15.もらってばかり
城へ呼ばれたのは、春の終わりのことだった。
ヴィンセントから「皇帝陛下がお会いになりたいとのことだ」と告げられた時、リーゼは思わず首をかしげた。
皇帝が、なぜ自分に。
あまりに突然のことで落ち着かない気持ちになったが、ヴィンセントは詳しい理由を教えてくれなかった。
ただ、彼が 皇帝ガルドの弟 であることだけは話してくれた。
街の外れでひっそり暮らし、使用人もいない家で育った自分が、まさか貴族の家にいたとは思いもしなかった。
アシュリードは、ヴィンセントの甥にあたる。
ということは——
頭の中にいくつもの疑問が浮かんだが、ヴィンセントの表情がどこか固いことに気づき、リーゼはそれ以上何も聞けなかった。
城は、思っていたより大きかった。
石造りの壁が高く、廊下が長く、歩くたびに靴音が冷たく響く。
その空気に、リーゼの緊張はじわじわと強まっていった。
謁見の間に通されると、玉座に大きな男が座っていた。
値踏みするような鋭い視線がリーゼに向けられ、思わず息を呑んだ。
「ヴィンセント、数年前に養女を迎えたと報告は聞いたが、なぜすぐ来なかった」
「兄上に意見し、城を出た身。
ましてや政務でお忙しくされていたため、落ち着かれるまで娘の紹介を控えておりました」
「お前の話は嫌みにしか聞こえんな」
「嫌味を申し上げているつもりはございません。
しかし、兄上と私では考え方が全く違うため、受け取り方にも違いがあるのでしょう」
「なるほど。つまり、お前はまだ、この私が未熟であると言っているのだな」
空気が一瞬で張りつめた。
側近たちの視線が鋭くなり、誰もが息をひそめる。
リーゼは、隣に立つヴィンセントの横顔を見た。
いつも穏やかな彼が、まるで別人のように冷静で、鋭い表情をしていた。
「それを一番理解していらっしゃるのは兄上でないかと。
今日は娘を紹介に来ました。違うお話をされるのであれば、こちらで失礼します」
ガルドは深いため息をついた。
「お前は変わらないな」と呟き、娘を紹介するよう促した。
ヴィンセントの手がそっとリーゼの肩に置かれた。
その温かさに、張りつめていた呼吸が少しだけ戻った。
皇帝と短く言葉を交わし、謁見は終わった。
言葉は耳に入っていたはずなのに、内容は半分も覚えていなかった。
ヴィンセントはガルドに呼び止められ、リーゼは侍女に連れられて謁見の間を出た。
廊下に出た瞬間、リーゼは大きく息を吐いた。
膝がわずかに震えていた。
「よく頑張った」
ヴィンセントの小さな声が、まだ耳に残っていた。
侍女に案内されて歩いていると、廊下の端に人影が見えた。
――え。
銀色の髪。
見間違えるはずがない。
アシュリードだった。
彼も気づいたようで、一瞬だけ目を見開いた。
その後すぐに侍女へ「彼女は私が案内する」と告げ、侍女を下がらせた。
「……なぜここにいるのですか」
声が震えたのは、驚きのせいだけではなかった。
アシュリードは答えず、「こちらへ」とだけ言い、待合室へ案内した。
扉が閉まると、静けさが二人を包んだ。
先に口を開いたのはアシュリードだった。
「……今日はなぜここへ?」
「皇帝ガルド様に呼ばれ、ヴィンセント様と一緒に来ました」
「そこでどのような話を?」
「自己紹介をしただけで、私だけ先に謁見の間を出ました」
「父から何か言われたか?」
「あ、あの……! 少し待ってください。頭が混乱していて」
その言葉に、アシュリードは手を口に当て「すまない」と呟いた。
焦りを含んだ表情は、いつもの彼らしくなく、リーゼは戸惑った。
ヴィンセントが皇帝の弟ということは、アシュリードは王子である可能性は考えていた。
先ほどガルドのことを“父”と呼んでいたため、アシュリードは王子なのだろう。
理解していたはずなのに、心が追いつかない。
「アシュリード様は、ラクリア国の王子なのですか?」
「そうだ」
アシュリードはリーゼをまっすぐ見て答えた。
きっと何か事情があるのだろう。
だが、ヴィンセントからもアシュリードからも、王族であるという話は聞いたことがなかった。
アシュリードは、考え込むリーゼにゆっくりと近づき、頬に手を添えた。
「ごめん……」
「どうして謝るのですか」
「俺は、嘘つきなんだ。君に言えていないことがまだある。
でも、それはまだ伝えることができない」
アシュリードは、泣きそうな顔をしていた。
どれほど重いものを抱えているのか、リーゼには計り知れない。
それでも、そんな顔をしないでほしいと思った。
彼には笑っていてほしい。
「私が刺繍したハンカチです。よければもらってください」
アシュリードは驚いたような表情をし、そしてゆっくりと受け取った。
「……俺は、君にもらってばかりだな」
言葉とは裏腹に、どこか遠くを見るような目だった。
アシュリードは視線を落とし、何かを思い返すように黙り込む。
そして、胸元のポケットにそっと手を当てた。
リーゼはその仕草に、理由のわからない違和感を覚えた。
「いただいているのは、私の方です。お守り……とても嬉しかったです」
その言葉に、アシュリードは微笑んだ。
けれど、その笑みはどこか寂しげだった。
しばらくして、ヴィンセントに呼ばれ、城を後にした。
馬車の中で、リーゼはずっと窓の外を見ていた。
流れていく景色がぼやけて見えた。
「リーゼ、黙っていて悪かった」
ヴィンセントは申し訳なさそうな顔をしていた。
その表情が、先ほどのアシュリードの苦しげな顔と重なった。
「混乱はしていますが……大丈夫です。
きっと何かご事情があるのでしょう」
「先ほどの会話から察していると思うが、兄と私はなにかと意見が分かれることが多かった。
私は謹慎処分を受けることとなり、今の家へ移り住んだ」
ヴィンセントの声は静かだったが、どこか遠い痛みを含んでいた。
「そうでしたか……」
リーゼはそれ以上、何も言えなかった。
馬車の揺れに合わせて、心のどこかが落ち着かずに揺れる。
何が不安なのか分からない。
ただ、今日の出来事が、どこか影のようにまとわりついて離れなかった。




