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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第九章 一九七九年 高山帯湖面上における局所放電および尾根風異常の予備調査
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第二節

**一九七九年八月二十七日 ラーン氷河湖東岸、尾根肩の観測点にて**


高山の観測で最も腹立たしいのは、天候が悪いことではない。

悪ければ悪いで、今日は何も見えないと諦めがつく。

本当に困るのは、何か起こりそうな条件だけが揃い、結局どれも半端に終わる日である。

風は変わる。

雪粉は流れる。

湖面は時おり妙な色を返す。

そのくせ、対象そのものは一度も姿を与えない。

研究者の気持ちだけが先へ走り、記録はいつまでも決め手を持たぬまま厚くなる。

この日がまさにそうだった。


朝のうち、ミレナの案内で東岸の尾根肩へ上がった。

昨日、ホルストが示した「風の寄る線」を、今度は下からではなく横から見るためである。

湖の東端から尾根の肩へ向かう斜面は、見た目より歩きにくい。

礫の下に古い氷が残り、踏むとわずかに沈む。

ところどころに雪渓の舌が残り、その縁で風が回る。

ミレナはそうした地面をいちいち見ずに歩く。

ドワーフ系の者は山地に強いと一括りに言うのは好きではないが、少なくとも彼女の足は、どの石が信用できるかを最初から知っているようだった。


尾根肩へ着いた時には、空はまだ高く晴れていた。

だが晴れているからといって、視界がよいわけではない。

高山の空気は澄みすぎて、遠近の手がかりを消すことがある。

すぐ向こうの岩棚が遠くのように見え、遠い尾根の雪筋が手を伸ばせば届きそうに見える。

私はまず双眼鏡を出さず、裸眼で雪粉の流れだけを追った。

昨日の帯は、やはり今日もそこにあった。

尾根全体ではなく、ごく限られた肩の上でだけ、細かな雪粉が横へ引かれる。

しかもその下方、湖の東端寄りの水面では、風紋の向きが周囲と少し違う。

何かが確かに、尾根から湖へ向かう細い通路を作っているように見えた。


「見えるでしょう」

ミレナが言った。

「ええ。だが、風そのものの癖とも言えます」

「それはそうです」

彼女はあっさりうなずいた。

「だから皆、竜だのただの風だの、好きなほうを言うんです」


この返しはありがたかった。

地元の協力者が最初から竜だと決めつけていると、こちらの観察まで引っぱられる。

だがミレナは、現象の寄り方だけは認めつつ、その意味づけを急がない。

山の仕事を長くしている人間には、そういう慎重さを持つ者が時々いる。


午前の観測では、大きな成果はなかった。

雪粉の線は何度か現れ、消え、また少しずれた位置に戻る。

だがそのたびに、帯の中心はほぼ同じ高さへ集まる。

私は簡単な図を何枚か描き、時刻と雲量と風の体感をつけた。

一度だけ、尾根の向こうで鈍い金属音のようなものが聞こえたが、落石かもしれず、記録には保留とした。

高山では音の扱いにいつも困る。

谷が一つ違うだけで、距離も材質も見当が外れるからだ。


正午過ぎ、ようやく具体の痕跡が一つ見つかった。

尾根肩の少し下、風が削った裸岩の棚に、大きな擦れ跡があったのである。

爪痕ではない。

もっと幅広く、硬いものが一度だけ重く滑ったような跡だ。

岩肌の白っぽい風化面が剥がれ、その下の暗い石が細長く露出している。

人為ではない。

金具や荷具でつくような位置ではなく、そもそもここまで人が何かを引き上げる理由がない。

山羊の滑落跡とも違う。

蹄の点ではなく、もっと面で触れている。


私はしゃがみ込み、その周辺を細かく見た。

擦れ跡の脇に、黒褐色の短い繊維が一本だけ付いていた。

毛にも見えるが、羽軸の裂けた先にも見える。

指先でつまむと予想より硬く、しかし完全な羽毛ほど軽くない。

私は紙へ包み、位置を記した。

これが対象のものだと証明する術はまだない。

だが、少なくとも高所の骨だけでなく、「何か大きなものがここへ体を触れた」痕は得られたことになる。


午後、雲が増えた。

高山の雲は、平地のそれより早く判断を迫る。

すぐ崩れるのか、ただ流れるだけなのか、その見極めを誤ると帰路が面倒になる。

ホルストなら観測優先で残りたがったかもしれないが、ミレナは引き際が早かった。

「今日はこれ以上上へ残らないほうがいい」と彼女は言い、私も従った。

この判断が正しかったかどうかは分からない。

ただ、三十分もしないうちに尾根の上で霧が厚くなり、雪粉の線どころではなくなったので、少なくとも愚かではなかったと思う。


観測所へ戻る途中、私は少し気が立っていた。

何かが寄っている。

それは分かる。

だが対象の輪郭だけがいつまでも出ない。

こういう時、人はしばしば、現象のほうを本体にしてしまいたくなる。

竜は見えないが、風と放電だけを研究対象と呼べば話は済む。

しかしそれでは、山羊の骨が高すぎる棚へ集まる理由も、尾根肩の擦れ跡も、全部別々に放り出すことになる。

私はそうしたくなかった。

面倒でも、一つの生きものの生活圏として繋がる可能性を、もう少しだけ保っておきたかった。


夕方近く、観測所の裏でホルストと一緒に湖面を見ていると、唐突に放電が起きた。

昨日より近い。

湖の東端、尾根肩の真下に近い位置で、青白い筋が水面から斜めに立ち、すぐ消える。

音はほとんどない。

しかし今回は、その直後に湖面の上へ大きな影が走った。


私は反射的に双眼鏡を上げた。

影は雲ではない。

雲影ならもっと幅が広く、湖全体へ柔らかく落ちる。

これは狭く、速く、しかも水面に対して妙に低い。

水面ぎりぎりを何か大きいものが横切ったかのような影だった。

ところが実体は見えない。

見えるのは影だけで、その主は尾根の向こうか、雲の下か、どこか別の高さにいる。

私はこの瞬間、自分がまた「見えたもの」へ引っぱられかけていると感じた。

影だけを見て竜だと言うのは簡単である。

だが影しかないなら、なおさら慎重であるべきだ。


「今のを見たか」とホルストが言った。

「ええ。だが本体は見ていません」

「本体なんか、俺だって見てない」


この会話は、少し気持ちを落ち着かせた。

観測者が二人いて、どちらも同じ限界を認める。

それだけで、記録は少し健全になる。


その夜、私は観測所の机で、ここまでをかなり率直に整理した。


一、尾根肩から湖東端にかけて、風帯・雪粉移動・湖面放電が繰り返し寄る細い線が存在する。

二、同帯の高所棚では、大型生物由来を疑わせる擦れ跡と、毛または羽枝に似た硬い繊維片が確認された。

三、湖面放電の直後、実体を伴わぬ大型影が湖面上を横切ったが、本体視認には至らず、雲影・地形影との区別は完全でない。

四、したがって現段階では、竜種相当の大型幻獣候補を排除しないが、断定の材料は不足している。

五、今後は高所骨集積地点の確認と、尾根肩直下の岩棚の利用痕を優先して調べる必要がある。


これは、私自身にとってもやや歯がゆいまとめだった。

だが、歯がゆさを隠しても山は喜ばない。

ラーンでは、今のところ「竜がいる」と書くより、「竜と呼ばれてきた条件が寄っている」と書くほうが、まだ正直に思えた。


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