19.血のつながりより深いもの
どこかで物語を読む声が聞こえる。
――むかし、ヴェルダの大河には精霊が宿っていました。
精霊は川の底の深いところに住んでいて、ふだんは誰の目にも見えません。
でも、王家の血を引く者だけは、その存在を感じることができました。
精霊は不思議な力を持っていました。
王家の血を引く者の瞳に、星のような紋様を映すことができたのです。
……ソレアの声だ。
私が好きだった、ヴェルダ伝記。
その心地よい声に、ぽかぽかとした温かさを感じる。
――光の加減によって浮かび上がるその紋様は、まるで夜空の星が瞳の中に宿ったようで、とても美しかったといいます。
そして、精霊は約束をしていました。
紋様を持つ者がこの大地にいる限り、川は輝き続ける。
民の暮らしを支え、花を咲かせ、土を豊かにする。
でも、紋様を持つ者がこの地からいなくなった時、精霊は眠りにつく。
深い川底へと沈んでしまう。
ドーン、と大きな轟音が響いた。
不安と恐怖で、からだが自然と震える。
家族は無事だろうか。ソレアは。
皆の元へ行きたいのに、からだが動かない。
——だから、むかしの人々はこう言い伝えていました。
精霊が眠る時は、星が消えた時。
精霊が目を覚ます時は、星が戻ってきた時と。
誰か助けて——!
はっと目を開けると、汗をかき、荒い息遣いでベッドの上にいた。
白い木の天井。梁が一本、横に走っている。
何度も見てきた、見慣れた天井のはずだった。
夢だったのかとほっとする。
けれど、見慣れた天井がいつもと違って見える。
自分が変わったのか、世界が変わったのか。
ただ、これまで自分の中にあった靄が、すっかり消えていることだけは分かった。
その時、扉が開いてエレナが入ってきた。
「リーゼ! よかった、目が覚めたのね」
エレナの声には、いつもより深い悲しさが滲んでいた。
リーゼはその顔を見て、安堵が広がる。
「……エレナ様」
エレナはベッドのそばに座り、リーゼの手を両手で包んだ。
何も言わず、汗を拭い、優しく手をなでてくれた。
しばらくして、ヴィンセントが入ってきた。
椅子を引いてリーゼの横に座り、静かに口を開いた。
「話せるか」
リーゼは頷いた。
ヴィンセントは、全てを話してくれた。
川で倒れていたリーゼを見つけ、家へ連れ帰ったこと。
子どもに恵まれなかった二人が、養女として育てる決断をしたこと。
ヴェルダを侵略したのがラクリア帝国であること。
そしてリーゼがヴェルダ王国の第一王女であること。
「兄が侵略を計画していると知った時、止めようとした。
だが聞き入れられず、城を追い出された。
お前を連れ帰った数日後に、ヴェルダ侵略の報せを聞いた」
ラクリア帝国。
自分が今、住んでいる国。
ヴィンセントが弟として仕えてきた皇帝が治める国。
アシュリードの、父が治める国。
砲声の夜、城を燃やしたのは——あの国だった。
「お前が第一王女かもしれないと思ったのは、川で発見した時だ」
最初からヴィンセントは、リーゼがヴェルダ国の王女だと気付いていたことに驚く。
「身につけていたものを見て、わかった」
「……身につけていたもの?」
「ピアスだ。晶石でできていた」
リーゼは思わず、自分の耳に触れた。
いつも身につけている、ピアス。
「晶石は、ヴェルダの大河にしか産出しない。
そして王家の血を引く者だけが、特殊な細工を施した装飾品を身につけることを知っていた」
リーゼは黙って聞いていた。
「確信したのは、お前が庭で初めて笑った時だった」とヴィンセントは続けた。
「ヴェルダには昔から伝わる話がある。
王家の血を引く者の瞳に、晶石の光が当たった時——星のような紋様が浮かぶと」
「……ヴェルダ伝記の、精霊の話」とリーゼは小さく言った。
「知っているか」
「はい。私が好きな伝記です」
「晶石に反射した光で、お前の瞳に紋様が浮かんだ。それを見て、間違いないと思った」
ヴィンセントが話し終えて、部屋が静かになった。
リーゼはしばらく、エレナに握られた自分の手を見ていた。
「お二人は、最初からご存じだったのですね」
ヴィンセントが「ああ」と答えた。
短い言葉だった。
リーゼは、その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと痛んだ。
「リーゼ、黙っていたのは申し訳ないと思っている。
だが、本当の娘の様に大切に想っていたことは事実だ」
刺繍が上手なのは、エレナ譲り。
本を読むのが好きなのは、ヴィンセント譲り。
この家で、二人と過ごした日々はとても幸せだった。
「知っていながら、わたしを——」
声が震えて、言葉が続かなかった。
ヴィンセントが「リーゼ」と呼んだ。
「私たちは血のつながりはない」
その声は穏やかだった。
「だが、俺たちにとって、お前は大切な娘だ」
エレナが「そうよ」と言った。
「最初からそう思っていたわ。あなたに会った、あの日から」
リーゼは、涙が止まらなかった。
ショックだった。
分かってはいたが、本当のお父様、お母様ではないということが。
そして、本当のお父様、お母様、そして兄は、もうこの世にはいないことが。
でも同時に——この人たちが、ずっと自分を愛してくれていたことが、嬉しかった。
リーゼはゆっくりと口を開いた。
「……お父様」
ヴィンセントが、息をのんだ。
「お母様」
エレナが、手をぎゅっと握り締めた。
「ありがとうございます。ずっと、そう呼びたかった」
ヴィンセントは何も言わなかった。
ただ、珍しく困ったような顔をして、それからやわらかく笑った。
エレナは、泣きそうな顔でほほ笑んだ。
そして、こらえきれなかった涙が静かに頬を伝った。
リーゼはそっと自分の涙をぬぐった。
「……大丈夫です。もう平気です」
ゆっくりと息を整え、まっすぐ前を見つめる。
「話をしなければいけない人たちがいます。アシュリード様と……カイルと」
ヴィンセントが静かに頷いた。
「二人は応接間で待っている。
心配していたからな。……行って、しっかり話してこい」
その言葉に、リーゼは大きくうなずいた。




