第三節
**一九七四年九月十二日 東方低草地手前、半塩地の窪み**
夜のあいだに風が変わった。
乾いた高原では、風向きひとつで朝の景色の意味が違ってくる。前夜まで西から吹いていたものが、明け方には南へ回っていたらしく、野営地の周囲に積もった細かな砂が、荷と靴の片側だけを薄く曇らせていた。ハーリドはそれを見て、今日は群れが低草地へ深くは入らないだろうと言った。理由を訊くと、塩地の縁に風が残る日は、見張りの個体が高みに寄るのだという。
この地方の案内人は、獣そのものより、まず風と地面の癖から話を始める。私はその順序を好ましく思う。生きものだけを見ようとすると、土地の側の理屈を忘れやすいからだ。
明るくなるとすぐ、私たちは前日よりさらに東へ回り、低草地へ下る前の半塩地の窪みへ出た。
白土ほど照り返さず、赤土ほど硬くもない、中途半端な地面である。表面には細かなひびが入り、そのあいだへ塩に焼けた草が短く残る。
私はこういう場所を注意して見るようにしている。
人間には使いにくく見えるが、群れにとっては移動と休止の中間にあたることが多い。実際、ほどなくして、前夜より新しい痕跡がいくつも見つかった。
足跡は十一頭分までは追えたが、その先は重なって判別しにくくなった。
少なくとも群れは一つではない。
前日遠望した群れに、別の小群が合流した可能性がある。もっとも、それが本当に群れの合流なのか、地表の見え方のせいでそう見えるだけなのかは、まだ慎重であるべきだった。
私が注目したのは、個体数よりも歩き方である。
この朝の足跡では、いくつかの個体が意図的に硬い地面ばかりを選び、他がその少し後を柔らかい縁へ散っていた。
先導と追従、というほど単純ではない。むしろ、地面の状態を複数の個体がそれぞれ別の線で確かめながら、群れ全体の幅を保っているように見える。
大型草食獣でここまで散開しながら秩序を保つものは、現実の家畜化された群れにはまず少ない。
窪みの中央で、レイムが小さく声を上げた。
彼の指先の先にあったのは、擦れたような跡だった。
蹄跡ではない。膝をついた痕でもない。
地面の表面だけが、幅広く、浅く磨かれている。
最初は荷を引いた痕かと思ったが、ここを人の車輪が通ることはないし、一直線でもない。弧を描くように二本、互いに寄っては離れて続いている。
私はしゃがみ込み、手袋越しに触れた。塩気を帯びた粉が指へつく。
ハーリドがそれを見て言った。
「首を下ろして振ったんでしょう」
「採食の時に?」
「たぶん。あるいは砂を払った」
それは考えうる説明だった。
長い首を持つ大型草食獣なら、地表すれすれまで頭を下ろし、左右へ払うだけでこうした痕を残しうる。だが私が引かれたのは、その跡がただの採食にしては整いすぎている点だった。左右の振れ幅がほぼ等しく、しかもその先に若い草の株がまとまっている。
単に食べたのではなく、表面の塩や乾いた粉を払い、その下の柔らかい部分だけを選んでいるのかもしれない。
もしそうなら、彼らは水や草だけでなく、塩の付き方そのものをかなり細かく見分けていることになる。
午前の後半、私たちは低草地へ降りず、その手前の礫帯で待つことにした。
今回の調査では、見える位置へ自分から踏み込むより、群れがどの線で上がり下りするかを先に見るべきだと判断したからである。
低草地は一見穏やかだが、ところどころに踏み抜きやすい湿りが隠れている。人間が不用意に入れば、群れの実際の通路を荒らすだけでなく、自分たちも動きを失う。
研究者の失敗は往々にして、対象へ近づきすぎたことではなく、対象より先に土地へ負けたこととして起きる。
待機は長くなった。
乾いた高原でじっとしている時間は、歩いている時よりずっと難しい。光が強すぎて距離の感覚が鈍り、何も動いていないように見える地表が、実際には絶えず熱を上げ下げしている。
レイムは最初のうち落ち着かなかったが、昼を回るころにはこちらのやり方を理解したらしく、双眼鏡ではなく、地面の縁の変化を見るようになっていた。若い助手にそうした癖がつくのは悪いことではない。遠くの珍しいものばかりを見たがる観察者は、たいてい足元の証拠を踏み潰す。
変化は、午後の光が少し傾き始めたころに来た。
まず、礫帯の向こうの白地が、昨日より低く揺れ始めた。熱そのものはむしろ弱くなっているのに、地平のごく浅い位置だけが、水面のように薄くほどける。
ハーリドが目を細める。
「来ます」
彼がそう言った直後、黒い点が一つ、二つ、三つと浮いた。
前日までと違ったのは、今回は群れ全体ではなく、先に高い位置の個体だけが見えたことだった。
見張り役である可能性が高い。
やがて、その左右に低い影が増えた。
六頭、九頭、十一頭。
だが双眼鏡で追うと、数はどうにも確定しない。影は二つに割れたり、一つに重なったりし、足元が消える瞬間がある。
私はここで、個体数を数えるのをいったん諦め、隊形だけへ注意を向けた。
すると一つ、はっきり分かることがあった。
群れは、低草地へ真っ直ぐ下るのではなく、必ず半塩地の窪みの上をゆるく弧を描いてから進路を変えるのである。
つまり、今朝見つけた圧痕や擦れ跡の位置は偶然ではない。
彼らは毎回ほぼ同じ地点で速度を落とし、地表の塩と草の状態を確かめている。
その時、群れの前縁にいた一頭が、斜めに首を振った。
私は思わず身を乗り出した。
あの動きは、今朝見た擦れ跡の作り方と一致する。
個体は口元を地面へ近づけ、左右へゆっくり掃くように振り、そのあとでようやく短く草を食んだ。
食事というより、下見に近い。
ハーリドが低く言う。
「塩を見ています」
私はうなずいた。
見ている、というより、味と匂いと地面の湿りを一度に読んでいるのだろう。だがその言い方で不都合はなかった。人間が地図を広げるのに近い動作なのかもしれない。
次の瞬間、群れの後方から、若い個体らしき二頭が急に駆けた。
走る、といっても家畜のような乱暴さはない。跳ねるというより、長い脚で地表を試すように軽く前へ出て、また元の線へ戻る。
その動きにつられて、影が増えた。
実際に二頭しか前へ出ていないのに、揺らぐ白地の上では、四頭にも五頭にも見える。
私はようやく、人々が「遠くへずれる群れ」と呼ぶ理由の一端を、はっきり理解した。
彼らの見え方は、地表熱だけではない。
若い個体の試し走りや、見張り役との距離の取り方が、もっとも影を増やしやすい場所で起きるため、観察者の側が勝手に群れを大きく見積もってしまうのである。
しかし、現象はそれだけでは終わらなかった。
群れが窪みを回り込む時、風が一度だけこちらへ寄った。
その瞬間、ごくかすかではあるが、鈴に似た音が聞こえたのである。
人工の鈴ではない。もっと低く、乾いていて、長く尾を引かない。
私は最初、隊商の荷獣が遠くにいるのかと思った。だが周囲に人の姿はない。
音は群れそのものから来ているように思えた。
双眼鏡を上げ直し、私は一頭の首元に目を凝らした。
確信は持てない。
ただ、喉から胸へかけての毛並みの一部が、歩みに合わせてわずかに打ち合い、乾いた小音を立てているように見えた。骨質の飾りか、硬い房毛か、あるいは気嚢に似た器官か。
もしそうした構造があるなら、群れは視覚だけでなく、低い接触音でも互いの位置を確かめているのかもしれない。
乾燥地で群れを維持する大型草食獣としては、きわめて理にかなっている。遠くまで響かず、しかし近い個体には十分届く音である。
レイムが小声で言った。
「先生、あれ、こっちへ来ませんか」
私は首を振った。
「来ているように見えるだけです」
実際、群れの進路は私たちの正面ではなく、その南寄りを抜ける線だった。
だが見え方の上では、数頭がこちらへ正面から近づいてくるように感じられる。
追う者が外す、というハーリドの言葉は正しかった。
この種の群れを遠くから見て不用意に歩き出せば、人は自分の位置を修正できないまま、水と時間だけを失うだろう。
私たちは結局、その日も接近しなかった。
代わりに、群れが通過したあと、完全に影が落ちてから窪みの縁へ入った。
そこには新しい痕跡が豊富に残っていた。
若い草の食痕。首を払った擦れ跡。浅く崩れた塩の皮。細長い糞塊。そして何より、若い個体のものと思われる小さめの蹄跡が、成体より柔らかい地面ばかりを選んで並んでいる。
群れは子を連れていた。
少なくとも成獣だけの移動ではない。
この発見で、私は接近を急がなかった自分の判断を正しいと思えた。若い個体がいる群れに対して、人間の観察はなおさら慎重であるべきだ。
日没後、野営地へ戻って記録をまとめた。
この日の収穫は、直接の姿を長く見たこと以上に、群れの行路の理由が少しはっきりした点にある。
彼らはただ塩地から草地へ移るのではない。
途中の半塩地で地表の状態を確かめ、見張り役が風と見通しを取り、若い個体が試し歩きで柔らかい地面を学ぶ。
その一連の行動が、もっとも影を増やし、距離を狂わせる場所で起きるため、人間には現象だけが大きく見える。
だが生きものの側から見れば、きわめて日常的な移動の手順にすぎないのかもしれない。
私は仮に、対象を**遊塩獣**と呼ぶことをノートへ書きかけ、すぐやめた。
語感は悪くない。
だがまだ早い。
名前を与えるには、彼らの頭部や群れの構成、繁殖時期についても、もう少し確かな記録が要る。
現地の名もまた、現象ばかりを映して生きものそのものには届いていない。
結局のところ、今はまだ「遠くへずれる群れ」で十分だった。
明日の夕刻は、さらに南の古井戸跡へ回る予定である。
ハーリドによれば、乾きの強い年には、群れは必ず一度、使われなくなった井戸の周囲を大きく回ってから進路を変えるという。
水がない場所をなぜ回るのか。
塩か、風か、地下の湿りか。
あるいは、見えないものを測るためか。
乾燥地の獣は、水のある場所だけでなく、水があった場所もまたよく覚えている。




