第五幕、ロミオとジュリエット4
「ジュリ!」
弾き跳ばされたジュリは、先程の和紙よりも力なく澪の前に転がった。投げ出された形のままに、手足が左右に広がった。
「まるで打ち捨てられた人形だね。素敵だよ、衛藤ジュリ」
そのジュリを更なる電撃が襲う。
「くっ! この!」
澪が氷の避雷針をとっさにその前に呼び出した。
「いつまで保つかな? 脆い氷柱だ。まるで射撃場の的だよ。ははっ」
氷が電撃を受け、次々と派手な音を立てて割れる。電撃は休むことを知らない。氷柱は生まれては砕け、その破片が横たわるジュリの背中に降り注いだ。
だがジュリはぴくりとも動かない。
「ジュリ! しっかりして!」
「……」
澪が油断なく氷柱を張り巡らしながらジュリを抱え上げるが、ジュリはやはり動かない。
澪は肩に担いでその身を支えてやる。その体重に澪が一瞬よろめいた。ジュリが全く自分の足で立っていない。突きつけられた現実に澪の額に一際大きな冷や汗が流れた。
「ふふ、流石にそろそろ終わりか?」
そのことを確かめたパリスが電撃を収め、二歩、三歩とゆっくりと前に出る。
「く……殺す気ですか?」
澪が血の気の退いた顔で振り向く。
「ああ、そうだ。今直ぐ花のように、手折ってやりたい――」
「させませ――」
「その背骨をな」
「――ッ! な?」
「そうだ、その自信の現れのような、赤く咲く唇を散らしてやりたい。その得意げに突き出る唇を、へし折るように奪ってやりたい。世俗に塗れたこの唇で、汚し尽くしてやりたい。ここまで生きてくるのに口にした、追従や、嘘、虚勢の数々。悪意と嫉妬に汚れた私のこの唇で、その唇を弄んでやりたい。いや、だがそれだけでは足りないな……そうだ、上唇を食いちぎろう。それ程濃厚な口づけだけが、そこからしたたる生き血だけが、私の渇きを癒すだろう」
「パリス知事……あなた何を言って……」
澪が怖じ気づいたように一歩後ろに下がった。
「燃え上がる叛旗ようなその髪を掴み、首の骨が折れる程、私の思うままに振り向かせよう。私が見せたい景色だけを見せてやろう。私が見たい角度にだけに、首を傾けていてもらおう。私の声だけに頷かせたい。そうだ! 私だけを見ていればいいのだ。そう! 生命の燃焼そのもののようなその赤い瞳を、私にだけ向かせていたい! 衛藤ジュリという人間の全てが理解できるのなら、その情熱の現れのような下唇に指をかけ、上から下へ引き裂いてその皮を剥ごう! したたる生き血を浴び、その艶やかな臓腑を見てやろう!」
「な、ななな……」
澪は熱烈に語るパリスに、口を挟むことすらできない。
「私は衛藤ジュリという人間を私だけのものにしたい! 衛藤ジュリという人間の全てが手に入るのなら、瞳をくり出し、私の机にだって飾ろう! 舌を引き抜き、常にねぶっていてもいい! 何処までも赤い髪をマフラーにし、限りなく白い肌はシャツに仕立て直そう! 私がこの享の都にしたように! 衛藤ジュリの今も、未来も、誰の手にも渡らないように!」
「な……」
澪がパリスの目に映る――その正気の光故に、息を呑む。
「だが先に呪力の抽出だな。衛藤ジュリの呪力。誰よりも純粋に絞り出そう。最高のクスリになるだろう。そして害にならない程度に、少しずつ我が身に取り入れよう」
「パリス知事! クスリにまで手を出す気ですか!」
「誰かに奪われないように、相手を自分のものにしたい。相手を己の一部に取り込みたい。恋い焦がれるとは、そういうことだろ? 違うかい、一路澪くん?」
「な、そんな……」
「ええ、そうですわね……」
ジュリがうつむいたまま呟く。
「ジュリ? 大丈夫なの?」
「澪……コイツは独占欲の塊なのよ。欲望のままに生きてる点では、むしろ私に近いわ……」
ジュリはまだ自分の足で立っていない。その声も、まるで独り言のようにか細い。
「ほう。嬉しいことを言ってくれる」
「澪。あなたみたいに誰とでも分け隔てなく接して、色々なものを与えてしまう人間には、理解できないでしょうね……でもそれでいいのよ……」
「ジュリ! しゃべっちゃダメ! 傷が!」
「ふふん、優しい娘ね、澪……あなたは……」
ジュリは不意に澪を抱き締めた。
「――ッ! 何、ジュリ?」
「まるで陽の光をよく浴びたシーツね……フワッと柔らかくって、いい匂い……澪――」
澪の名を小さく呼ぶと、その耳元で何かを囁いた。
「えっ! だから、何? ジュリ!」
ジュリに囁かれた内容に、澪がこぼれんばかりに目を剥く。
ジュリの掌で、グッと澪は己の掌を掴まれた。
「ちょっと……」
困惑する澪を余所に、ジュリはその手を離す。そのままそっと澪の頬にその手を持っていく。
「――ッ!」
パリスが憎悪に目を剥いた。
そして――
「――ッ!」
そして、お気に入りのぬいぐるみに、顔を埋めるかのように――
機械式時計の最後の歯車が、はめられるかのように――
ジグゾーパズルのピースが揃うかのように――
ジュリは極自然に滑らかに、澪の唇に己の唇を重ね合わせた。




