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11.城の外れで

最初に覚えているのは、寒さだった。



石造りの部屋。窓が小さくて、光がほとんど入らない。

毛布は一枚で、夜になると床から冷気が這い上がってきた。

隣の部屋からは見知らぬ大人の声がして、カイルはその声が怖くて、毛布の中に丸まっていた。



ここはどこだろう。

お母様はどこだろう。お姉様は。



声を殺して泣いた。

声を出したら、怖い声の大人が来る気がしたから。


でも次の朝が来ると、泣き疲れて眠っていた。

それを繰り返した。



カイルがラクリアへ連れてこられた時、まだ三歳だった。

城の外れに、小さな部屋が与えられた。

城の中心から遠く、使用人たちが行き交う廊下の端で、誰も用事がなければ近づかない場所。



食事は一日二回、決まった時間に届けられた。

誰も話しかけてこなかった。

カイルも、誰にも話しかけなかった。



ただ、本だけはあった。

部屋の隅に積み上げられた、誰が置いたのかわからない様々な本。



カイルは本を手に取った。

読んでいる間だけは、何も考えなくていい気がした。



季節がめぐるとともに、ヴェルダの記憶がなくなっていった。


金色の髪をした誰かがいた気がする。

でもそれが誰なのか、もう輪郭も掴めなかった。

夢で見ることがあっても、目が覚めると消えていた。



大切なものが、どこかへ行ってしまっている。

でもそれが何なのか、もうわからなかった。


わからないのに、なくなってしまったことだけはわかる。

その感覚が、ずっと胸の奥にあった。



ある日、カイルは皇帝に呼ばれた。

謁見の間に通されると、玉座に大きな男が座っていた。

ガルド——自分の父だと聞かされている男。


その鋭い目がこちらを射抜き、冷たい汗が背中を伝った。


「お前はどこまで覚えている」


「……どこまでとは?」


何を問われているのか分からず、カイルは戸惑った。

その様子を見て、ガルドは満足そうに口角を上げた。


「お前は、賢そうな目をしているな。

これからは帝国の後継ぎとして、相応しい教育を受けさせよう」



それだけだった。

温かくも冷たくもない、ただ淡々とした宣言。

何を言われているのか、よくわからなかったが、ただ頷くしかなかった。



教育が始まると、カイルは教師たちを驚かせるほど優秀だった。

剣術、学問、礼儀作法——何を教えられてもすぐに覚えた。

本を読んで過ごした日々が、いつの間にか身についていたのだ。


ある日の授業で、講師がふとアシュリードの話題を出した。


「アシュリード様も、昔はとても立派だったのに」


カイルは、アシュリードという兄がいることを知っていた。

第一王子で、ヘラヘラ笑い、政務を避け、後を継ぐ気がない——

使用人たちはそう噂していた。


出来損ない、とまで言う者もいた。


だがカイルには、兄と一度だけ話した記憶があった。



城の外れに住んでいた頃。

あまりの空腹に、カイルは使用人の目を盗んでパンを部屋へ持ち帰った。


すぐに使用人が飛び込んできて、「泥棒!」と叫びながら腕を掴んだ。

痛みで顔がゆがむ。

怒られるのが怖くて、ただ早くこの時間が過ぎて欲しいと願った。


その時だった。


廊下の向こうから、アシュリードが現れた。


銀色の髪。青い瞳。


その姿を見た瞬間、なぜか胸がざわついた。

どこかで見た気がする——

でも、いつ、どこで?


考える間もなく、アシュリードが口を開いた。


「どうした?」


「パンを盗んだため、指導をしています」と使用人が答える。


アシュリードは一瞬だけカイルに視線を向けた後、使用人に対しヘラヘラした笑顔で、カイルにしか分からない嘘をついた。



「あー、それ俺がお願いしたんだ。

持ってきてほしい場所を言い忘れてたな。悪い悪い」


「そ、そうでしたか。大変失礼しました」


使用人は混乱した顔をしながら、アシュリードとカイルを見比べ、頭を下げて去っていった。


使用人の足音が遠ざかると、アシュリードの笑顔はすっと消えた。

怒っているような、冷たいような目で、使用人が去った方向を見つめていた。



カイルがその横顔を見つめていると、アシュリードが気づき、こちらを向いた。


その目は、真剣で、何かを確かめるようだった。


そして静かに言った。


「すまない」


それだけ言って、踵を返して歩き去った。


カイルはその背中を見つめた。


——あの目は、何だったんだろう。


その日から、カイルはアシュリードを出来損ないだとは思えなくなった。



「……様、カイル様! 私の話は聞こえていますか?」


講師の声で、現実に引き戻される。


「ボーっとされては困ります。あなたは次期皇帝なのですから」


「申し訳ございません」



授業が再開された。

カイルは机の上に視線を落としながら、さっきの記憶の続きを、頭の隅でそっと考えていた。


あの日のアシュリードの目を、カイルはまだ覚えている。

出来損ないと呼ばれている人が、なぜあんな目をしていたのか。

なぜ咄嗟に嘘をついて、自分を庇ったのか。

なぜ、謝ったのか。


わからないことばかりだった。


でも、わからないなりに、カイルは知っていた。

兄は、噂通りの人ではない。


講師の声が続いていた。

カイルは表向き真剣な顔で耳を傾けていたが、頭の片隅では、ずっと銀色の髪の兄のことを考えていた。



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