第二節
**一九七八年六月十三日 グレーヴァルト蒸気地上縁、午前から夜にかけて**
昨夜の観測は、記録としては不満の残るものだった。
何かを見た気はする。
しかし、見たものが蒸気と影と反射の組み合わせを越えて、本当に一個の生きものだったかと問われれば、まだ頷けない。
こういう場合、研究者はしばしば二つの過ちのどちらかへ落ちる。
一つは、見えた気がしたものを過大に信じること。
もう一つは、確証が弱いからという理由で、そこにあったかもしれないものまで最初から退けてしまうことだ。
私はできればそのどちらも避けたかった。
そのため、この日は観測の中心を少しずらした。
昨夜は廃浴舎跡の石段と壁際ばかりを見ていたが、今回はまず蒸気地そのものの「通れる場所」と「通れない場所」を読むことにしたのである。
人でも獣でも、ある帯だけを繰り返し使うなら、姿が見えなくても地面のほうへ何らかの偏りが出るはずだ。
温泉地帯では、その偏りが土や泥ではなく、鉱物沈着の削れ方や、湿りの残り方として現れる。
見慣れていないとただの汚れにしか見えないが、逆にそこへ線があると分かってしまえば、以後は景色全体の読み方が変わる。
午前のうち、私は蒸気地の上縁を半刻ほどかけて横に歩いた。
硫気孔と析出地のあいだには、見た目より固い場所と、踏むとすぐ薄く沈む場所がある。
蒸気は低い風に押されると、地面を這うように帯を作り、その帯の縁でだけ草が不自然に短くなる。
私はそうした帯の外側を中心に見た。
すると昨夜の足跡と腹擦れのような筋が出ていたのとよく似た箇所を、さらに二つ見つけた。
どちらも、蒸気そのものの中心ではない。
蒸気が薄まり、沈着が固まりきらず、表面だけがまだ湿っている帯である。
しかもその筋は、どちらも直線ではなく、浅い弧を描いて岩陰へ入っていた。
この「弧」が気になった。
単に最短距離で横切る小獣なら、もっと雑に直線を取ることが多い。
だが、蒸気の濃い場所を避けながら、しかし完全には離れないような線を何度も選ぶものがいるなら、それはこの土地の熱と湿りをかなりよく知っていることになる。
私はそこへ細い木片を立て、夕方に蒸気がどう流れるかを同じ位置から見比べることにした。
昼過ぎ、湯治宿の裏手で、湯の運びをしている中年の女と話をした。
彼女は目撃談そのものは持っていなかったが、浴場の戸締まりをする立場から、別のことを知っていた。
「夜の遅い湯は、時々ぬるくなるんです」
「源泉が不安定になる?」
「違います。流れているのに、手前の溝だけ先に冷える時がある」
これは面白かった。
源泉そのものではなく、流れの途中だけが一時的に熱を失う。
地形的に説明できぬことではないが、もし蒸気地の外れを何かが繰り返し通るなら、温かい水や小動物の寄る場所へ影響していてもおかしくはない。
もっとも、ここで安易に「対象が湯を冷ます」などと書くつもりはなかった。
温泉地では、自然変動の幅だけでも十分に大きいからだ。
ただ、観察すべき条件がもう一つ増えたことだけは確かだった。
夕方、私は昨夜とは逆に、廃浴舎跡を見上げる位置ではなく、蒸気地上縁の岩陰から、石段の脇と湯溝の流れを斜めに見る位置を取った。
こうすると、石面の反射そのものは見えにくくなるかわりに、蒸気の帯の低さと、壁際の濡れ方がよく分かる。
昨夜の失敗の一因は、私は見え方に引っぱられすぎていた。
今夜は、まず「何が変わるか」より「どこが変わりやすいか」を見るつもりだった。
最初の一時間は、驚くほど退屈だった。
蒸気は立つ。
湯は流れる。
石は濡れる。
時々、湯治客の咳が遠くから聞こえる。
それだけである。
私は二度、自分が昨日より臆病になりすぎているのではないかと思った。
観測に失敗した翌日は、しばしばこうなる。
何を見てもまず誤認を疑いすぎ、かえって何も拾えなくなるのだ。
だが、こうした慎重すぎる時間も必要だろうと自分に言い聞かせた。
見たいものに急いで寄るよりはましである。
変化は、日が完全に落ちたあと、気温が一段下がってから始まった。
私が朝立てておいた木片のうち、二本の周りだけ、蒸気の流れが急に低くなったのである。
帯が消えるのではない。
地面から離れず、岩の縁を撫でるように横へ伸びる。
しかも、その帯の先にある湯溝の水面が、ほんのわずかに鈍くなった。
灯の映り方が弱まる、とでも言うほうが近い。
ここで私は初めて、昨夜の「像の遅れ」が単なる石面の問題ではなく、蒸気の高さと流れの変わり目で強くなるらしいと気づいた。
その直後、帯の外縁で、小さなものが一つ跳ねた。
鼠だった。
蒸気地には珍しくない。
だが次の瞬間、その鼠は不自然な方向へ消えた。
逃げるなら岩陰へ入るところを、まるで足元の薄い湯煙へ吸われるように、壁際へ寄って消えたのである。
私はそこで初めて、昨夜見た黒い短い影が、ただ通っただけでなく、何か小さなものを追っていた可能性を考えた。
数拍遅れて、壁際の濡れた石が、またあの「遅れ」を作った。
柱ではない。
今度は湯溝の縁の影が、実際より半歩ぶん外へずれて見える。
私は目を細め、しかし身を乗り出さなかった。
そしてようやく、昨夜より少しだけ長く、その黒いものを見た。
体は低い。
胴は短くはないが、長すぎもしない。
四肢はある。
前肢と後肢の長さに極端な差はなく、むしろ低い姿勢を保ったまま、小さな段差を横へ拾うように動く。
猫のような柔らかさはない。
イタチほど細くもない。
頭部は蒸気で崩れて見えたが、耳らしき突起が丸く低い。
そして何より妙なのは、輪郭の一部が、石面の遅れた像と繋がって見えることだった。
つまり、見えている本体と、そのすぐ外側の遅れた影が、別々でありながら同時に一つの動きをしている。
これは動物の体表の問題というより、体の持つ熱か湿りが、蒸気と反射面へ局所的な差を作っているのかもしれなかった。
私はその瞬間、形を言い当てるのをやめた。
何に似ているかを考え始めると、そこで観察が止まる気がしたからだ。
ただ、対象は湯溝の縁を一度だけ辿り、鼠の消えた壁際へ鼻先を向け、それから廃浴舎の内側ではなく、上手の蒸気帯のほうへ戻った。
戻った、というのも正確でない。
蒸気へ入って消えるのではなく、蒸気の低い帯に沿って、こちらの目から抜けたのである。
そこに至って、私はようやく「蒸気そのものの中にいる」のではなく、「蒸気の外縁だけを使うもの」を見ているのかもしれないと思い始めた。
ところが、この観測には続きがあった。
対象が見えなくなってから、ほんの短い間を置いて、もう一度だけ石面の遅れが出たのである。
私は反射的に別個体を疑った。
しかし、黒い影は見えない。
出たのは遅れだけで、その外に本体らしきものはなかった。
これは、先ほどの個体がまだ近くにいたのか。
あるいは別の、もっと見えにくい個体がいたのか。
それとも私の見ている像のほうが遅れて残っていただけなのか。
今の段階では分からない。
ここで「二個体いた」と書くのは、早すぎる。
だが「完全に単独」と言い切るのもまた、観測を越えてしまう。
私はノートへ、少し迷ってこう書いた。
**再度の像遅延あり。本体視認なし。同一個体か、別個体か、残留的な見え方か判定不能。**
煮えきらない。
だが今夜の事実はその程度にしか掴めていない。
正直に言えば、昨夜よりは進んだが、断定できることはまだ少ない。
温泉地帯の蒸気地は、対象の姿より条件のほうが先に見えてくる。
そして、その条件の中に人間の見誤りそのものも含まれている。
研究者にとっては厄介この上ないが、こういう章が一つくらいあってもよいだろうと、私は少し思い始めていた。




