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手の甲の触れられた箇所を掻き毟り、私はその場で震えていた。均衡が不均衡に、安定が不安定に、全てが真逆に裏返る。
あっ、あああぁ、ああああああぁ、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぁ!!!!
「ちょっと、先生? 俺のお姉ーさん虐めないで下さいません? もみちゃん先輩、大丈夫?」
カタカタと震えながら横を見る。コウだった。彼は何時もと違い、目つきを尖らせて先生を睨んでいた。彼は私の素肌に触れようとはせず、あくまで制服の上から体温が移らないように、ゆっくりと背をさすった。顔を見ると悪戯っ子のようにウインクまでして来る。
「じゃ、先生。俺ともみちゃん先輩はこれで」
身を翻したコウの後を追う。職員室にいた先生が何事かと私達三人を見ていたが、彼は気にせず通り抜けて行く。そして“笑顔”と言う名の無言の圧力で、教員であることも構わず一歩後ずらせた。
そうして私達は人の視線の槍の中、職員室を後にした。
助かった……。コウが居なければ、私はその場で倒れ伏していただろう。
「有り難う……。助かった」
「こんなの何時もの事でしょ? もみちゃん達とは持ちつ持たれつの関係でありたいからね」
そう言ってニカっと口角を上げる。私にとってはとても大きな事をしてくれたように思っているが、彼にとっては造作もない事であるらしい。
彼は授業が始まるといけないからと歩き始めた。幸い、私とコウのクラスは職員室から近く、今から行けば十分間に合う。
「この借りは返すから」
コウの背を追いながら、ぶっきらぼうに投げかけた。その声に反応し、彼は僅かに目を見開いて振り返る。咄嗟に目線が下に向く私と目を合わせる為に顔を覗き込む。
接近してきたとはいえ、コウは私に触れこない。普段から馴れ馴れしい振る舞いをする事が非常に多いが、そういった境目はきちんと見定めて接してくれるのはとても助かる。
「いーよ。もみちゃん先輩が感情豊かになってくれればそれで。前は怒る事もしなかったし……」
「ごめん……」
一つ目の夜と二つ目の夜。この二つの夜は私の生活を大きく変えてしまった。一つ目の夜に私は日常を捨て、二つ目の夜には感情を捨てた。次は……きっと□□を捨てる。あの時交わした約束通り、私はきっと“見えなくなる”だろう。
それでも構わないと思える程、私にとって“彼”の存在はとても大きいものだった。一緒に居るだけで心強いし。
黙って覚悟を決め、唇を引き締める私を見て、コウは少しだけ慌てたように挙動不審になる。自分の発言が地雷だと勘違いをしたのだと思う。
「ご、ごめんね……。もみ姉……」
「コウは悪く無いよ? 悪いのは私なのだから」
コウはその返答に納得していないようだった。不服そうな顔をして前に向き直ると、距離を取るように足早に歩く。
階段の踊場まで来たときには、既にコウは次の踊場に立っていた。気配を感じたのか、振り返りると何時もの笑みを浮かべ、元気に挨拶。
「また構ってね!! もみちゃん先輩!!」
私はその声に応えなかった。ただ目を見開いて、鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしていたのだと思う。そしてコウの姿が見えなくなった所でぼそっと呟く。
「“もみちゃん”言うな」
私の名前は“紅葉”、“不知火紅葉”。今は亡き両親が私を思って付けてくれた唯一の名。彼等が私にくれたのは、これと愛情、それから鮮血のリボン。それ以外は全て掛け替えだ。




