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ロバート教授の幻獣生態調査記録  作者: ロバート・クロフト
第六章 一九七六年 海食断崖帯における局所風向差および観測旗挙動の不一致事例に関する予備調査
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第一節

**一九七六年五月十七日 北西海岸、アウレイン岬着**


海沿いの断崖地帯では、地図の上の線と、実際に風が通る線とが一致しないことが多い。

湾の入り方、岩棚の張り出し、崩れた斜面、草の寝方、波の返し方。そうしたものが少しずつ空気を曲げ、同じ岬の上でも、歩く者の帽子を飛ばす風と、海鳥の翼を支える風とが別のものになる。

人間はたいてい地面に立って風を測るが、空を使う生きものにとっては、断崖の縁そのものが一種の地形図なのだろう。


アウレイン岬は、そのことを初日からはっきり教える土地だった。

海岸線は切り立ち、灰白色の岩が波へ落ち込み、その上に低い草地と古い石積みが続いている。岬の先端には、今はほとんど使われなくなった観測塔が一本、内側の高まりには修道院の廃墟が残っていた。建物の形はすでに半ば崩れ、壁と回廊の一部だけが風の中へ立っている。

それでも塔と修道院の位置関係を見るだけで、この土地の人間が何を頼りに海と向き合ってきたかは分かる。

高みに立って遠くを見ること。

風の変わり目を早く知ること。

海鳥の動きを読むこと。

そしておそらく、時にそこを渡る自分たちではない影を、見なかったことにすること。


大学から届いた依頼は、今回も実に大学らしかった。

**「海食断崖帯における局所風向差および観測旗挙動の不一致事例に関する予備調査」**

要するに、岬の上の風見と、実際に飛ぶものの線が合わないので見てこい、ということである。

現地の者はそんな言い方はしない。

港の荷揚げ場で最初にその話を振ったとき、年嵩の漁師は私の顔を見て、

「鐘より高く滑るやつのことか」

と言った。

その表現は気に入った。

形を断言せず、しかし現象の核だけは外していない。


岬の下の小さな港町では、この対象をいくつかの名で呼んでいた。

**風の獣**。

**高棚の影**。

あるいは、**返らぬ翼**。

どれも正確な分類名にはならない。だが、地元の呼び名というものは、たいていその生きものの「見え方」より「困り方」か「忘れられなさ方」をよく表す。

今回はそのどちらでもなく、どうやら「風の中で人間の目が外される感じ」だけが先に残っているらしかった。


午前のうちに、岬の管理を任されている老人を訪ねた。

修道院跡の脇に建つ低い石の家で、一人暮らしをしている。名をブラナーという。背は曲がっているが声は強く、話しぶりには、海沿いの年寄りに特有の、余計な言い換えを嫌う硬さがあった。

彼は私の紹介状を見てもとくに驚かず、暖炉脇の椅子を顎で示してから言った。


「見るだけなら、塔へ上がるより先に海鳥を見ろ」

「どのあたりを?」

「断崖の真下じゃない。上がる縁だ。鳥が一度、そこでやめる」


この「やめる」という語が、ひどくよかった。

飛ばなくなるのではなく、上昇のしかたを変えるのだろう。

樹冠渡りの時に鳥が横へ逃げたように、今回もまた、対象そのものより先に周辺の生きものが「空の使い方」を変えるのかもしれない。


ブラナーの話では、現象が出やすいのは春の終わりから初夏へかけて、海霧が薄く、陸の草地がよく暖まる時期だという。午前は出にくく、風が海から陸へ押し返し始める午後遅く、とくに断崖の上で雲の影が遅くなるように見える日がよいらしい。

私はその一言に少し引かれた。

影が遅くなる。

地元の者の比喩としては珍しく、かなり具体だったからだ。


「見たことは?」

そう訊くと、ブラナーは火掻き棒を一度だけ灰へ当ててから答えた。

「何度も。だが、見えたと思った時の半分は、たぶん風を見ている」

この返答は、私が欲しかった種類のものだった。

対象の存在を断言しながら、同時に見え方への不確かさも手放していない。

よい目撃者は、たいていそういう話し方をする。


昼過ぎ、岬の東斜面から断崖の縁を下見した。

草地は一見なだらかだが、縁へ寄ると急に足場が消え、下は海鳥の糞で白くなった棚が幾段も続く。風は地上では弱く感じるのに、断崖の縁へ出ると膝の高さから急に持ち上げてくる。人間の体は押されるだけだが、翼のあるものなら、そこでまったく別の世界が始まるのだろう。

私は双眼鏡を上げ、まず海鳥だけを見た。

黒と白の細長い鳥が、海面近くを流れ、ある高さでふっと上昇をやめる。

上昇をやめる、というのは正確でない。

むしろ、そこから先は別の手順へ切り替わる。

翼を大きく打たず、風へ身体を任せるように横へ流れるのだ。

私はその高さを、塔の中腹よりやや下、と見積もった。


その日のうちに対象そのものを見ようとはしなかった。

こういう土地では、初日の焦りが観察を荒くする。

断崖、海鳥、風旗、雲影、古い修道院の位置。それらを一度同じ視野へ入れておかないと、あとで「見えたもの」だけが独り歩きしてしまう。

私は岬の塔の足元へ座り、風見布の向きと、海鳥の旋回の線を一時間ほど見比べた。

すると、奇妙なことが分かった。

布は海からの風を示しているのに、鳥はその少し外側、岬の張り出しの先で、まるで別の上昇を使っていたのである。

つまり大学が言う「観測旗挙動の不一致」は、現象の中心ではない。

人間の旗が地面の風しか測っておらず、空を使うものの風を見ていないだけかもしれない。


夕方近く、修道院跡の回廊で、古い記録を少し見せてもらった。

ブラナーが保管しているもので、修道院がまだ機能していたころの簡単な気象書き付けや、海難祈祷の日誌が混ざっている。字は読みにくかったが、断片的に興味深い記述があった。

**「五月の終り、鐘楼より高く白きもの二つ、風下に返らず。」**

**「雛らしき影は棚より上がれず、親らしきものこれを横へ導く。」**

後者の一文で、私は手を止めた。

若い個体が、上昇気流をまだうまく取れない。

成体がそれを上へではなく横へ導く。

もしこの記録が誇張でなければ、対象は単なる孤立した飛行獣ではなく、つがいか家族単位で断崖の風を共有していることになる。


その晩は、観測塔の下で海を長く眺めた。

海霧はなく、波頭も低い。空は晴れているのに、断崖の沖だけ、雲の影が妙にゆっくり岩壁を渡るように見えた。

風のせいだろう。

おそらくその説明で十分なのだろう。

それでも私は、その影の遅さを見ながら、古記録の「親らしきものこれを横へ導く」という一節を思い出していた。

この章の対象がいるとして、それを最初に確かめるべきなのは形ではない。

風の縁で、若いものが失敗するかどうか。

成体がどのようにそれを修正するか。

そこを見れば、単なる大きな影と、生きものとしての秩序との違いが出る。


手帳へ、私はこう記した。


**本件は飛行そのものより、断崖風の読み方を対象がどのように共有しているかを主として見るべきである。見える影だけを追うと、風を生きものと誤る。**


---


### 一九七六年五月十八日 アウレイン岬観測塔上、午後の観測


朝のうちは何も起こらなかった。

海鳥は多く、風も安定している。断崖の下の棚では白い鳥が騒ぎ、沖では黒い細翼のものが水面ぎりぎりを渡る。だが「異常」と呼ぶべきものはない。

私はこの時間を使って、塔の高さから海鳥の上昇線を何度も見た。

人間の観測では、こういう地味な確認が後で効く。

普通の鳥がどこまで真っ直ぐ上がり、どこで旋回へ切り替え、どのくらいの高さで陸側の風へ乗るか。それを先に目へ入れておかねば、対象が出た時にどこが違うかを言い立てられない。


午後、陽が傾き始めるころ、海からの風が少し変わった。

強くなったのではない。むしろ岬の上の草は、見た目には朝より静かだった。

だが塔の上では、頬の片側だけを持ち上げるような流れが断続的に来る。

私はこの種の風を、地上の言葉で説明するのが苦手だ。前から吹くのでも横から吹くのでもなく、「上へ落ちる」とでも言うほうが近い。

空を使うものには、それが道になるのだろう。


最初に異変を示したのは海鳥の群れだった。

断崖の中ほどで旋回していた二十羽ほどが、ある高さで一度だけ全体を横へずらしたのである。逃げるのではない。場所を譲るような動きだった。

私は反射的にその上を見た。

何もいない。

ただ、岬の沖へ伸びた薄い雲影の下で、空の色が一部だけ少し濃く見えた。


次の瞬間、その濃さが動いた。

鳥ではない。

翼を打たない。

長いものが一枚、いや二枚、空から切り出されたように、断崖の縁に沿って滑った。

私は思わず望遠鏡を固定し直した。


対象は、鳥類の飛行というより、滑空器に近かった。

翼は広いが、単純な羽ばたきの面ではない。前縁が硬く、後ろへ向かって細かな裂けがあるように見える。羽毛か膜かは距離のせいで断じられない。

胴は思ったより短く、首は長くない。頭部は鋭く突き出ず、むしろ風を割らぬよう低くまとめられている。

尾は二股か、それに近い分かれ方をしており、滑空線の微妙な修正に使っているようだった。

大きさは海鳥とは比較にならない。

翼を広げた横幅だけなら、人が腕をいっぱいに広げて二人分、あるいはそれ以上あるかもしれない。

だが大きさ以上に印象的だったのは、その「軽さ」だった。

重い体を風で支えているのではなく、風のある場所だけを拾って次へ送っている。

そういう滑り方である。


一頭目のあと、少し遅れてもう一頭が現れた。

こちらはわずかに小さい。

つがいか、成体と若い個体か、その時点ではまだ判断できなかった。

二頭は同じ高さを通らない。

大きい個体が断崖の縁ぎりぎりを使い、小さいほうは半段下で、上昇の帯に乗り切れず一度だけ翼を深く揺らした。

その瞬間、大きい個体がわずかに外側へ膨らみ、風の縁を横へずらすような線を取った。

私はそこで、前夜読んだ古記録を思い出した。

上へではなく横へ導く。

まさに、その動きだった。


小さい個体は成体の作った外側の線へ入り、そこでようやく安定した。

上へ急がない。

断崖の正面から吹き上がる強い風へ真正面から乗るのではなく、その端の、少し弱く長い流れへ移されたのである。

これは若い個体の訓練か、あるいは飛行条件の厳しい日の補助か。

いずれにせよ、偶然の並走では説明しにくい。


「見えましたか」

塔の下からブラナーの声がした。

私は返事をせず、目を離さなかった。

返答より観察を優先すべき数秒だった。


二頭はそのまま沖へ出ず、断崖の縁を沿うように南へ滑った。

途中、岬の張り出しで風の筋が一度切れる。

海鳥なら大きく羽ばたくか、高さを失う位置だ。

ところが成体はそこを斜めに落ちるように抜け、小さい個体も少し遅れて同じ線をなぞった。

ここで私は、彼らが単に上昇気流へ乗っているのではなく、断崖沿いの「落ちる風」まで含めて道としていることを理解した。

人間が危険とみなす気流の切れ目を、彼らはむしろ進路変更の継ぎ目として使っている。


観測は十分ほど続いた。

二頭が最後に向かったのは、岬から少し離れた海食棚の上部だった。巣のような構造は見えない。だが岩棚のひさしの陰へ、一度だけ大きい個体が消え、その直後に小さいほうもそこへ降りた。

休止棚。

ブラナーが言っていた「高棚」という呼び名は、おそらくこの種の場所を指すのだろう。

巣かどうかはまだ分からない。

少なくとも、若い個体を伴って風を読むには都合の良い、半ば隠れた棚がある。


観測後、私は岬の縁へ下り、海鳥の動きを改めて見た。

対象が通った帯の海鳥だけが、一時的に高さを下げ、通常の旋回圏を広げていた。

襲われた反応ではない。

むしろ、空の使い方の違う大きなものへ場所を譲っただけに近い。

この関係も興味深かった。

大型滑空幻獣が海鳥の群れを脅しているのではなく、同じ断崖風の中で、別の層を使い分けているのかもしれない。


その夜、記録を整理しながら、私は次のようにまとめた。


一、対象は大型の滑空性幻獣であり、少なくとも成体一頭と、やや小型の個体一頭が同時に確認された。

二、二頭は同一の風帯を単純に共有するのではなく、成体がやや外側・上側を取り、小型個体をより安定した横の流れへ導くような飛行を示した。

三、したがって本種の生態を理解する上では、飛行能力そのものより、断崖風の層構造とその教示・追従行動の観察が重要である。

四、いわゆる「風向異常」や「影の遅れ」は、気象現象単独ではなく、本種が利用する上昇・下降帯の見え方と人間側の観測位置の差から生じている可能性が高い。

五、海食棚上部に休止または育幼に関わる棚が存在する公算が高い。


まだ早いが、私はこの対象を手帳の中では仮に**風棚滑空獣**と記すことにした。

いかにも暫定的で、決して美しい名ではない。

だが少なくとも、風を読むこと、棚を使うこと、滑空を主とすることの三点は外していない。

正式な種名を考えるのは、若い個体の飛行の段階や、繁殖期の行動がもう少し分かってからでよい。


明日は潮の条件が変わる。

ブラナーによれば、海霧が薄く出る日は、若い個体が高く上がらず、断崖の内側を使うという。

もしそれが本当なら、成体との差がさらによく出るだろう。

飛行種の調査は、姿を見たことそのものより、風が違う日にどのように線を変えるかを見るところから本番になる。


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