17.焦り
カイルが動き始めた。
その情報が入ったのは、秋の終わりのことだった。
レインが持ってきた報告書を読みながら、アシュリードの顔から笑顔が消えた。
カイルが、リーゼの存在を調べている。
ヴィンセントの屋敷の周辺を調査させているという情報が、反皇帝派の貴族から入ってきた。
父ガルドが城へリーゼを呼んだ理由もまだ分からない。
本当にただ一目見たかっただけなのか。
だが、カイルが動き始めたことと無関係とは思えなかった。
嫌な予感が、背筋を冷たく撫でる。
まずい。
アシュリードは椅子を押しのけるように立ち上がった。
「レイン」
「はい」
「今すぐ出る。視察だ」
レインは何も言わなかった。ただ素早く準備を始めた。
アシュリードは視線を落とし、報告書を握りしめた。
紙がわずかにしわを作る。
カイルのことは、ずっと気になっていた。
父ガルドが息子だと言って連れてきた子を見た瞬間、リーゼの弟であると分かった。
しかし、咄嗟に真実を知っていることを隠した。
リーゼの家族が、生きている。
ヴェルダ王家の血を引く第二王子。
ひそかに彼のことを見守りながら、同行は常に確認していた。
——同行者、行動、周囲の人間関係。
ガルドの後継ぎとして育てられながら、カイルがどちら側の人間なのか、最後まで掴めなかった。
ただ、賢い子だということだけは分かっていた。
父の身勝手な政策により家族を失い、不当な扱いを受けてきたことへの申し訳なさを抱えながらも、カイルの目が、自分の嘘も、ラクリアの愚かさも、すべて見透かしているように思えて、アシュリードはまっすぐ目を合わせることができなかった。
敵か、味方か。
その答えが出ないまま、時間が経った。
でも今、カイルがリーゼの存在を嗅ぎ始めている。
答えが出る前に動かれては困る。
もしカイルが皇帝派の人間なら、リーゼの存在が知られてしまう。
それだけは、絶対に避けなければならなかった。
アシュリードは馬にまたがり、ヴィンセントの屋敷へ向かう道を急いだ。
最悪の場合を想定する。
カイルがリーゼに近づいていたら。
リーゼが何かを話していたら。
いや、リーゼは自分の出生を知らない。
だから何も話せない。
それでも、不安は消えなかった。
屋敷の手前の道に差し掛かった時、人影が見えた。
少年だった。
アシュリードは馬を止めた。
銀色ではない。金よりの茶色の髪。
まだ幼いが、背筋が真っ直ぐで、立ち姿に揺るぎがない。
カイルだった。
屋敷の門を見つめたまま、動かずに立っていた。
アシュリードは馬から降りて、カイルに近づいた。
足音に気づいたカイルが振り返る。
緑の瞳が、アシュリードを捉えた。
アシュリードは笑みを浮かべず、そのままカイルの前に立った。
「何をしている」
思ったより低い声が出た。
カイルは表情を変えず、まっすぐにアシュリードを見ていた。
「視察です」
「この辺りに、視察する場所があるとは知らなかった」
「新しく見つけました」
落ち着いた声。
動揺の色がない。
この子は、嘘をついている時でも顔色が変わらないのか。
アシュリードは一歩、カイルに近づいた。
「この屋敷に何の用だ」
「……兄上には関係ありません」
関係ない。
その言葉が、刃のように刺さった。
「カイル。お前はどこまで知っている」
「知っているとは? それより、いつもの仮面はどうしたのですか」
「今そんなことはどうでもいい。俺の問いに答えろ」
カイルはしばらく黙り、逆に問い返した。
「兄上こそ、どうしてこちらへ?」
今度はアシュリードが黙った。
互いに一歩も引かず、どちらが先に隙を見せるかを探っているのが分かった。
自分の回答ひとつで、相手が有利になる可能性がある。
ピリピリとした空気が、二人の間に張り詰めていった。
その時だった。
「アシュリード様?」
声がした。
二人同時に振り返った。
屋敷の門の前に、リーゼが立っていた。
庭仕事をしていたのか、エプロンをつけて、手に園芸用の手袋を持っている。
不思議そうな顔でこちらを見ていた。
アシュリードの呼吸が、一瞬だけ止まった。
すぐにカイルへ視線を戻すと、これまで微動だにしなかった彼の瞳が、わずかに揺れたのが分かった。




