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22.あの夜の続き

コンコン、という音の後、応接室の扉が開いた。



エレナが、ハーブティーを持って入ってきた。

人数分のカップをテーブルに並べながら、さりげなく三人の様子をうかがっている。

その目が、アシュリードとリーゼの距離に気づいた瞬間、かすかに細くなった。


「温かいうちにどうぞ」


それだけ言って、エレナは何事もなかったように部屋の隅の椅子に腰を下ろした。

でも、その口元がほんのわずかに緩んでいるのを、リーゼは見逃さなかった。



しばらくして、ヴィンセントが扉を開けた。


「少し前に連絡を入れておいた。来てもらった」


その後ろに、引き締まった体格の男が立っていた。

黒髪に黒瞳、背筋の真っ直ぐな立ち姿。

それだけで、ただ者ではないとわかった。



「セルド」


アシュリードが立ち上がり、短く呼んだ。

その声に、長い信頼の重みが滲んでいた。


「アシュリード殿下」


セルドは頷いてから、室内をゆっくりと見渡した。

その目が、カイルで止まった。

次に、リーゼで止まった。


静かに、しかし迷いなく、セルドは膝を折った。

床に片膝をつき、深く頭を垂れる。


「カイル殿下、リーゼ様……ご無事で」


その声が、かすかに震えていた。

誰も何も言わなかった。

夜の応接間に、セルドの言葉だけが静かに残った。


カイルが「席へ」と促し、全員が腰を落ち着けた。



「セルド。あの夜、何があったのか、聞かせてもらえますか」


カイルの声は静かだった。

でもその目に、強い意志があった。


セルドはしばらく黙っていた。


それから、ゆっくりと話し始めた。



「あの日、国王陛下から伝令がありました。北の村が賊に襲われたため、急ぎ鎮圧せよ、と」


セルドの声は低かった。


「部隊を率いて城を出ました。しかし村に着くと、何かがおかしかった。

賊の痕跡がない。被害の規模も、報告とまるで違う」


セルドの拳が、ゆっくりと握られた。


「嫌な予感がしました。すぐに引き返せと命じ、城へ戻りました。……ですが、遅かった」


「戻った時には、城が燃えていました。

村が襲われたという偽の情報を流したのは、ガルドでした。

俺たちを城から引き離し、手薄になったところを攻め落としたのです」



セルドの声が、わずかに震えた。


「咄嗟に街民を避難させ、部隊の数人を友好国サルデアへ走らせました。

……そして、俺は一人で城へ戻りました」



その場の空気が、重く沈んだ。


「城の中には、多くの仲間が倒れていました。そして——妻が、いました」


リーゼの頭に、一瞬、映像が浮かんだ。

亜麻色の髪。震える手。

「泣かないで、リーゼ様」という声。


——待って。


「……セルド」


リーゼは、セルドの言葉が終わる前に口を開いていた。


「奥様の名前は、ソレアですか」


セルドの体が、かすかに揺れた。


「……ご存知でしたか」


リーゼは答えられなかった。

知っていた。ずっと知っていた。ただ、言葉にするのが怖かっただけで。


あの人は、騎士団長の妻だった。

あの夜、城に残ったのは——わたしを守るためだけじゃなかった。

夫が戻ってくる場所を、守ろうとしたのかもしれない。


そう思ったら、涙が止まらなかった。



「ソレアが……わたしを逃がしてくれました」とリーゼは言った。


「あの人がいなければ、わたしは——」


「知っています」とセルドは言った。

「妻は、あなたのことを大切に想っていました」


リーゼは唇を噛んだ。


「妻や仲間を弔いたかった。

ですが、まだ敵軍が城に残っていたため……後ろ髪を引かれる思いで、妻のそばを離れました」


夜の応接間が、さらに静かになった。

リーゼはしばらく何も言えなかった。


ソレアは死んだ。

わかっていた。

ずっと、どこかでわかっていた。あの扉が閉まった瞬間から。


それでも、声に出されると違った。

知っているはずの言葉が、初めて体の中に落ちてくる感じがした。

胸の奥のどこかに、重い石が置かれたみたいに。


「わたしのことは忘れてもいい。でも——生きてください」


あの言葉の意味を、リーゼはずっと考えないようにしていた。

考えたら、答えが出てしまうから。


自分を逃がすために命を賭けた人が、もういない。

そしてその夫は、妻の死を見届けることもできないまま、国民のために戦い続けてきた。



「セルド、あの夜のことを、話してくれてありがとうございます」

セルドが、深く頷いた。


しばらくして、カイルが口を開いた。


「セルド。俺はガルドの後継ぎとして城で育ちました。外で何が起きているか、何も知らなかった」


セルドがカイルを見た。


「重税をかけられ、自由を奪われ、それでも王家の帰還を信じている人たちがいる。

その人たちのそばにいられなかったことが——悔しい」



カイルの声は静かだったが、その目に力があった。


「俺はまだ、ガルドの後継ぎとして動かなければならない。

でも——心は、ヴェルダと共にあります」



セルドはしばらくカイルを見ていた。

それから、深く頭を垂れた。


「……ありがとうございます」



リーゼも立ち上がった。


「ソレアは、わたしの命の恩人です。

その人の夫が、ヴェルダのために戦い続けてくれていた。それが——どれほどありがたいか」



セルドが顔を上げた。その目に、涙が光っていた。


「妻も、きっと喜んでいます」


夜の応接間に、静けさが戻った。

星が、窓の外で静かに輝いていた。



リーゼは夜空を見上げながら、思った。

ソレア、見ていますか。

わたしは、生きています。あなたが守ってくれたから、ここにいます。


だから今度は、わたしが守る番です。




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