二章[芝生と鮮血]
「やっぱり、まだダメだったね…」
紫音は本当に残念そうに肩を落とした。
大学病院から出て、近くの公園に来ていた。ここはとても広い。見渡せば犬を連れて散歩をしている人が何人もいる。子供はもう帰る時間だったのか一人もいないが、昼間なら元気に遊んでいただろう。
俺と紫音はブランコに座り、シケっていた。放置してあったせんべいみたいな感じだった。
空はオレンジ色、黄昏るにはちょうどいい時間帯か。
「…はぁ」
俺は思わずため息をついていた。
紫音はそんな俺を見て苦笑いし、目の前に広がる芝生に目線を移してから、
「…彩愛はね、蓮のことが嫌いになった訳じゃないと思うな」
「何言ってんだよ…俺は、彩愛の」
彩愛の、片方を奪った。
その言葉を、俺は口に出来なかった。
なぜかわからないけど…それを言ったら、負けた気がするから。
しかし紫音は、躊躇いもなく。
「蓮が彩愛の『右腕と右目』を奪ったって?…バカじゃないの」
「おま、ば、バカって…」
「いいえバカよ。蓮はしょうもないバカよ」
…バカなのはわかってたけど、なぜだか無性に傷つく。
「別に蓮が奪ったわけじゃない。彩愛本人もそう言っていたし、私もそう思う。確かに間接的には関わってるかもしれないけど、原因を探してそれを責めたらキリがないわ」
紫音はそこで息継ぎをした。
「あの事故は、『運が悪かった』だけ…。あなたが原因の一部なら、彩愛にだって原因はあるし、彩愛の腕を引き千切った車にも、道端に転がっていた石にも、責任が生まれちゃう」
「…でも、」
「でも、なに?」
ハッキリと、言い捨てた。紫音の口調は…苛つきすら孕んでいる。
「でもも何もないでしょ?私は事実を言ってるだけ。『でも』が入る余地なんてない」
「…」
俺は絶句した。
紫音の言っていることは『正しい』。だけど、事実だけが全てじゃない。
…これこそ、正論…?
そこまで考えたところで紫音が俺を見つめていることに気づいた。さっきまでの思考はぶっ飛んで、瞳と瞳をぶつける勢いで見つめ合う。
ふと、気がついた。
紫音の目、赤い…?光彩が赤い。日本人なら黒か、茶色が一般的だが、紫音の目は赤い。不自然なくらいに。
カラコン…ではないよな。
俺がまた食い入るように眺めていたからか、紫音は身をよじって「あ、あんまり見ないで…」と目を逸らした。
…尋ねていいのかな?
なんとなくダメな気がする。紫音とは長い付き合いなのに瞳が赤いなんて気づかなかった。
後悔というか、その色がヤケに綺麗だったから、お世辞も冗談も本気も言う気になれず、俺はまた公園の芝生に自然を落とした。
「ね、」
紫音が呟く。さっきから喜怒哀楽が激しい…今度は、楽しそうに。
「運命って、なんだと思う?」
俺の耳に確かに届いたその問いは、
「キャァアアァァアアアァ!?」
甲高い悲鳴にかき消された。
声は俺たちの右斜め前の方向、公園の出入り口がある場所から聞こえた。
俺はブランコから飛び下りて、少し湿った芝生を蹴りそちらに向かう。
紫音が後ろでなにか叫んでいるのも気にせず、体育の授業の50メートル走の時より本気で走る。
ペンギンのオブジェが2つ並んだ出入り口を飛び出すと、当たり前だが歩道に出た。悲鳴はここから聞こえたが…右手には誰もいない。慌て首を回すと、
血だ。
腹部に深々と突き刺さる凶器が肌を裂き、内臓を潰し、命を奪う。
目に入る赤が示すのは…もう、間に合わない。それだけ。
歩道にひたひたと広がり、その真ん中で倒れている女性は全く動かない。
パチャ、と静かな音が鳴る。血が跳ねる音だ。奏でたのは、真っ赤に染まったスニーカー。
男だ。雨は降ってないのにレインコートを着て、フードを被っている。右手の袖には、粘着した血糊がべったりと付いている。
アイツが、あの女性を…?
状況から見ればそうだろうが、血を被っている人物はもう一人いる。
見覚えがある…。同じクラスの女子、確か戸塚 薔薇という名前だったはずだ。頭がよくて人望も厚く友達が多い、八方美人のいい奴。そんなイメージ。
薔薇は尻餅をついて、レインコートの男を見上げて震えている。
俺も動けなかった。男の姿と、異常な状況。…血。
事故と重なる。彼女の右腕から流れる液体、転がっている腕、叫び声。
レインコートの男が、女性の腹部から凶器…コンバットナイフを無造作に引き抜く。ビクッと一回跳ねて、血も流れなくなった。
男が、薔薇の方に顔を向ける。
深淵に覗かれた薔薇は「ひっ!?」と、引きつった悲鳴を上げ、踵で地面を掻く。後退しようとしているのか。しかし…血が滑って、全く動いていない。
そうしてる間にも、白に赤のマーブル模様のレインコートを着た『殺人犯』は薔薇に近付いていく。
ナイフが揺れた。
「コロス…コロス…」
男が繰り返す。コロス、ころす、殺す…誰を?
俺は振り返り、誰もいない道を見た。横断歩道があって、信号を超えた先、太陽に熱せられた地面に横たわる、
死体。死体。死体。死体。
腹を抉られ、瞬きをすることもなく、皆うつ伏せで、血を流して…死んでる。
そうか、あの男は…『殺人鬼』なんだ。
道ですれ違う人全てに、その刃物を突き立てて。
死神…そんな言葉が脳裏を過ぎる。
あの男に会ったら、死ぬ。それが『運命』。
『運命』…?じゃあ、今から薔薇が殺されるのも『運命』なのか?甘んじて受け入れるのか、その『運命』を?
『運命って、なんだと思う?』
紫音の問いがリピートされる。問いに意味があるのか、その言葉に意味があるのか、俺にはわからない…けど、
今からその答えを、行動で示そうと思う。
男が右手のナイフを握り直し、薔薇に近づく。ゆらゆらとした動きは、『酔っている』風だ。
あのまま薔薇の前に立ち、ナイフを振り下ろせば……バッドエンド。
「…やらせるかよっ」
静かに走り出す。男が小さな一歩を進む度、俺は大股で三歩走る。
四秒走り、血に塗れた地面を踏んだ。
「オラぁッ!!」
俺はできる限りの気迫と音量で叫ぶ。男を振り向かせる為だ。
左足に力を込め、一気に間合いを詰める。同時に右腕を引き、拳を頭の高さに持ち上げる。
男が振り向いた。
ガゴッ!
…という音と共に、男がちょっと飛んだ。
俺の渾身の拳…名付けて『アンガー・パンチ』は、男の顎を抉り、そのまま吹き飛ばしたらしい。
コンマ数秒のフライトを苦しんだ男は、「ぐっ」と苦痛の吐息を漏らしながら薔薇の真横へと不時着した。
……。
「…あれ?もう終わり?」
痙攣している男を見下ろしながら、俺は呟いた。
「また、むちゃくちゃね…」
ケータイを仕舞いながら、紫音は呆れたと言ったように「呆れた」て言った。警察は直ぐに来るらしい。
「危ないじゃない。ナイフ持ってたんでしょ?ホント…呆れた」
「そ、そんな何回も呆れたって言わなくても…結果オーライだし?」
弁明する俺に向かって、紫音は細い人差し指を突き立てる。
「もし結果ダメだったらどうするのよ!」
空気の読める俺は今怒られていることがわかったので「…すいますん」と誤る。別に誤字づはない。作者のイタズラなどではない。
それは置いといて。
俺が残した結果は、もう一つあるのだ。こっちは過程こそ大事。
「…これが、俺の考えた答えだよ」
「…は?」
「『運命』の意味さ」
チラリと、のびている男を見る。
こいつが運命か…滑稽だな。
「運命なんてもの、ないよ」
紫音が目を丸くするのを確認してから。
「だいたい、運命ってなんだよ、下らない。そんなのペテン師の戯言だ…だってさ、」
ショックで気絶している薔薇を見る。胸が上下している。
「だって、彼女は…生きてる。こんなに簡単に変わるなら、運命なんてないのと一緒だ。そんな弱々しいもの、気にする方がおかしい」
さり気なく紫音の頭にぽん、と手を当てて…いやほら、
雰囲気だよね。
「だから、紫音もそんなもの気にせず『生きろ』!」
俺、良いこと言った!…みたいなことを表情に出さないよう、努めて優しい笑顔で言ってみた。
遠くからサイレンの音が響いてきて、
彼女の呟きはかき消された。
「騒がしいわね」
私より年下としか思えない母が、病室の窓から外を見ながら言った。パトカーのサイレンが、かなり近くで鳴っている。
小さな手でえっちらおっちら花瓶の花を変えていた母は、「ふぅ」と一息つくとベッドに座った。
「…蓮くんとは、まだ会ってないの?」
「会えないよ、これじゃあ」
左手で右目を覆う。カサッとした包帯の感触しかわからず、生きた心地がしない。
「蓮くんのこと、嫌いなの?」
童顔に似合わない母親らしい顔をして聞かれたら、答えるしかない。
「…ううん、違う…むしろ、」
私は手を伸ばした。蓮に向けて。不可視な壁を隔てた、彼の背中に向けて。
信号は赤だった。気づいてた。だけど、それどころじゃなかった。
待って蓮!私はそう叫んでた。
気付いた時には、腕が無くなっていた。
「むしろ、好きだよ」
「やっぱりね、あの子…お父さんに少し似て入るもの」
母さんはふふっ、と笑う。あのロリコンオヤジと蓮が似てるなら、私は無条件に蓮を嫌えるのに。
だって、好きだから。
好きだから…会いたくない。




