第五幕、ロミオとジュリエット3
「――ッ!」
ジュリの首筋に、パリスの右肘が叩き込まれた。
ジュリは声も出せずに床に叩きつけられる。そのまま右手と膝で体を押さえつけられた。
「ジュリ!」
「ははっ!」
澪の悲鳴を、パリスが高笑いではね除ける。そしてその左手をジュリの首筋にあてた。
「――ッ!」
ジュリの体に電流が走る。ジュリはその衝撃に声を上げることもできなかった。
「痺れたまえ。私の魅力にね」
「ががが……」
次いで歯が鳴り、声が勝手に漏れる。肺も喉も口も、まるで自由にならない。痺れるがままに、体全体が小刻みに震える。歯がかち合う。まぶたが勝手に開き、瞳孔が小さくなっていく。
「ジュリ!」
澪が堪らず駆け出した。その澪のゆく手を阻んで、電撃が放たれる。
「人の恋路は邪魔しないものだよ。一路澪くん」
「く……」
澪は一歩も動けない。パリスが左手をふるって、澪を睨みつけていた。
邪魔をするな。一歩も動くな。そう無言で澪を威嚇している。
澪が動けないと見ると、パリスは左手をジュリに戻し電流を再開した。
「――ッ!」
「運命は感じてもらえたかな」
「か……」
ジュリはまともに返事すらできない。
脳幹近くから放たれている電流は、悩と脊髄にそれぞれ神経を伝うかのように流れていく。無意識に体がのけぞるだけで、指一本ジュリは自分の意志で動かせない。
パリスは油断なく澪を目の端でとらえながら、ジュリに電撃を送り続ける。
ジュリはまたもや目を見開き、自然と口が開く舌が出た。時折指先と足先が痙攣したように動くが、それもやはり無意識の動きのようだ。
「ジュリ!」
澪の悲鳴めいた呼びかけに、応じることもできずに、
「――ッ!」
ジュリはまるで無抵抗なまま、電流を流され続けた。
「……」
ジュリは流される電流のままに、身を震わせる。もはやそれはただの痙攣だった。
「衛藤ジュリ」
既に反撃は不能。そうと見たのかパリスが電撃を止めた。
「……」
「私を倒したいだろ? 力が欲しいだろ? なら――」
返事すらできないジュリの手をパリスがそっと握る。何かを渡そうとしてか包み込むように手を握った。余裕からかあの柔和な笑みすら浮かべている。
「これを舐めたまえ」
手渡したのはティバルトの呪力で作り出した黒い粉だ。
「何を……」
「言っただろ? 君はこちら側だと。人を利用する側の人間だと」
パリスは言い聞かせるように、何処までも柔和にジュリの耳元に囁く。
「他人を利用して作ったクスリ――そんなクスリに手を出してでも、力を使う側に、人を使う側に堕ちろ――上に落ちろですって……酔いそうね……まっぴらゴメンだわ……」
ジュリが辛うじて言葉を絞り出す。だが動かせたのは、舌と眼球だけだった。うつぶせになったまま、目だけ動かしてパリスを睨みつける。
「はは、では尚更だろ? 少し舐めてみてはどうだい? ティバルト警部がこのクスリで力を手にしていたのは、君も見ていたのだろう? 一時的にでも、力が手に入るよ」
「黙れ……」
「力がなければ、我を通すことなどできない。違うかい?」
パリスが立ち上がる。判断は本人に任せると言わんばかりに、クスリを預けたまま無造作に身を起こす。
「いいじゃないか。私を倒せるだけの力を、今だけは手に入れて、後は使わなければいい。君なら常習者にならずに、クスリを断つことなど簡単だろ?」
パリスがジュリを見下ろす。顔だけは柔和に、笑みの形に作って見下ろす。
「く……」
「ダメよ、ジュリ!」
「ダメなものか。今私を倒さないと、私はもっとクスリを、この享の都に蔓延させるよ。我が身可愛さに、私を倒す機会を逸する気かい?」
「違う……」
ジュリがよろめきながら手をつくと、ふらつく足で何とか立ち上がる。
「ジュリ、詭弁よ! 耳を貸しちゃダメ!」
「違うかい、衛藤ジュリ? 違うと言うのなら、その手に持ったクスリを今直ぐ捨てたまえ」
「……」
ジュリが力なく握った右の拳を見つめる。パリスに握らされたままの形だ。
手が震える。電撃の影響か、痛みが響いているのか、上手く指が開かない。
いやもしかするとそれは――
「どうしたんだい? クスリを見るのが怖くなったかい?」
ジュリの心に一瞬浮かんだ不安を、パリスが見透かしたようにすかさず突いてくる。
「決めかねるまま見てしまうと、頼ってしまいそうかい? いいじゃないか? ほんの少しだけだろ? 私を倒す為だろ? 享の都を取り戻す為だろ? そこに住む人の為だろ? 自分の生き方を肯定する為だろ? 力が必要なんだろ? 君ならこれっきり二度と手を出さないだろ? 衛藤ジュリならいつでも止められるだろ? なら、一口ぐらいいいじゃないか?」
パリスが淀みなくジュリに語りかける。ジュリを目の前にして、まるで警戒していない。
もはやジュリに自分を倒す力はない。それこそクスリに頼らなければ、まともな呪力すら得られない。そう確信しているようだ。
「私は、あなたを倒す……」
ジュリがゆっくりと指を開いていく。ぼやける視界で、その中の黒いクスリを見つめる。
「さあ……その為には? 何が必要だい? 何を選択するべきだい?」
パリスがあくまで優しく尋ねてくる。今のジュリなら無理矢理飲ませることもできただろう。勿論パリスはそのようなことは選ばない。
「必要? 選択?」
「そう、問題なのは必要かどうかさ。自分が何を選択するさ。人生は選択の連続だろう?」
「選択…… 連続……」
「そうさ。人生はこの言葉の連続さ。To be, or not to be――」
「To be, or not to be……」
「そう。そして君ならこの問いにこう答えるだろう? As You Like Itと」
「As You Like It……」
「そうだ。さあ、選びたまえ。このクスリを――」
「このクスリを……」
ジュリが熱にうなされるように、パリスの言葉を反復する。
「ジュリ! ダメよ!」
「黙りたまえ!」
パリスが澪に向かって電撃を放つ。
「く……この……」
澪が氷柱で電撃を防ぐ。だが疲労に息が上がる。氷柱を呼び出した後、思わず膝頭に手を着いてしまった。澪は直ぐに上半身を起こし直すが、その様子はパリスに鼻で笑われた。
「ふふ、あっちも限界みたいだよ。どうする、衛藤ジュリ?」
「……澪……」
ジュリが焦点の合わない目で澪を見る。澪が何人にもブレて見えた。その様子は不安に揺れる澪の心そのものに、ジュリには一瞬見えた。
「クスリに手を出したら――絶交だからね」
だがそれはジュリの思い違いだったようだ。澪は何処までも真っ直ぐ応える。
「絶交……」
「そうよ、絶交よ」
「……ふふん、絶交ね……刑事とギャングが絶交ね……言うように、なったじゃない……」
「そうよ、何か悪い?」
「ふふ。なら、澪……それこそ、絶好の物証よ……持ってなさい……」
ジュリが震える手でクスリを放り投げた。クスリは放物線を描いて澪の下に飛んでいく。
「ジュリ!」
力なく足下に飛んできたそれを、澪が素早く拾う。誰にも渡すまいとぐっと握りしめた。
「お気に召すままに――させていただきましたわ……」
「何処までも、私を選ばない気だね!」
パリスは一際大きく左手を内から外にふるった。
勿論ジュリは――
「――ッ!」
もはや避けることもままならず、その電撃に弾き跳ばされた。




