第一節
**一九七四年九月九日 南東乾燥高原、ラドリス交易町着**
乾いた土地の旅は、水の多い土地より距離の見積もりを誤りやすい。
山や森では、道の悪さや勾配が足を遅らせる。ところが高原や半砂漠では、見えているものがそのまま近いとは限らない。地平の起伏は浅く、空は広く、乾いた光は物の輪郭だけをくっきりさせて奥行きを奪う。結果として、人は歩ける距離を過信し、水の位置を読み違え、夕刻の冷え込みを軽く見る。
ラドリスへ着いた最初の印象は、その誤りに慣れた町だというものだった。
交易町というには城壁も小さく、駐屯地というには市のほうが賑やかで、定住地というには建物の半分が仮設めいている。石と日干し煉瓦の家並みのあいだへ、天幕、荷車、家畜囲い、旅籠、塩商の倉が入り混じり、どれも砂の色へ少しずつ染まっていた。風は昼に熱く、夕方には急に冷える。井戸のまわりだけがわずかに人の声を集め、町の外れへ行くと、すぐ乾いた草と砕けた白土の地面が始まる。
大学が今回私へ渡した依頼は、
「南東高原域における反復的視覚撹乱現象および交易路上の群体誤認事例に関する予備調査」
とあった。
この種の言い回しは、学者の机の上では整って見える。だが町へ着いてしまえば、誰もそんなふうには言わない。
ラドリスの人間は、それをただ**水なき水辺**、あるいは**遠くへずれる群れ**と呼んでいた。
その名を最初に聞いたのは、隊商宿の中庭である。
馬でも駱駝でもない、長脚の運搬獣が荷を下ろされ、塩袋と染料箱が積み替えられ、どこからともなく焼いた豆の匂いがする。私は紹介状を町の取次役へ見せたあと、宿の主人から一椀の薄い茶を受け取り、そのついでに噂のことを尋ねた。
主人は鼻で笑うでもなく、むしろ当然のことのように答えた。
「見たければ、まず追うのをやめることです」
「追う者が多いのですか」
「初めて来た者は皆やります。群れが見える、水が見える、鈴が聞こえる。近いと思って歩き出す。そうすると、着いた時には何もない」
この地方では、蜃気楼を大げさに語る趣味はあまりないらしい。
熱で揺れる空気も、遠くの水の見え方が当てにならぬことも、ここでは季節の一部である。その上でなお、普通の蜃気楼とは別に、あまりにも決まった場所で群れがずれ、足跡だけが残る事例が繰り返されるのであれば、それは地形以上のものを疑うに足る。
午後、町役所兼交易監理所で記録を見せてもらった。
管理官は褐色の肌をした痩せた男で、名をサディールという。書類より現場を信じる顔つきだったが、数字の扱いは丁寧で、報告簿もよく整理されていた。彼は私の依頼書をざっと読み、問題の区域を指で示した。
ラドリスから北東へ二日の行程、塩の浮いた白地と低い礫丘が交互に続く一帯で、近年とくに隊商の報告が食い違うのだという。
「水場を見失うのですか」
「いや」とサディールは言った。
「水場そのものは動きません。困るのは、群れのほうです」
彼の説明によれば、夕刻前後に限って、遠くの地平に大型の草食獣らしき群れが現れることがある。数は三頭にも二十頭にも見え、近いようでもあり遠いようでもある。追えば消える。だが翌朝になると、その見えたはずの方角とは少しずれた塩地に、大型蹄獣の足跡と食痕がまとまって残っている。
しかもこの報告は一度や二度ではなく、十年以上、時々期を置いて繰り返されてきた。
「隊商は被害を受けましたか」
「直接はありません。ただ、水を使いすぎる」
「追ってしまうから」
「ええ。あれを見た者は、たいてい次の水場を近く感じる」
その一言で、私は今回の調査の難しさを理解した。
これは単なる珍獣目撃譚ではない。人間の移動判断そのものへ干渉する種類の現象なのだ。幻獣が意図してそうしているのか、地表熱と移動経路が偶然そう見せるのかは分からない。だが結果として、隊商路の安全へ影響している以上、大学が関心を持つのも無理はない。おそらく理事会の頭には、視覚誘導だの長距離探査だの、ろくでもない応用語がすでに並んでいるだろう。
夕方、町の北井戸で、古くからこの道を行く案内人を紹介された。
名をハーリドという。年齢は五十前後か、それ以上か。乾燥地の人間は歳を読みづらい。彼は言葉少なで、紹介状にも大学の名にもあまり興味を示さなかったが、私が「現象ではなく群れの生態を見たい」と告げると、ようやく少しだけ表情を変えた。
「なら、地図はあとです」
「先に何を見るべきでしょう」
「塩の食われ方です」
この答えは気に入った。
良い案内人は、学者の質問へ正面から答えないかわりに、観察すべきものを短く教える。彼の話では、件の群れは水場そのものより、塩の浮く浅い地と、乾ききる前の草地を結ぶように動くらしい。つまり水だけを追う家畜や野獣とは違う。水分、塩分、草の芽吹き、その三つのあいだで行路を決める大型草食獣であれば、移動は広域にわたり、同時に非常に規則的でもありうる。
「見たことは?」
と私が訊くと、ハーリドは少し考えてから答えた。
「近くでは、ありません」
「遠くでは?」
「何度も。だが、見たまま信じると外します」
この地方で最も重要な知識は、見えたものをそのまま距離へ変換しないことなのだろう。
私は以前、水辺で灯火がずれて見える現象を記録したことがある。あの時も、人間は自分の慣れた知覚を信じるために誤った。今回はおそらく、乾いた光と地表熱と、そこを渡る群れの移動が、同じように人の判断を外させる。
その晩はまだ町を出なかった。
初日から夜営地へ向かうことはできなくもないが、この種の土地では到着したその日の疲れが翌朝の歩き方へ残る。私は無理をせず、交易宿の屋上で涼しくなる空気を吸いながら、北東の地平を長く眺めていた。
陽が落ちきる直前、遠くの白い地面の上へ、黒い帯が二度、ゆっくり横切った。家畜の群れに見えなくもない。だが次の瞬間には、帯は地面へ沈むように薄れ、残ったのは熱に揺れる空気だけだった。
遠すぎて、記録に値するとは言いがたい。
それでも私は、その消え方を覚えておくべきだと思った。
単に見失うのではなく、地表そのものへ折り畳まれるように消えたからだ。
手帳の端に、私はこう記した。
**この土地では、群れは「見える」のではなく、地表の熱とともに浮く。追う者が外すのは、獣を見ているつもりで、実際には地面の事情を追っているからかもしれない。**
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### 一九七四年九月十日 ラドリス北東の塩地へ向かう道
町を出たのは日の高くなる前だった。
同行はハーリドのほか、隊商宿から借りた荷獣一頭と、水袋を積んだ若い従者のレイムである。レイムはまだ二十にも満たないように見えたが、足取りは軽く、荷の重さに文句を言わない。この種の土地で本当に頼れるのは、饒舌な者ではなく、水の重さを黙って計れる者である。
ラドリスの外れを離れると、景色はすぐ単純になった。
単純になる、というのは貧しくなることではない。むしろ情報が減るぶん、わずかな違いが大きく意味を持つ。土の色が少し白い。礫の大きさが急に揃う。低い草が一方向へだけ倒れている。そうした差が、地下水の浅さや、風の通り方や、家畜が避ける地味を教えてくれる。
ハーリドはほとんど立ち止まらずに歩いたが、時おり靴先で地面を崩し、塩の浮き具合だけを見て進路を少しずつ変えた。私はその後ろで、地図より彼の足を見ていた。
正午前、最初の痕跡を見た。
乾ききった白土の縁、低い塩草の群落が途切れるあたりに、大きな蹄跡が半ば崩れた形で連なっていたのである。
家畜のものではない。駱駝や荷獣より幅が広く、蹄の先端がやや尖っている。偶蹄類に近いが、左右の開きが狭く、体重のかかり方も妙だった。踏み込みが深いのに、蹴り返しが少ない。重い大型草食獣でありながら、長く滑らず、静かに足を抜くような歩き方をしている。
数は少なくとも六頭分。
行列ではなく、ゆるい面になって進んでいた。
「家畜化は無理ですね」
思わずそう言うと、ハーリドが初めて笑った。
「皆それを考えます」
大学の理事会の顔がまた浮かんだ。
大型、群れ、長距離移動、乾燥地適応。そうした語だけで、人はすぐ利用を考える。だが足跡を見れば分かる。これは道へ従う家畜の歩き方ではない。群れの中で各個体が地面の条件を読み、自分で位置を取っている。人間の都合で縦列へ並ばせる種類のものではなさそうだった。
さらに進むと、塩地の縁に食痕が見つかった。
乾いた白土の割れ目から出た灰緑色の植物が、地表近くで一様に噛み切られている。だが根までは掘っていない。広い面を薄く舐めるような食べ方で、家畜のように同じ場所を荒らさない。
ハーリドがしゃがみ込み、切り口の高さを示した。
「背は馬より高い。首はもっと長い」
「頭数は?」
「ここへ来たのは八か十。だが見える時は倍に見えることもあります」
この言い回しが、この章の核心かもしれなかった。
実在する群れと、見える群れの数が一致しない。目撃談が食い違う理由はそこにある。問題は、そのずれが単なる蜃気楼の増幅なのか、群れそのものの移動習性がそう見せるのかである。
昼過ぎ、私たちは低い礫丘の陰で休み、水を少量ずつ分けた。
レイムが不意に遠くを指した。
「先生、あれですか」
北東の白地の縁に、黒い点がいくつも浮いていた。
数えれば十二、いや十五。だが熱の揺らぎのせいで輪郭が定まらない。立っているのか歩いているのかも曖昧だ。ただ、地平と白土の境のあたりで、群れらしきものが横へずれて見える。
私は双眼鏡を上げた。
点は細長い。背が高い。首が持ち上がっているものもある。
だが次の瞬間、白い地面の照り返しが強まり、群れは半分ほど空中へ浮いたように見えた。足元が消えたのである。
レイムが一歩前へ出かけ、ハーリドが無言でその肩を掴んだ。
「まだ遠い」
案内人はそれだけ言った。
「見えているより、ずっとです」
私たちは追わなかった。
それは臆病からではない。この土地で観察者が最初に学ぶべき礼儀だからだ。
見えた方向へ直進すると、たいてい風下と塩地の硬さを読み違える。群れの実際の行路から外れ、こちらだけが水を無駄にする。
代わりにハーリドは、群れの見えた位置と、午前に見つけた足跡と、地表の塩の浮き方を照らし合わせ、北へ半刻ほどずれた浅い窪地へ私たちを導いた。そこには、驚くほど新しい糞塊がいくつも落ちていた。まだ乾ききっていない。
つまり群れはいた。
しかもかなり近くを通っている。
ただし、見えていた位置にはいなかった。
私はここで、追跡の方向を決めた。
今回の調査では、見えたものを追うのではなく、群れが実際に使う道筋を足跡と食痕から先に復元し、その上でどのように見誤らせているのかを観察するほかない。
幻獣が目を欺くのではない。
彼らが選ぶ地形と時刻が、人間の目を結果として外させる。
そう考えるほうが、今のところはずっと筋が通る。
夕刻までに得られた確かな事実は多くない。
大型草食獣の群れが実在すること。
塩地と浅い草地を結ぶ規則的な行路を持つこと。
見えた位置と痕跡の位置が一貫してずれること。
そして、遠望すると足元が浮いて見え、数が過剰に増えて見えること。
だが研究というものは、たいていそこから始まる。確かなことが少ない時ほど、無理に壮大な説明を付けないほうがよい。
今夜は礫丘の陰で野営し、明朝の冷えた時刻から再観察を行う予定である。
乾燥地の生きものは、夕刻の熱だけでなく、朝の空気にも行動の手がかりを残す。
もし群れが本当に塩と水分と草のあいだで規則的に移動しているのなら、夜のあいだにも何らかの痕跡が整うはずだ。
見えたものを信じず、残ったものを先に読む。
この土地では、どうやらそれがもっとも早い。




