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10.仮面の裏

今日も、完璧に演じられた。



謁見の間を出たアシュリードは、廊下を歩きながら小さく息を吐いた。

貴族たちの前では終始ヘラヘラと笑い、政務の話になると「難しいことは苦手で」と肩をすくめ、父の視線を軽やかにかわし続けた。



誰も気づいていない。

それでいい。気づかれてはいけない。



「お疲れ様です、殿下」


レインが後ろから追いついてきた。

書類を抱えて、いつも通りの真面目な顔をしている。



「疲れてなんかないさ」とアシュリードは言った。


「俺はただ笑っていただけだから」

「そうですね」とレインは言って、それ以上は何も言わなかった。



自室に戻ると、机の上に手紙が置いてあった。

叔父からだった。


アシュリードは上着を脱ぎながら封を開けた。


几帳面な文字が並んでいる。

近況報告、庭の花が咲いたこと、エレナが新しい刺繍を始めたこと


——そして。



===================

リーゼは今日、市場で値切り交渉に成功したと言って、鼻を高くしておりました。

===================



アシュリードは思わず、口元が緩んだ。



すぐに気づいて、手で口を覆った。

レインがいなくてよかった。

こんな顔を見られたら、何を言われるかわからない。



もう一度、その一文を読んだ。


値切り交渉。リリーが。


なんとなく、その場面が目に浮かんだ。

真剣な顔で、でも目はきらきらして、相手の商人が苦笑いしながら折れていく


——そういう場面が。



おかしくて、でも温かくて、それ以上は何なのかうまく言えなかった。



アシュリードは手紙を置いて、窓の外を見た。

ラクリアの空は、今日も灰色だった。

石造りの建物が整然と並んで、その間を軍服の兵士たちが歩いている。


笑っている人がいない。

声を上げている人がいない。


みんな、どこかを向いて、黙って歩いている。



ヴェルダの市場は違った。

色とりどりの布、野菜の山、魚の干物、晶石の欠片を飾った屋台。

人々が笑いながら話して、子どもが走り回って、どこかから歌が聞こえてきた。


あの国には、音があった。色があった。


だが、もうない。



アシュリードは視線を手紙に戻した。

返事を書こう、と思った。


当たり障りのない内容を、丁寧な文体で。

それがアシュリードにできる唯一のことだった。


でも——少しだけ。

ペンを取って、紙に向かった。


===================

叔父上、お便りありがとうございます。

リーゼ殿の値切り交渉の件、思わず笑ってしまいました。

次はどんな武勇伝を聞かせていただけるか、楽しみにしております。

===================


書いてから、読み返した。

楽しみにしております、か。

それは本当のことだった。


この手紙が届く日が、今のアシュリードにとって唯一、仮面を外せる瞬間だった。


謁見の間でも、貴族たちの前でも、父の前でさえも、アシュリードは常に何かを演じていた。

でもこの手紙だけは違った。

誰も見ていない部屋で、ただ自分でいられた。



リリーが元気でいることを、知ることができた。

それだけで十分だった。



毎日持ち歩いている包みを取り出す。

丁寧に折り畳まれたヴィンセントの家族の絵と、その下に、小さな紙に包まれた押し花。



手のひらに乗せると、薄く透き通った白い花びらが見えた。


持っていて、と言った声を思い出した。

まっすぐな目で、迷いなく差し出した小さな手を。



「……ちゃんと今も持ってるよ」



誰もいない部屋で、アシュリードは小さく言った。

押し花を包みに戻して、胸のポケットへしまう。



ペンを持ち直して、手紙の続きを書いた。

窓の外では、夜が深まっていた。



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