではそのくらいでちょうどよいのかもしれない。
西の浅水地は、泉というより、湧きの弱い湿りの集まりだった。
低い草のあいだに水が薄く広がり、ところどころで白い鉱物の膜が乾きかけている。
北の小泉のように石の縁はない。
したがって「角を当てる」ような行動があるなら、ここでは別の痕跡として出るはずだった。
私は水たまりの周囲を半円に見て回った。
その結果、二つのことが分かった。
一つは、ここでは蹄跡が深く残らないこと。
もう一つは、その代わり、草の寝方が不自然に筋を持つことだった。
最初に見つけた筋は、風で倒れたにしては狭すぎた。
羊が群れて抜けたにしては、踏み荒らしが足りない。
幅は私の前腕ほどで、草の穂先だけが一方向へ撫でつけられ、その中心に、ごく浅い水の濁りが走っている。
まるで大きな体が、腹を地面につけたわけでもなく、しかし極端に低い姿勢でそこを通ったように見える。
私はそこでいったん立ち止まった。
大型草食獣へ、つい「高く首を上げた四足」を思い込んでいたが、その先入観が正しいとは限らない。
水を飲む時、草を選る時、あるいは湧水地の匂いを拾う時には、ずっと低く長く体を使うこともありうる。
霧は次第に濃くなった。
高原の霧は谷霧と違って、上から降りるというより、地面から湧くように来る。
遠くの石垣が消えるのではなく、まず足元の草地の境目から輪郭を失う。
私は浅水地の北側、少し乾いた礫の上に腰を下ろし、その変化を見ることにした。
ここで動けば、見えたものすべてを追いたくなる。
今朝はそうしないと決めていた。
最初に来たのは、対象ではなく羊だった。
霧の向こうで鈴が鳴り、しばらくして白い背が二つほど現れた。
私は少し肩の力を抜いた。
こういう外しが一度入ると、かえって目がまっすぐになることがある。
羊は低地の手前で止まり、浅水地へは入らず、すぐ別の草地へ流れた。
彼らが嫌うほど地面が緩いのか、あるいは鉱物の匂いが強いのか。
どちらにせよ、対象がここを使うなら、家畜とは別の理由で寄っていることになる。
霧がもっと低くなった頃だった。
浅水地の向こうで、白い柵が一本増えたように見えた。
私はそこで、自分の眼をまず疑った。
宿で聞いた目撃談のひとつに、霧の朝だけ「柵が一本多い」と言う者がいたのを思い出したからである。
その時には、霧と低木の見間違いだろうと考えていた。
だが今、実際にそれが起きると、単なる見間違いで済ませるにも妙な出方だった。
柵は増えたのではない。
草の帯の上へ、まっすぐでいて、しかしわずかに湾曲した淡い線が立ち、その根元だけが霧とともに動いていた。
私は息を止めた。
それが角だったのかどうか、今でも断言はできない。
しかし、地面から独立して見えた最初の部分が「線」だったのは確かである。
そのあとで、ようやくその下に灰白色の頭部がほどけて出た。
白馬のような顔ではない。
もっと短く、鼻梁が厚い。
耳は立っているが細くなく、頭全体の線も馬よりいくらか詰まって見える。
そして、その前額から前へ、霧と混じりやすい一本の突起が伸びていた。
私はそこで、ようやく角の存在を認めてよいと思った。
ただし、伝承の絵姿にあるような、長く滑らかでまっすぐな角ではない。
もっと短く、基部が太く、先へ行くほど霧に融ける。
表面は一様でなく、泥か鉱物か、何かが薄く付着しているように見えた。
それが光を鈍く返し、白い柵のように見えていたのだろう。
個体は大きかった。
馬ほどの肩高はない。
だが鹿や山羊より明らかに重い。
首は長いが、優美というより、地面へ深く届くための長さに見える。
胴は思ったより厚く、後躯は引き締まっている。
蹄はこの距離でははっきりしないが、昨日見た歩幅と沈み方を思えば、かなり強いはずだった。
毛色は、白と呼べなくはない。
しかし実際には乳灰色で、背にかけて泥の色が混じり、肩や首筋には湿りで濃くなった帯がある。
人間がこれを「白い一角獣」と言うのは、霧の朝にだけ見た時の話なのだろう。
個体はすぐには水を飲まなかった。
まず浅水地の縁をゆっくり回り、一度だけ前額を低くして、水面ではなく草の倒れた帯を嗅ぐような動きをした。
そのあとで、昨日エーヴァが言っていた言葉そのままに、「水を当てる」ような行動を取った。
角の基部か、口先か、その両方かは見えなかった。
だが前方の硬い部位で浅い水面に一度触れ、その反応を確かめるように静止したのである。
水が薄いと嫌がる。
あの言葉の意味は、おそらくこれに近いのだろう。
水を飲む前に、水面の状態か、鉱物の付き方か、匂いか、何かを前頭部で読んでいる。
ここで私は、観察の興奮に少し負けかけた。
もっと近づけるのではないかと思ったのである。
霧は濃く、風は私から個体へ向いていない。
地面さえ持てば、あと十歩か十五歩は詰められたかもしれない。
だが、その「地面さえ持てば」が高原では危険なのだ。
私は昨日の泥を思い出し、動かないことにした。
結果として、その判断は正しかった。
個体は水をひと口か二口しか取らず、すぐに頭を上げたからである。
近づいていれば、こちらだけが濡れた泥へ足を取られて終わっただろう。
もっとも、完全に静かだったわけでもない。
個体が頭を上げた直後、霧のもっと奥で、低い草の揺れが一度だけ別の方向へ走った。
私はそこへ視線を送った。
何かがいたのか、風が回っただけか。
そこまでは見えなかった。
この瞬間、私は「単独個体」と書くことの危うさを改めて感じた。
今ここに見えているのは一頭である。
だが、それだけで常に単独とは言えない。
少なくとも高原の霧の中では、その断定は軽すぎる。
私はそのことを、はっきり手帳へ残すつもりになった。
個体はそれ以上留まらなかった。
浅水地を横切るのではなく、縁の硬いところだけを選び、低木の切れ目へ向かって静かに抜けた。
走らない。
誇示もしない。
ただ、こちらが一歩でも不用意に出ればすぐ届かぬ距離へ離れられるような歩き方である。
それを見ながら、私はこの種が「清らかなものにだけ懐く」という類の伝承からどれほど遠いかを思った。
少なくとも、今朝の個体はひどく実際的で、警戒深く、そして泉の条件に対しては繊細だったが、人間に対しては一顧だにしない種類の存在に見えた。
霧が上がったあと、私は浅水地の縁を調べた。
蹄跡は残っていた。
昨日のものより深いが、泥を無駄に散らしていない。
そして、水面に触れた位置の白い膜だけが、細く割れていた。
それは偶然でも起こりうる。
だが、個体の前頭部が触れたように見えた場所と、ほぼ一致した。
私はその膜の欠片を少しだけ採り、紙へ包んだ。
大学がこれを喜ぶかどうかは分からない。
だが、伝承と観察が一点だけでも重なった証拠としては十分だった。
宿へ戻ってから、私はかなり率直に記した。
**本日、西の浅水地において、一角獣系譜に属するとみなしてよい大型幻獣個体を短時間視認した。
ただし、伝承上の白馬像とは一致しない。体格はより重く、毛色は乳灰色を基調とし、角は短く太く、鉱物または泥の付着を伴うように見えた。
個体は浅水地の縁を回ったのち、水面へ前頭部を接触させるような行動を示し、その後短時間の飲水を行った。
この行動は、当地で語られる「水を当てる」という言い方とよく合う。
なお、観察中、霧の外縁に別方向の草揺れが一度確認されたが、別個体か風の変化か判定できない。
したがって単独性の断定はなお避ける。**
ここまで来て、私はようやく少し落ち着いた。
大きな失敗はなく、十分な成功もあった。
それでよいのだろう。
高原の対象は、山の竜ほど遠くなく、都市の高所種ほど人間の近くもない。
その中間にいるぶんだけ、見えたものと見えなかったものの両方を、無理なく同じ頁へ置ける気がした。




