第五幕、ロミオとジュリエット1
第五幕、ロミオとジュリエット
「――ッ!」
ジュリのベストとブラウスが音を立てて切り裂かれた。その衝撃にジュリが身を無意識にそらせる。右の脇から突き抜けたそれは、電撃のような鋭さで突き刺された――
「氷柱!」
そう、円錐状の氷――氷柱だった。その正体をとっさに悟り、パリスが目を剥く。
本部長執務室の床から、場違いな氷柱が斜めに突き出ていた。
「ジュリ! しっかりしなさい!」
「はっ!」
ジュリがその叱咤に打たれたかのように自由を取り戻し、パリスから一気に距離をとった。
「アース代わりか?」
パリスは残された氷に再度目を剥く。それはやはり床から斜めに生えた氷柱だった。氷柱はジュリの体に帯電した電気を奪い取り、床に向かって放電していた。
「動けたか? 一路澪!」
パリスが壁に張りつけたはずの澪に振り返る。そしてその光景に今度も驚きの声を上げる。
視界が真っ白だった。澪のいるべきはずの壁がまるで見えない。
「これは! 氷霧?」
「余所見をする余裕がおありで!」
「く……」
パリスが僅かに身を捩り、背後から襲ったジュリの炎の呪術を避けた。避けられた炎が氷霧を霧散させた。その白い霧の向こうに、床に片足を着いて炎をやり過ごした一路澪がいた。
「なる程。大きな攻撃を諦め、小さな氷を幾つも呼び出したか? 氷霧で湿度を上げ、静電気を止めるとは。やるな、一路澪!」
「やっ!」
澪がパリスに応えず氷柱を放つ。そしてその反対側では、
「ふふん!」
上機嫌にジュリが炎の呪術を放っていた。挟み撃ちだ。
「おのれ……」
パリスはとっさに床を蹴ると、窓際まで飛び退いた。
「遅いわよ、澪」
ジュリが炎の翼で、やはり澪の下に飛んでくる。足下に残っていた氷霧を蹴散らすように、ジュリが身を翻して着地した。
「ちょっと静電気退治に、時間がかかっただけよ」
「安物の化繊なんか着てるからだわ」
「うるさいわね」
「少々見くびっていたようだ。本気でお相手しよう」
パリスはそう言うと、天井に向かって電撃を放った。火災探知機が音を立てて破裂する。
「あら? むしろ利用されるかと、思いましたのに」
「無粋だよ。せっかくの逢瀬。誰かに邪魔されたくはないね」
パリスは更に左手をふるう。廊下側と控え室奥の同じく廊下側。二つの扉のドアノブが、音を立てて火花を散らした。カナ臭い匂いが同時に漂う。
「えっ? 何、ジュリ?」
「溶接したのよ、澪。鍵かけるよりも、厳重だわ」
「そうだよ。これで、誰も出入りもできないね」
パリスは満足げに頷くと、もはや誰はばかることなく放電を――電撃の呪術を放ち始めた。
執務室の一角に漂っていた氷霧が、今や完全に霧散した。だが先程よりも部屋全体が、清流を湛えた谷底のように冷ややかな水気を帯びていた。
「澪。よくやったわ。この湿気なら、あの静電気はもう使えないはずよ」
「めちゃくちゃ手首振ったんだからね。感謝してよね」
手についた水滴でも払うかのように、澪が痛そうに手首を振ってみせた。
「でも、服そのものが、湿気てるのは、電撃相手にはいただけないわね」
ジュリがチラリと澪の様子を確かめた。
「……」
氷霧の中心にいた澪は、服も髪も濡れていた。ジュリの視線が一瞬止まる。その濡れそぼった、たゆたうような黒髪の澪の横顔に、ジュリはしばし目を奪われる。
「何よ?」
「……別に……」
ジュリが左手をぶっきらぼうにふるった。
「ちょっと! ビックリするじゃない!」
澪の体を一瞬炎がかすめて消えた。澪の服と髪から湯気が立ち上がる。
「ほう、一瞬で乾かしたか? 器用なものだ」
それを遠目に見たパリスが、感心したように呟く。
「人生は洗濯の連続でしてね。私は乾燥担当ですのよ」
「君に洗濯などの俗事は、似合わないよ」
「ふふん。洗濯もすれば、乾燥機にだって、人間コンロにだってなりますわ。贅沢など言ってはいられない、選択の余地のない、最下層の人間でしてね、私は」
「君はこちら側の人間だよ」
「興味ありませんわ」
「衛藤ジュリ。あくまで掃き溜めの鶴を、気取るつもりかい?」
パリスが電撃を放った。ジュリと澪が床を蹴る。二人して後ろに跳んだ。
「掃き溜めですって……」
ジュリが怒りに任せてパリスを睨みつける。
「ああ、言ったよ。君は掃き溜めの鶴だと」
「言いませんでしたかしら? 私はゴミ扱いされるのが、この世で一番嫌いですってね」
淡々として、それでいて沸々とジュリは口を開く。まるで噴火を待つばかりの、マグマのような怒りにジュリが身を任せようとする。
「二つ間違っているよ、衛藤ジュリ。私は、君はゴミ扱いしていない」
「おべっかにもなりませんわ。それが、いったい――」
「それに、君が本当に怒るのは、仲間がゴミ扱いされた時だ。違うかい」
「変わりませんわ」
「変わるよ。試してみるかい? 君の仲間は社会のゴミだ。断言してあげよう」
「――ッ!」
「ジュリ……」
ジュリの奥歯がギリリと鳴る音が、隣にいた澪にもはっきりと聞こえた。
「何度でも言おう。彼らは享の都に蔓延るゴミだ」
「何を……」
「そして仲間の為に怒る自分を演出することで、君が仲間におべっかを使っているのだ」
「黙れ!」
「いい目だ。まるで憎悪が、エネルギーと化しているかのようだ。有名な関係式を思い出すよ」
「E=mc²! あまりに真理を突き過ぎて名前すら持っていない、質量とエネルギーを結びつける情熱の関係式! ええ、そうですとも! 私はこの関係式のように、生きてきましたわ! 内なる情熱のままに! 心躍るままに! でもあえて今はこう言いましょう!」
「ジュリ……ちょっと……」
ジュリのただならない様子に、澪が思わず声をかける。
「私一人分の質量を、余すことなくエネルギーに変えてしまいたい! そうすれば、この思いは熱量となってあなたにきっと伝わるはず! そう――」
ジュリは憎悪に燃える目でパリスをねめつける。
「殺してやりたいとね!」
「ジュリってば!」
「嬉しいよ、衛藤ジュリ。これ程思うままに、君の感情を操れるとはね。堪らないな。君を自由にできるのが、これ程の喜びとは! ああ! やはり君の全てを手に入れたい!」
「じゃじゃ馬馴らしといけるかどうか、とくと味合わせてあげますわ!」
「ジュリ……」
澪がそっと、ジュリの手を掴んだ。
「澪……」
「熱くなり過ぎよ」
「放っておいてよ……こればっかりは――」
「ダメよ、ジュリ。聞いたでしょ。『本気で相手』するって。心理戦を仕掛けられてるだけよ」
「ぐ……」
「わざと言ってるのよ。挑発に乗ってどうするの? しっかりしなさい」
「だって……」
「『だって』じゃない」
澪がジュリの頭をコツンと叩いた。軽く、それでいて拳の固いところが当たるように、澪が一度曲げた肘を伸ばして澪の頭を叩いた。
ジュリも叩かれると分かって、自分から頭を傾けた。この場で目をつむる隙すら見せて、澪に頭を叩かせる。
――ギリリ……
その様子にパリスが、先程のジュリよりも強く奥歯を噛んだことに――
「分かったわよ……」
「よろしい」
二人は気づかなかった。




