第四章、モンタギュー・激昂3
享都市上刑区下断売咬座通り東入る――享都府警本部。その本部長執務控え室。
窓につけられた小さなカギが、すっと白くなった。霜だ。季節外れの霜が、窓のカギにうっすらと着いた。霜は瞬く間に成長して氷と化し、ゆっくりとカギを押し退ける。
カチャという軽い音がして、そのカギは氷に押されて開いた。直ぐに窓が開けられ人影が忍び込んできた。それは家屋にいつの間にか伸びた蔦のように、するりと窓から入り込む。
「見られてないよね」
忍び込んだ人影は勿論一路澪だ。
澪は何食わぬ顔で享都府警の上階に上がるや、本部長執務室の階下のトイレから外に身を乗り出した。壁に手を着くと、己の掌にこちらも霜を発生させた。霜で壁にやはり蔦よろしく張りつき、一息に知事控え室の窓まで登るや、カギも氷の呪術で開けた――という訳だ。
「ジュリ……」
澪は控え室の中央に寝かされていた赤と白の少女――の装いの少年に近づく。己の氷の呪術がまだ効いているようだ。ジュリが冷気を纏って横たわっている。
「ロレンス僧正の薬で眠った上に、私の氷で凍らすなんて……本当に大丈夫なの?」
澪はそう呟くと、心配げにジュリの顔を覗き込む。そう、ジュリはロレンスが作った四十二時間仮死状態になる薬を、澪の氷の呪術を食らう寸前に飲んでいた。
逮捕はされても、拘束はされないようにと考えた結果だ。死体なら手錠すら架けられない。目が覚めれば動き回れる。ジュリがそう提案した。
もうそろそろその四十二時間が過ぎようとしている。無防備なジュリを守る為に、澪が氷の呪術を使ったが、むしろそれが仇にならないかは誰にも分からなかった。
「やるしかないか……先ずはと……」
澪は己にそう言い聞かせると、左の掌をジュリの胸元にかざした。
澪の呪力に反応し、冷気が湯気となって散っていく。慎重に呪力を操る澪は、目をつぶってその左手に意識を集中した。ジュリのはだけたままの胸元で、澪がその呪力を集中する。
「……」
丁度クスリが切れたのか、ジュリがゆっくりと目を開けた。澪は目をつぶったままで、それに気づかない。ジュリも朧げな目つきで身を起こした。
「ひゃ!」
「きゃ!」
無造作に上半身を起こしたジュリの胸元に、澪の左手が滑り込んだ。
「何すんのよ? エッチ!」
命懸けの作戦から生還したはずのジュリが、はだけた胸元を恥じらうように暢気に隠した。
「『エッチ』って何よ? 人がせっかく助けにきてやったのに」
「それとこれとは、話が別よ。もろ人の胸触ってんじゃないわよ」
「どんな胸があるって言うのよ」
「胸の大小は、その価値に左右されないわよ。ねぇ、そうは思わない? 一路澪さん」
「ぐ……腹立つわね、あんたはいつもいつも。ふん、でもいいでしょ? 女の子同士でしょ?」
「違うわ。私は別に女の子になりたい訳じゃないわよ」
ジュリが寝かされていたストレッチャーから降りた。
「じゃあ、何よ? 何でそんな女の格好してるのよ」
「私はニュートラルでいたいの。物事は自分で決めたいの。自分が男か女かは、私が自分で決めるわ。で、中身がどうしようもなく男だから、外身は限りなく女にしているのよ」
「ふーん。そんなものなの?」
「そうよ。先入観なんて、まっぴらゴメン。服の男物、女物も勿論気にしないわ。似合う服を着て、したい格好をするわ」
「ふーん。ただの趣味だと思ったわ」
「うるさいわね。それで、首尾はどう? てか、ここ死体安置室じゃないわよね。何処なの?」
ジュリは伸びのついでのように、辺りを見回す。
「とりあえず、一斉検挙は狙い通り中止になったわ。こっちもロレンス僧正の計算通り、今は四十二時間後の木曜の朝よ」
「ふーん」
「で、ここは本部長執務室の隣。控え室よ。本部長があなたを、ここに運び入れたみたい」
「モンタギューが?」
ジュリが側壁のドアを開け、その向こうの様子を確かめる。
広い部屋の窓際に大きいとはいえ机しかない。その重厚な机がモンタギュー本部長らしい無骨さを見せていた。後この広い部屋にあるのは、額に入れられた『大紋宮』の書だけだ。これが本部長の執務室らしい。
「そうよ。てか、呼び捨てにしないでよ。でも本部長は席を外してるみたい。どうする?」
「そうね。ここで、何かないか探しながら、待ちましょう。死体に用があったのなら、どうせやましい内容でしょうし。一人で戻ってくるでしょ。やっぱり何かあるのよ、あの男」
「でも私はまだ、本部長までが、クスリに関与してるとは、信じてないんだからね」
ジュリと澪は知事控え室の棚に手を伸ばす。ファイルを次々と引き出してはめくり始めた。
「禁呪法の権化のくせに、この古の呪術都市の警察のトップなのよ。怪しいに決まってるわ」
「それは呪術なしでも、この享都が繁栄するように――かもしれないじゃない? 好きなのよ、多分享都が」
「暢気ね。好きに解釈しなさいよ。たく、あのスケベぇの擁護なんて、よくする気になるわね」
「スケベ? 何? 何かされたの?」
「別に……裸にひんむかれて、体中撫で回されただけよ」
「えぇっ?」
「まぁ、呪術的にだけど」
ジュリが享都府主催のパーティを思い出す。軽く身震いもした。わざとらしげに両肩も掴んでみたが、身震いそのものは本物だった。
「思い出しても、寒気が走るわ。ミミズでも背中に入れられたみたいよ。いいえ、ミミズのほうがまだましね。振り落としたら落ちてくれる分、あの日の記憶よりよっぽどましだわ」
「ええっ! てか、それって本部長の方が、ビックリしてたでしょ?」
「そこで平然としているのが、あの男の怪しいところよ。裸にひんむきやがってから、平然と私に声をかけたのよ、あの男。多分こっちの正体もお見通しのくせにね」
「ええ? 本部長ってそっちの趣味があるの? あの顔で……いや……でも、そういうのも……アリかも……」
「何よ? 何、目を輝かせて、ブツブツ言ってんのよ? 手が止まってるわよ?」
「え? えへへ、そう? それでそれで! どうなったの?」
「何よ? 身乗り出してくるんじゃないわよ。気持ち悪いわね。まるでよく熟れたリンゴみたいな顔をしてるわよ。何? 甘い期待と好奇心でも、蜜の代わりに詰まってるての、その頬に?」
「え? そ、そう? そうかな。それでそれで? どうなったのよ? その続きは?」
「だから気持ち悪いわね。続きなんてないわよ。――ッ!」
不意に複数の足音が、廊下へと続くドアの向こうからした。
「帰ってきたわ。執務室の方ね」
二人はその音を聞きつけると、とっさに壁に身を寄せた。




