第五幕、ロミオとジュリエット6
「無茶するわね、ジュリ」
床に倒れたパリスを横目に、澪はジュリに足早に近づく。
パリスはやはり黒い涎を垂らして、目の焦点も合わずに床に転がっていた。顔面は蒼白で、まるで蝋人形のように澪には見えた。
先ずはと澪は、今にも倒れそうに見えたジュリを支えてやる。
「大丈夫?」
「ああ、ロミオ様」
そのジュリは甘えたように全ての体重を澪に預けてくる。
「む、何かムカつく」
わざとらしい台詞を口にするジュリを、澪は支える手を止めて突き放す。
「あれ、ご無体な」
ジュリはわざとらしくふらふらと、造花のような青い顔で離れていく。右手の甲を額にやり、左手を脇に伸ばし、いかにも貧血――今にも倒れそうといった仕草をしてみせる。
「いっそのこと、倒れれば?」
と澪が思わず漏らした程、ジュリはわざとらしくその倒れそうな演技を続ける。
「ホント、無茶するわね……」
「あら、信じてたわよ。ちゃんと氷でクスリを、コーティングしてくれるって」
「それにしてもあんな一瞬で……あっ? 薬事法違反で現行犯逮捕です」
澪はそう言ってしゃがみ込むと、そう呟きながらパリスの後ろ手に手錠を架けた。そして立ち上がりながらあの時の、あの一瞬を思い出す――
ジュリは澪の手を握るや、己の呪力で手に持ったクスリの和紙だけを燃え上がらせた。残されたのは裸のクスリ。氷漬けにしろと囁かれ、飴玉より小さく凍らせた。
ジュリはそのまま手で覆い隠し、己の口中にその氷を含ませたのだ。
後はジュリに指示された訳ではない。それでもジュリの企みを察し、ジュリの口中にある間は凍らせておかんと懸命に呪力を送った。そしてパリスに氷が移るや否や、一瞬で氷解させた。
「ゆっくりやってたら、気づかれてたわよ。誰を相手にしてたと思ってんのよ」
「むっ……それは、そうだけど……それに……そ、その……」
ジュリが氷を口に含んだ瞬間が脳裏に甦り、澪は真っ赤になってその続きをも思い出す。
「何よ?」
「あ、あれ、そ、その……わわわ、私の……」
「だから、何よ?」
「あれ、私のファーストキスだったんだけど!」
「げっ? あ……あ、そう」
「『げっ』て何よ! 『あ、そう』って何よ! どう、責任とってくれんのよ!」
「別に、女の子同士だから、ノーカンよ」
「都合のいい時だけ、能天気に女の子の振りしてんじゃないわよ!」
「そう? じゃあ、白状するけど、私だってあれがファーストキスよ。どう、これでお互い様でしょ? もう、いいじゃない」
「よくないわよ! 手、握られて、あああ、あんなことされて! ドキドキするじゃない!」
「何よ、しつこいわね……そうね、仕方がない……責任取れって言うのね……」
ジュリが澪の目を覗き込む。ジュリの赤い瞳の中に、澪が大写しになった。
まるで赤い手鏡だ。赤いガラスの手鏡に、それよりも赤い顔をした澪が大写しになっていた。
「――ッ!」
澪の心臓が大きく激しく一つ脈を打つ。勿論それは電気の呪術ではない。
「……何よ……」
「ロミオ様。聖地に赴く巡礼者様の名を持つ一路澪様――ロミオ様。この罪に汚れた手があなたの清い御堂のような手を汚したのなら、その罪をどうか大目に見てやって下さいませ」
「へ? へ?」
「立派に勤めを果たした私のこの手を、あまりなじっては可哀想とお思い下さい。聖者像の手に触れるのは、巡礼者の勤めのはずです。ならば手と手を口づけのようにぴったりと合わせるのは、巡礼者の切なる望みでもあるはずでしょう」
「な、何? ロミオとジュリエットの台詞? ちょ、ちょっと違うよね?」
「巡礼者様。ですがもし本物のあなたの唇を奪ったというのが私の罪だというのなら、その罪はおそらくあなたの唇から私の唇に移ったもの。私はあなたの罪作りな唇を拭い清めたに過ぎません。それでもお咎めが必要とお考えならば、もう一度あなたにこの罪をお返ししましょう」
「へっ? だから、な、何よ……ジュ、ジュリ……」
「澪……」
すっとジュリの顔が澪に近づく。それは年相応の少年の顔をしていた。
「――ッ! だから、ななな、何よ!」
「はい、返して上げる。ムッチュー」
だがジュリは最後にそう言うと、わざとらしく唇を突き出した。
「――ッ!」
突き出されたジュリの唇を迎えたのは、勿論巡礼者の熱い唇ではなく、
「アホか!」
澪のその罵倒と固い拳だった。
「グハッ! むぎば! ぐげぎゃ! びぎぐが!」
ジュリはやはり意味不明の言葉を発しながら、広い知事室を何処までも転がっていき、
「むぎゃ」
気絶していたモンタギュー本部長に蹴つまずいて、やっと倒れることができた。




