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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第七章 一九七七年 旧市街高所構造物周辺における夜間残響異常および屋上影像誤差の調査
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第三節

**一九七七年十月九日 染物工房裏の低棟、川沿い屋根列にて**


旧市街の夜は、静かになるほど単純になるわけではない。

むしろ人の動きが減るにつれて、残る音の性質だけがはっきりしてくる。

遅くまで焚かれる工房の炉、川面へ返る水音、樋を伝う遅い滴り、遠くの鐘、鳩箱の中の羽擦れ、寝床を変える猫の爪。

都市に棲むものが高所を使うなら、こうした「残る音」のあいだを縫っているはずで、完全な静寂そのものを求めているわけではあるまい。

私は北角楼でそのことを少し学んだ気がしていた。


この日の調査では、対象が角楼から抜けたあとの線を確かめるため、川沿いの染物工房の裏手へ入った。

昼のうちに建築係の紹介で工房主へ話を通し、夜の作業が終わったあとの低棟に上がる許可を得てある。

染物工房は旧市街の中でも熱と湿りの残り方が独特で、夜更けても石壁が冷えきらず、屋根裏の梁には蒸気と染料の匂いがしみ込んでいた。

人間には不快な残り香でも、都市の幻獣にとっては通路の目印や、採食地の条件と結びついている可能性がある。

人の営みの近くにいるものほど、人の嫌うものを平然と地図へ取り込む。


工房主の娘が、低い声でこう言った。

「夜に屋根を歩くなら、川のほうを見ていてください。あれは鐘楼から来るというより、水を見に来るようなので」

私はその表現に興味をひかれた。

前二夜の観察では、対象は明らかに高所線を伝っていた。

しかし都市での生活が移動だけで終わるはずはない。

待機、見張り、採食、若い個体の退避。

それぞれ別の場所があるのなら、水辺の工房地帯は十分に候補となる。


観測点に選んだのは、染物工房の裏棟と隣の倉のあいだに渡された古い点検板の脇だった。

下は細い水路で、工房から流れた温い水がゆっくり川へ落ちていく。

棟の高さそのものは北角楼ほどではないが、川沿いへ向けて屋根が段々に落ち、その先に樋、物干し梁、倉の庇、古い橋台の上屋根が続く。

つまり、対象が角楼から川へ下るなら、ほぼそのまま一本の帯として使える構造になっていた。


セルヴィンも途中まで同行したが、夜番の巡回があるため、観測そのものは私一人で行った。

都市での単独観測は本来あまり好まない。

だが高所の狭い線を共有する人数は少ないほどよいこともある。

人間が一人増えるだけで、屋根は余計に鳴り、匂いも増え、影も複雑になる。

今回ばかりはその不利のほうが大きかった。


夜半前、街路の人影がほぼ絶えたころ、最初に変わったのは川だった。

流量が増えたわけでもないのに、水面の返す音だけが少し柔らかくなる。

石造りの水路で、音が柔らかくなるというのは妙だが、実際そうとしか感じられない。

北角楼で「石が木になる」と夜番が言ったのと似ていた。

材質の感じ方だけが半歩ずれる。

私はここで、対象が都市の構造物を通るとき、響きの材質認識そのものに影響を与えているのではないかと考えた。

鐘の余韻だけでなく、樋や石樋の返す倍音のどれかが、通過線に沿って削られているのかもしれない。


その直後、倉の庇の陰にいた鳩が、一羽だけ場所を変えた。

逃げるのではなく、低く、梁の裏へ入る。

鳩というものは、落ち着いている時ほど大きく動かない。

その一羽だけが先に隠れたのは、上の線を何かが通る合図として十分だった。


成体は、予想したとおり北角楼側から来た。

しかし角楼で見た時よりも、ここでは動きがさらに低い。

棟木の頂ではなく、樋の付け根、庇の立ち上がり、壁際の影といった、下から灯が当たりにくい線を選んでいる。

体つきの印象も少し変わった。

高所では細長く軽く見えたものが、低い屋根列ではもっと胴のある獣に見える。

前肢は短いが、思った以上に器用で、樋の縁へ軽く指をかけて体を止める。

顔は依然として細い。

ただ、鼻先を前へ突き出すより、横へ振って匂いを拾う動きのほうが目についた。

川や工房の湿りを、視覚より先に嗅覚で読んでいるのだろう。


若い個体は二頭いた。

昨夜、角楼の陰でちらりと気配だけあったのは見間違いではなかったらしい。

一頭はすでにかなり線を覚えており、成体から半棟ほど遅れて同じ庇列を使う。

もう一頭は明らかに未熟で、棟の継ぎ目で一度足を止め、下の水路を覗き込むような動きをした。

その時、成体が短く二音を返した。

北の森でも似た長短の違いを見たことがあるが、ここでもやはり、一音は方向修正、二音は停止か注意の強い指示に近いのかもしれない。

未熟な個体はすぐに顔を上げ、下を見るのをやめて壁際へ寄った。

高所を使う若いものは、どこでも「下」を見たがるらしい。

そして成体は、それを嫌う。

理由は単純で、線を外すからである。


私はここで、対象がこの川沿いへ何をしに来ているかを知りたかった。

待機か、採食か、それとも単に別の通路へ抜けるだけか。

答えは思ったより早く出た。

成体が工房裏の排水樋の下で止まり、頭だけを水路の暗がりへ差し入れたのである。

続いて、未熟な若い個体ではなく、もう一頭の大きい若年個体がその脇へ来て、同じように下を覗く。

次の瞬間、水面で小さく何かが跳ねた。

魚ではない。

おそらく温い排水へ寄った川鼠か、小型の水鳥の雛に近いものだろう。

成体は身を投げるほどの大きな動きはせず、前肢だけをひらりと差し込み、すぐ引き上げた。

獲物ははっきりとは見えなかったが、嘴ではなく手で取る動きであることだけは分かった。


この一挙で、対象の都市での生活の輪郭がかなり変わった。

彼らは鐘のあとをただ歩いているのではない。

高所線を伝って、水辺の温い残りへ降り、そこで小さなものを拾う。

人間の工房が残す湿りと熱が、都市の夜の餌場を作っているのだ。

旧市街という環境への適応として、非常に都市的である。


成体は獲物をその場で食べきらなかった。

短く咥え直し、いちど未熟な若い個体のほうへ顔を向ける。

すると若い個体が近づき、しかしすぐ受け取れず、樋の縁へ前足をかけたまま躊躇した。

ここで大きいほうの若年個体が横へ入り、成体の手元を覗き込む。

家族群内の順位があるのか、あるいは単に大きいほうが先に覚える段階なのか。

断定は早い。

だが少なくとも、ここで行われていたのは単純な採食ではなく、若い個体に対する採食機会の共有か、方法の提示に近いものだった。


その時、下の街路で戸がひとつ閉まった。

大きな音ではない。

しかし未熟な若い個体はすぐに身を引き、棟木の影へ戻った。

成体は逆に動かなかった。

一瞬だけ耳を街路側へ向け、そのあとで獲物を大きい若年個体へ渡した。

この反応差も記録に値する。

年齢によって、人間の生活音への許容量が違うのだろう。

都市に棲む以上、それを学ぶこと自体が生活史の一部になっているはずだ。


私はそのやりとりを見ながら、ようやくこの種の「鐘のあと」という呼び名の意味を理解しかけていた。

鐘は単なる合図ではなく、人の時間がひとつ切り替わる印なのだ。

鐘が終わるころ、鳩は位置を変え、工房は火を弱め、人の出入りが減り、水路には温い排水だけが残る。

対象はその時間の移ろいを利用して出てくる。

つまり彼らが従っているのは鐘の音そのものではなく、鐘のあとに訪れる都市の短い隙間なのだろう。


成体と二頭の若い個体は、採食のあと、しばらく同じ低棟に留まった。

未熟な一頭は終始壁際を離れず、大きい若年個体だけが成体のあとを追って樋から庇へ戻る。

この個体差は、年齢差として扱うのが自然に思えた。

もしそうなら、この群れでは、屋根線の移動、待機、採食、人間音への耐性が、段階的に学ばれていることになる。

都市に適応した幻獣にふさわしい、きわめて細かな成長の仕方である。


やがて三頭は川沿いの屋根列をさらに南へ下り、古い橋台の上屋根へ消えた。

私は追わなかった。

橋台より先は街灯が多く、人の夜行もまだ残る。

こちらが移動すれば、観察より攪乱のほうが大きくなる。

今回の調査で必要だったのは、北角楼の待機場所と、川沿い低棟の採食利用とが一本の線で結ばれていることの確認だった。

その点では、これで十分である。


観測後、工房の裏で記録をまとめながら、私は次のように整理した。


一、対象は北角楼裏の待機場所から川沿い低棟へ移動し、排水樋・水路周辺で小型獲物を採食する都市適応性の夜行性幻獣である可能性が高い。

二、少なくとも成体一頭と、成長段階の異なる若い個体二頭が確認され、家族単位での通路共有と採食学習が示唆される。

三、若い個体は高所線の選択だけでなく、人間生活音への反応にも明瞭な段階差を示し、都市環境への適応が経験学習を通じて獲得される可能性がある。

四、いわゆる鐘の余韻異常は、鐘そのものより、鐘後に生じる都市時間の切り替わりと、対象の出現時刻・移動線が重なることに由来する公算が高い。

五、したがって本種の生態を理解するには、高所通路・待機場所・採食場所を別々でなく、一連の夜間生活圏として記述する必要がある。


私は仮称の**鐘後走獣**をすぐには改めなかった。

だが少しだけ、名前が現象へ寄りすぎているとも思い始めた。

彼らは鐘のあとに現れる。

しかし実際には、鐘が鳴る以前から、都市の高みにできる時間の隙間を読んでいる。

より生活に近い名が要るのかもしれない。

ただ、名は後でもよい。

記録が先だ。

都市ではとくに、名前を先に定めると、伝承と実際の境が曖昧になる。


次に必要なのは、昼の痕跡である。

夜にどこを使うかはかなり見えてきた。

ならば朝になって、彼らがどの程度その線を痕跡として残すのかを調べたい。

都市の高所は毎日人が直し、掃き、通り抜ける。

その中でなお残るものがあるなら、それはかなり確かな習性に違いない。


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