第一節
**一九七八年六月十二日 グレーヴァルト山間湯治場着**
温泉地の調査は、森や海岸の調査とは別の難しさがある。
山の湧水や蒸気そのものは自然現象として珍しくない。湯煙に人影が揺れて見えることも、濡れた石が灯を歪めることも、磨かれた浴場の石面が像を二重に返すことも、個別には十分起こりうる。
したがって、ここで何か異常があるとしても、それは最初から「ありふれた見え方の延長」と区別できる形では現れない。
この種の土地で私がいつも厄介に思うのは、その点である。
奇妙なものがいるとしても、まずは奇妙さの大半が土地のほうに帰せられてしまう。
グレーヴァルトは、古い湯治場としてはかなり大きい部類に入る。
谷あいに沿って宿が並び、石造りの共同浴場が二つ、少し上手に廃れた浴舎跡が一つ、さらに奥の斜面には硫気孔と白い鉱物沈着を帯びた蒸気地が続いている。
湯治客の多くは関節や肺を悪くした者で、夏前のこの時期は年寄りが多い。
日中は湯の匂いと湿った木の匂いが谷にこもり、夜になるとそれへ硫黄と冷えた石の匂いが混じる。
景色としては落ち着いている。
だが、落ち着いて見える土地ほど、人の見間違いが長く居つくことがある。
大学の依頼文は今回、いよいよ私向きというより理学部向きだった。
**「蒸気地帯における鏡像遅延および局所視覚誤差の反復報告について、その環境条件を調査せよ」**
鏡像遅延。
ずいぶん器用な語をひねり出したものだと思う。
現地では誰もそんな言い方はしない。
旅館の番頭は、紹介状を見てすぐにこう言った。
「湯気の向こうで、人が一人多く見えるやつでしょう」
この時点では、私はかなり疑っていた。
湯気、湯面、磨かれた石、夜の灯。
条件は十分すぎるほど揃っている。
湯治客は疲れており、年寄りも多く、夜更けの廊下や浴場では互いの足音も紛れやすい。
まず誤認を疑うのは当然だった。
私はそのつもりで宿帳と滞在記録を見せてもらい、目撃の時刻と場所を大まかに拾った。
興味深かったのは、証言が一致しないことそれ自体より、一致しない部分の偏りである。
「女に見えた」という者がいれば、「獣のようだった」と言う者もいる。
「窓に映った」と言う者がいれば、「湯気の切れ目に立っていた」と言う者もいる。
だが全員に共通していたのは二つだけだった。
一つ、必ず単独で見ていること。
二つ、見たあとで振り返ると、足元の石が妙に濡れていたという点である。
単独性。
これは重要だった。
集団で騒ぐようなものではない。
また、目撃が浴場の中心ではなく、その外れ、つまり廃れた浴舎跡と蒸気地へ続く石段のあたりへ偏っているのも気になった。
湯治場の怪談にしては、人の多い大浴場より、人のいなくなる境目のほうへ寄りすぎている。
私はこの時点で、「ただの見間違いで終わらない可能性」を、ひとまずノートの端へ書き留めておいた。
午後、共同浴場の管理人に案内されて、問題の石段と廃浴舎跡を見た。
浴舎跡は半壊しており、屋根は落ち、床石の半分は苔と鉱物沈着に埋もれている。
壁面の下半分だけが妙に滑らかで、熱い蒸気が長く撫でてきたことが見て取れる。
石段の脇には浅い湯溝があり、常に温い水が流れ、その外側に白い析出物が縁どっていた。
一見して不快ではない。
むしろ古びた浴場跡としては、きれいに残っているほうだ。
だが、近づいてみると妙だった。
石の磨耗が、人の足の通る向きと少し合わないのである。
階段の中央ではなく、脇の壁際の石ばかりが、低い位置で広く擦れている。
人が手をついて通るのにしては低すぎる。
水だけでこうなるなら、もっと均一に削れるはずだった。
「狐か何かじゃないですかね」
管理人はそう言った。
私はその場では否定しなかった。
実際、谷あいの湯地には小獣も来る。
温い水へ寄る鼠や、そこを狙う狐、時にはカワウソに似たものもいる。
ただ、壁際の擦れの高さがどうも落ち着かない。
小獣にしては幅があり、人の衣服にしては低い。
こういう時、研究者は「見覚えのある何か」へ急いで寄せたくなる。
私はその誘惑を意識して、むしろ保留のまま次へ進んだ。
その夕方、廃浴舎跡の裏手にある蒸気地まで登ってみた。
ここは湯治客はあまり来ない。
硫気孔が点在し、地面の一部は薄く、踏むと不気味な空洞音を返す。
蒸気は常に同じ場所から立つわけではなく、風と湿りで帯が揺れ、数歩先の岩がふいに消えたり現れたりする。
こうなると、目撃証言が食い違うのも当然ではあった。
私はしばらく、対象ではなく蒸気そのものの動きを見ていた。
帯はまっすぐ上がらない。
岩の温度差に沿って横へ這い、草地の縁で急に薄くなる。
そのせいで、人影に似た柱が立つことがある。
人間はこういう時、つい「人の形」を見てしまう。
ところが、その蒸気地の外れで、少し気になるものを見つけた。
白い沈着の上を、小さな獣の足跡が何本か横切っていたのである。
鼠やイタチのものと見えなくもない。
だが、足跡の終わり方が妙だった。
途中までは明瞭なのに、蒸気の薄い帯を越えたところで急に消える。
地面が硬くなったわけではない。
むしろ少し湿っている。
それなのに、痕だけがそこでなくなる。
私はしゃがみ込み、角度を変えて見た。
すると、足跡が消えたのではなく、上から薄い鉱物膜がもう一層かかっているだけだと分かった。
つまり、その小獣は蒸気地を実際に横切っている。
問題は、その膜の削れ方が足跡だけでなく、その脇に細い腹擦れのような筋を伴っていた点だった。
蛇ではない。
この高さと帯の太さは、むしろ低い胴体を引く獣に近い。
だが四足獣なら、足跡のあいだへこれほど一定の筋が出るのは不自然でもある。
私はそこへ定規を当て、位置を図へ落とした。
これが対象の痕跡と決めるには早い。
しかし、少なくとも蒸気地の外れを「何か」が一貫して使っている気配はあった。
その晩は、浴場跡の石段を見下ろす半壊廊下で、最初の観測を行った。
管理人は若い使用人を一人つけると言ったが、私は断った。
人が増えると足音と咳払いが増え、観測そのものが鈍る。
それに、今回は誰かと並んで見ていると、かえって「二人で同じものを見た」安心が先に来てしまいそうだった。
単独性の対象を見ようとする時、観察者の側も単独でいたほうがよいことがある。
観測は、率直に言ってうまくいかなかった。
湯気は多く、湯面の反射は絶えず揺れ、浴舎跡の石壁は灯を何度も返す。
一度、廊下の柱の向こうに何か灰色のものが立ったように見えたが、次の瞬間には自分のコートの裾が湿った石へ映っただけだと気づいた。
また一度は、石段を上がる足音が二人分に聞こえ、身を起こしたが、実際には湯溝へ落ちる滴りが壁でずれていただけだった。
こういう失敗を重ねると、自分の観察そのものが信用できなくなってくる。
私はその感覚を、正直にノートへ書いた。
蒸気地の観測では、誤認を除くことが観測の半分を占める。
そして今夜の私は、まだその半分の手前にいる。
ただ、何もなかったわけではない。
夜半近く、蒸気の帯が一度だけ低く流れ、廃浴舎の壁際を舐めるように細くなった時、石段の脇の濡れた石に、はっきりと「像の遅れ」が出た。
人影ではない。
廊下の柱の影が、柱本体より半歩ぶん遅れて見えたのである。
しかも、それは湯面の反射ではなく、磨かれた石面にだけ起きた。
私は立ち上がりかけたが、そこで足を止めた。
石面の端、影の遅れのさらに外に、ごく低い位置で黒いものが一度だけ横切ったからだ。
犬ほどではない。
大きな猫ほどか、それより少し小さい。
胴は低く、脚は短く見えた。
ただし、その輪郭は蒸気へ半分溶け、どこまでが体でどこからが影か、まるで分からなかった。
私はその時、確かに「何かいた」と思った。
だが、何を見たのかは書けない。
そういう観測だった。
生きものだった可能性は高い。
しかし、確証を持って形を言い立てれば、それは今夜の私の願望を混ぜることになる。
私は結局、ノートへこうだけ記した。
**廃浴舎壁際、蒸気低流時、像の遅れの外縁に中型獣様の短時間通過あり。種判別不能。誤認の可能性なお高い。**
この書き方は煮えきらない。
だが今回ばかりは、その煮えきらなさのほうが事実に近い。
グレーヴァルトの蒸気地では、見えたものより、見え方の条件のほうが先に輪郭を持つ。
私はそこから始めるしかないと思った。




