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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第十章 一九八〇年 高原湧水地における微量鉱物成分変動および局所植生攪乱の予備調査
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第一節

**一九八〇年五月二日 西部高原、エルディン泥炭地外れ着**


高原の調査は、開けているようでいて、見通しの利かぬ仕事である。

山には尾根があり、森には幹があり、湿地には水路がある。そうしたものが視線を切ることはあっても、切られたこと自体はすぐ分かる。

ところが泥炭地のある高原では、視界そのものは広い。低木と草と浅い湧水地しかないにもかかわらず、霧と地面の柔らかさが距離感を曖昧にし、見えているものの位置だけが容易に外れる。

そのため、この種の土地では「遠くに見えた」は何の証拠にもならない。

問題は、見えたものがどこにいたかではなく、どの地面を通っていたかである。


エルディン高原は、古い巡礼路と放牧地と採薬地とが、泥炭の浅い丘を挟んで重なり合う土地だった。

一面の荒野というほど単調ではない。

草丈の低い湿り地、白く鉱物を噴いた小さな泉、風に寝る紫色の花地、石積みの崩れた礼拝堂跡、羊飼いの避難小屋、そしてところどころに黒い水を湛えた泥炭の穴が散っている。

歩く者が知らぬまま踏み込めば、膝まで沈む場所も珍しくない。

だが地元の者は、不思議なほど軽くそのあいだを縫う。

彼らにとっては道なき荒野ではなく、水と草と危ない地面とを読み分ける馴染みの土地なのだろう。


今回、大学が私へ与えた名目は、

**「高原湧水地における微量鉱物成分変動および局所植生攪乱の予備調査」**

であった。

これだけ読めば、植物学か地質学の仕事に見える。

実際、湧水地の周辺で一夜ごとに濁りが変わること、特定の薬草だけが不自然に倒れること、浅い泉の縁に大型蹄獣らしい痕が出ることなどが、ここ数年断続的に報告されていた。

大学が興味を持つのも、その程度までは理解できる。

だが、高原の宿で初日に聞かされた話は、やはり別の名を持っていた。

番頭は私の紹介状を見てから、あっさりと言った。

「泉を選ぶ角の獣のことでしょう」


一角獣。

その言葉を、私はここまで意図的に調査対象として追ってこなかった。

理由は単純で、あまりにも伝承が厚いからである。

白い馬、一本角、清浄、乙女、祝福、癒し。

人間が長く語ってきた形が出来すぎている対象ほど、実際に現地で観察しようとすると、証言も記録もその型へ引っぱられやすい。

それでも今回ここへ来たのは、湧水地と植生攪乱があまりにも局所的で、しかもその帯が巡礼伝承の残る泉と一致していたからだった。

伝承が厚いだけでなく、地面の変化もある。

その組み合わせなら、少なくとも見に来る価値はある。


午後、宿の主人の紹介で、泉守りを兼ねる年老いた女に会った。

名をエーヴァといい、巡礼者相手に水を汲んで渡す役目を、半ば習慣として引き受けているらしかった。

彼女は私の話を最後まで聞いてから、思いのほか実務的に答えた。

「白いと思って来る人は、たいてい何も見ません」

「白くないのですか」

「朝の霧なら何でも白く見えます」

「角は?」

「あるのかもしれません。けれど、見えたと口にする人ほど、たぶん見ていません」


この答えは気に入った。

伝承を守る立場の者が、安易に伝承どおりの姿を保証しない。

そういう土地の話のほうが、むしろ信用できる。

さらに彼女は、問題の泉は「清らかだから」選ばれているのではなく、雨の少ない週のあとにだけ水面が硬く見えるからだと言った。

私はその表現に引っかかりを覚えた。

水面が硬く見える。

地質学の用語ではない。

だが湧水地の鉱物被膜や表面張力の変化を、土地の人がそう表現するのは十分ありうる。

一角獣伝承の背後に、もし鉱物摂取や湧水地利用があるなら、まさに見るべきところだった。


夕刻、私は最初の下見として、巡礼路から外れた三つの泉を回った。

一つは礼拝堂跡の脇、浅い白い石灰質の縁を持つ泉。

一つは泥炭地のくぼみに湧く黒い泉。

もう一つは低木地の外れにある、草に半ば埋もれた細い湧き口である。

大学の記録では、植生攪乱と蹄跡の報告は主に最初の泉へ寄っていた。

だが私は、むしろ三つを見比べることのほうを優先した。

伝承地だけを見ると、どうしても最初から意味を背負いすぎる。


最初の泉では、期待したほどのものはなかった。

水は澄み、縁の石は滑らかで、巡礼者の手で周辺がよく踏み固められている。

ここだけを見れば、蹄跡が出ても人為との区別は難しいだろう。

二つ目の黒い泉は、逆にあまりにも泥炭臭が強く、大型草食獣が好んで寄るようには思えなかった。

問題は三つ目だった。

低木地の草に埋もれたその湧き口では、周囲の花地が帯状に倒れ、その中心だけが浅く掻き分けられたようになっていた。

蹄跡と決めるには崩れすぎている。

だが、羊や鹿が群れて踏んだのとも違う。

広く荒れず、ただ一頭分か二頭分ほどの重みが、選んだ場所へだけかかっている。


私はそこで、少し不用意なことをした。

花地の倒れ方に気を取られ、その先の地面をよく見ずに一歩踏み出したのである。

次の瞬間、右足が泥炭の薄い層を破り、脛の半ばまで沈んだ。

深くはない。

だが冷たい泥が靴へ入り、抜く時に周囲の植物を余計に乱してしまった。

情けない話だが、初日のこうした失敗は大抵あとを引く。

私は泥を払いながら、自分が「一角獣の花地」という言葉へ半歩だけ先に進んでいたことを認めざるを得なかった。

高原の調査は、見えたものにではなく、地面に先に負ける。

それを改めて思い出した。


宿へ戻ると、番頭が笑いもせずに予備の靴を出してくれた。

おそらく同じ失敗をする者を何人も見てきたのだろう。

私は礼を言い、濡れた記録紙を乾かしながら、最初の一日を整理した。

今のところ分かったのは、伝承に結びつく大きな泉そのものより、むしろ人目につきにくい脇の湧き口のほうが、何らかの利用痕を強く残しているらしいこと。

そして、土地の人が言う「白い獣」という像は、少なくともそのまま信用してはならないことだった。

十分な成果ではない。

だが、最初の一日としては悪くもない。

むしろ、泥へ沈んだぶんだけ、こちらの足も少し高原向きに考え直せるかもしれなかった。


夜、手帳へ私はこう記した。


**当地で一角獣と呼ばれるものがいるとしても、巡礼伝承の中心泉より、周辺の小湧水地と薬草地の縁に利用痕が強い可能性がある。

白色・清浄・祝福などの形容は、霧、鉱物被膜、巡礼地の言い換えを多分に含み、観察上の事実としては保留すべきである。

初日の踏み抜きは自分の過失であり、以後、花地と湧水地の境界へ入る際は必ず杖で地面を探ること。**


この最後の一文は、研究記録としては些末に見える。

だが、私はこういうことを案外大事にしている。

現地の失敗を忘れると、次の観測で同じ場所を違う顔で読み違えるからである。


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