一章[陽炎]
初投稿ですので、温かい眼差しでお読みください。
<第一章>
左腕が吹き飛ぶのが見えた。風が吹いて体のバランスが崩れる。右腕を突き出して、空振った。そのまま右側に倒れる。
空振った右腕はそのまま、自分の背中に回ってしまった。意図せず仰向けの姿勢になって、そのまま地面に叩きつけられる。
それは自分の声だと思えないほど痛々しい悲鳴だった。
左目に異物の感触。いや、眼球がそのまま異物になったかのような。
今までに感じたことのない、不安感。状況が理解できない。左目に異物。
顔を上げると、視線の先には『あるはずのないもの』…右腕が、無造作に転がっていた。ただ、焦点が定まらずにそれが右腕かどうかも怪しいが。
ただ、わかったことが一つある。これは…
「死んだな、私」
腫れぼったい瞼を無理やり上に押しやって、枯れた目に日光を注ぎ込む。痛いくらいに満たされた。
スクールバックを左肩に担ぎ、右腕は宙ぶらりんのまま俺は歩き出した。
スニーカーを溶かすくらい熱されたアスファルトから、陽炎が立ち上がるのを一瞥する。その後は爪先だけを見つめて、馴れた道を歩くだけ。暑さだけ我慢すれば、苦もないハズの道だ。
しかし、違った。俺にとってこの通学路…正確には、その途中の交通量の比較的多い横断歩道は、陽炎と耳鳴りをより強くさせる道だ。
砂まみれのスニーカーから、ゆっくり視線を前に移す。
カーテンが揺れる。
生きた心地がしない空間だ。全部白。あっちもこっちも真っ白。
天国に一番近い場所。おばあちゃんは、そう言っていた。
全く、その通りだ。
「そういえばさ、聞いた?雑務部の話」
「なんだそりゃ」
昼休み。四時限と五時限の間にある休憩を、俺は友達の矢頭 紫音と共に昼食を採ることにより消費していた。
「なんか、体のいい使いっパシリとして有名らしい」
と、言いながらプチトマトを器用に箸で口に運ぶ紫音。なんの理由もなく、その特徴的な髪の毛を観察する。
年中ツインテール。ツインテール娘。ツインテールの申し子。アリ○。初○ミク。
膝より長い髪の毛を側頭部で縛っている。俺は紫音が髪を下ろしている姿を見たことがない。それくらい、こだわってるらしい。
どうしてなのかはわからないが。
でも、それが似合うくらい小顔で、顔立ちも整っていて、華奢で…スレンダー。こんな逸材はなかなかいない、らしい。
不躾に見つめられているのがイヤだったのか、紫音は顔をトマト色にして俺を睨む。
「な、なによ…」
「いや、別に。ただ髪綺麗だな、って」
「ッ!?」ボムン!
…紫音の頭から煙が。噴火した?顔もマグマの如き赤さ。
紫音火山。
「からかわないでよねッ!?」
ちょっと楽しくなってきた俺は、追撃することにした。
「からかってなんかないよ?本当に、綺麗な髪だよ」
うん、からかってない。髪が綺麗なのは本当だ。
しかし紫音は、面白いように照れてくれた。
俺はそれを、にこやかな表情で眺めていた。
少なくとも紫音といるときは、心が軽くなっていた。
紫音の誘いで、近所の大学病院に行くことにした。
時刻は午後4時過ぎ、学校が終わってから直接だから俺も紫音も制服だ。
身を溶かすような暑さのなか、屹立する白い建物は城のような荘厳さを兼ね備えている気すらする。
正門の前で見上げると、その白い城の存在感は俺を飲み込むほど大きくなる。入る前なのに足が震え、何もしていないのに汗が出る。
もう、何十回も来てるのにな…。きっと、彼女にあわないと、この焦燥感と喪失感は拭いきれないだろう。
紫音が病院の自動ドアを潜る。俺は紫音が開けてくれた隙間に潜り込む。
中は病院独特の薬品っぽい匂いと、反対に耳が痛くなるほどの静かで、病院にいるということをより強く意識させられた。
汗が不快だ。ゾッとするほどの冷気が体を包む。鳥肌が立った。
紫音は毅然とした態度でカウンターのナースと二言三言交わしてから「行こ」と俺を促した。
その態度が頼もしくて、自分が情けなくなった。
俺は、とことんバカで無能なクズだ。
どんなに自分を罵っても、傷つけても、それでも償いきれない罪を背負ってしまった。
この白い城にくると、その罪が重力に変わって俺を押し潰す。
いいんだ、そのまま…、
そのまま、俺を壊してくれ。
ドアが二回鳴る。時計を確認するが、まだお医者さんが来る時間じゃない。お母さんかな?と思考を巡らせていると、「紫音だよ」とドア越しのくぐもった、しかし綺麗な声が聞こえた。
私はどうぞ、と声を出そうとして、失敗した。最近マトモに声を発してなく、かすれた雑音が喉をギシギシと擦るだけだった。
しかし紫音は「入るよ」と勝手に入ってきた。まぁ、いいんだけどね。
真っ白な病室に踏み入ってきた紫音は、まず私を見て微笑んだ。私も、必死に笑おうとする。鏡がないから笑えてるかわからない。
「…レンも、入っていいかな?」
レン…。
私は慌てて首を左右に振った。ダメだ。今…いや、もう一生、彼には会えない。
多分紫音の本題は私とレンを再会させることなのだろう。「そっか」と言った彼女の顔には、若干憂いが見えた。
「ごめんね…げほっ」
よかった。ごめんねは言えた。私はたった一言喋っただけで咳き込んでしまった。だめ、余計迷惑かけちゃう…。だけど体は私に逆らって、胃散が逆流する勢いの咳きを幾つも繰り返す。
紫音が私の背中をさすってくれた。私と同じくらい小さいのに、この少女には不思議な包容力がある。
暫くすると咳も止まり、喉の調子も戻った。私はしどろもどろになりながらも紫音に話しかける。
「今日は、どうしたの?」
努めて元気に。
紫音は悪びれる風でもなく「レンと彩愛を会わせたかったんだよ。もちろん、お見舞いに来たんだけど」と語る。
いや、普通悪びれるようなことじゃない。紫音は善意で、私に彼を会わせようとしているんだ。むしろ、わるいのは私…。
「そっか、ごめん…」
もう、潰れちゃいそうだよ。
彼女の病室の前。
俺はただ、膝の震えを拳で止めながら立っているだけ。
謝ることもできない。
見ることもできない。
…届かない。
いや、違う。俺は今、鍵も掛かってない半開きのドアの前に立ってるんだ。あの、金属製の取っ手を握り、右にスライドすれば、目の前には彼女がいる。
彼女が会いたくないと言っても、物理的には拒まれてないんだ。つまり、俺が一歩進めば、意識的な境界なんてぶち破れる。
手を、ゆっくりと動かす。
彼女が拒んだって、俺が一言謝らなきゃ。どんな罵倒だって受け入れる。殺されたって構わない。
震える指先が、取っ手に触れる。
「…っ」
瞬間、触れた中指に小さな痛み。静電気だ。チリッと、本当にごく小さな、でも季節はずれな静電気。
吐き気が一気に増した。
ダメだ。やっぱりできない。俺は飛んだ愚図だ。チクショウ、チクショウ、涙が出そうだ。
思いっきり、右腕に噛みついた。
犬歯が皮膚に食い込み、穴を開ける。血が漏れ出すのも、Yシャツに染み込むのも構わず、感覚が無くなるまで。涙が落ち着くまで。…彼女が許してくれるまで?
「………」
ゆっくりと口を開けて歯を腕から抜く。数滴垂れた血は、指先を伝って真っ白な床に落ちた。
もう、なにも考えられなくなった。腕の痛みが鮮明になって、顔をしかめる。幸い涙は止まったが、俺は、結局…怖いんだ。
怖いんだ。彼女が俺をどんな目で見るのか、考えただけでも目を瞑りたくなる。彼女がどんな罵りを俺に食わせるのか、考えただけでも耳を塞ぎたくなる。
嫌だ。彼女と会いたくない。
嫌われたくない。
俺は、エゴイストだ。
自覚した瞬間、やっぱり涙が出てしまった・・・




