第五幕、ロミオとジュリエット5
そう、ジュリは静かに優しくたおやかに、流れるように澪にキスをした。
まるで毎日そうしているかのように。まるで最初から計算されているかのように。まるで生まれた時は一つだったかのように。ジュリの赤い唇は、澪のそれにぴったりと合わされる。
そのまま澪の頬に添えた手で、パリスから見えないように口元を覆い隠していた。
これは二人だけの秘密――
そうとでも言いたげに、その手で澪の頬を支え、重なる唇を覆い隠す。
「何を!」
隠された故に想像力をかき立てられたのか、パリスが今までの余裕をかなぐり捨てた。
「ふふん……」
ジュリは優しく澪を引き離し、パリスに向かって鼻で笑う。
そのまま澪の体をふわりと押し退けた。優しく澪を送り出す。澪が一歩二歩後ずさった。
「ジュリ……」
「どけ!」
一瞬前まで澪がいた場所に、パリスが押し退けんばかりの勢いで現れた。ジュリが体を離していなければ、その振り回した拳が澪を吹き飛ばしていただろう。
澪の場所を――ジュリの瞳を独占する場所を奪い取ったパリスは、血走る目でそのジュリの顎を手にとる。そのまま怒りとともにジュリの顎を乱暴に上に向かせた。
「――ッ!」
ジュリの唇が強引にパリスに奪われた。
ジュリは抗うでもなく目をつむり、その唇を受け入れる。
「ジュリ……」
澪が呟く。そして己の左手でぐっと拳を握った。
「ふ……」
パリスがジュリから唇を離そうとした。
その瞬間――
「ふふん……」
ジュリが微笑み、
「――ッ!」
澪が左手の拳と呪力を解放した。
「――ッ!」
パリスが驚きに目を剥き、己の口元に手をやる。
ジュリから唇を離す瞬間、相手から舌が差し込まれてきた。
勝った――
ジュリが己のものとなった。己の虜となった。
パリスはその愛しげな舌の動きに、悩ましげな舌のうねりに、欲望に塗れたような舌の滑りに、そう信じた。
何より唇を奪う寸前に見つめてきた、その溺れるようなジュリの視線。ねっとりとパリスを見つめ返していた。その瞳にはパリスしか映っていなかった。
ジュリは落ちた。墜ちた。堕ちた。
パリスの手の中に落ちた。空を飛ぶような自由な心が墜ちた。
そう、ジュリはこちら側に堕ちたのだ。
パリスはそう信じ、捧げられた舌を吸い上げながら唇を離そうとする。
その時絡めとるような妖しい動きでジュリの舌が波打った。
勿論パリスは受け入れる。もはやジュリは己のものだからだ。
そして冷たいそれを、ジュリの舌は押し込んできた。
氷だ――
「――ッ!」
氷が口中で一瞬で砕けた。その冷たい感覚を確認する間もなく、パリスは氷の呪術の使い手に反射的に振り返る。
「……」
澪がパリスを睨みつけていた。まるで放った矢の先――その己の弓の技量を確かめる狩人のような、鋭く射抜くような視線を見せつけていた。
「貴様……」
氷が割れると同時に広がった苦い味。口中に瞬く間に広がった、そのぞっとする鉄の味――
パリスが本能的に背を折り、喉の奥に指を入れた。
「あら、傷つきますわ」
だがその手をジュリが押さえつける。
「――ッ!」
パリスが目を剥いた。ジュリに押さえられた手は退くも押すもできず、ただただ喉の中に留まる。そう、むしろ絶好の栓と化す。口中に広がるものを塞いでしまう。
「愛しい人とのキスの後に、愛の言葉一つ、囁かないとは――」
「が……がは……」
「キスだけで相手が落とせるとでも思っているとは――」
パリスは見る見る青ざめていく。
「それどころか、そんなに涎をだらだらと――」
「……かは……」
「たらすものが、間違ってますわよ……」
ジュリがニコッと笑って手を離すと、パリス知事は――
「――ッ!」
この享の主の人誑しは――
「……」
大量の黒い涎を垂らしながら、静かに力なく床に崩れていった。




