第四章、モンタギュー・激昂2
享都市上刑区下断売咬座通り東入る――享都府警本部。その通用口。
ストレッチャーが軽い音を立てて、警察本部に運び入れられた。まるでストレッチャーに乗せられている者の、この組織での扱いを表したかのような軽い音だ。そしてストレッチャーの主が既に息をしていないのは、その顔にかけられた白い布が無言で物語っていた。
衛藤ジュリ死す――
その報は享都府警を駆け巡った。貧民街への一斉検挙は同時に打ち切られた。
提案者のティバルト自身のクスリへの関与が発覚したことと、構成員不明のキャピキャピレッドギャング団の報復に備えることが、現時点での最優先課題となった。
「……」
澪がストレッチャーの横につき、険しい顔でジュリの死体とともに廊下をいく。
「よくやった、ロミオ」
先に澪がたれ込みを知らせた上官が、その廊下で満面の笑みで澪を迎えた。
「本部長にも報告しておいたぞ。明日の深夜まで出張なのを、嘆いていらっしゃったよ」
「そうですか」
「しかし生け捕りとは、いかなかったか? 聞きたいことは、山程あったんだがな」
「残念ながら……」
「そうか」
「元より『To be, or not to be:As You Like It!』――生死は問わず、お気に召すままに――のお尋ね者です。気にしておりません」
「それにしても、ロミオがジュリエットを殺して捕らえるとはな。偶然とはいえ皮肉なものだ」
「私は大紋宮の一路澪です。ロミオではありません」
「はは、そうだな。しかし、ティバルトの話は聞いたぞ。あいつが薬物に関与していたとはな」
「そちらの捜査はお任せします。私は衛藤ジュリの遺体を検死に回しますので」
「分かった。任せたぞ。だが、どれ。顔ぐらいは先に拝ませてもらうかな」
「それは構いませんが――」
澪の瞳がすっと細くなる。
「何だ?」
澪の上官がストレッチャーの白い布を剥がした。青ざめた顔の少女が横たわっている。
赤い髪に、赤い唇。そして白い肌。まぶたがつむられている為赤い瞳は見えないが、間違いなく赤と白の姿で自分達を翻弄した大紋宮の敵――衛藤ジュリだ。
だか動く気配が全くない。今だけは赤と白より、その青い顔がよく目立つ。
死んでいる。そして凍りついている。
「私の氷の呪術で止めを刺しました。氷結してますので、解凍されるまで触らない方がいいですよ。そうですね。氷結開始から、四十二時間。『死に』の時間の間は――」
澪は特に感情を込めずに淡々と上官にそう告げた。
その二日後。
享都市上刑区下断売咬座通り東入る――享都府警本部。某所。
舌が這った。
それは蛇のように狡猾に。ナメクジのように陰湿に。視線という名の舌として、横たわるその死体の上を這った。呪力を視線に乗せたそれは、手に入ったその体の上をまさに舐めるように這う。その死体が生きていれば、嫌悪と憎悪に悲鳴を上げたことだろう。
だがまだ服の上からだ。二人きりになるや、堪らず放った視線の呪術。唾液に衣服を湿らせる勢いで、その視線は体の上を這い回った。
前を破かれ、はだけて見える胸元。そこからその舌は蛇のように忍び込む。まさぐるように視線を送り、舌で舐めるようにじっくりと己のまなざしを這わせた。
勿論それだけでは、視線の主は満足しない。
視線の主がその衣服に実際に手を伸ばすと――
「――ッ!」
凍てつく冷気がその手を弾き跳ばした。
「なる程……流石は、ジュリエット。誰かに守られているようだ」
視線の主は呟くと、その冷気に納得げに頷いた。
享都市上刑区下断売咬座通り東入る――享都府警本部。その死体安置室。
「移送した? 何処にです?」
澪は担当官に詰め寄るように身を乗り出して訊いた。
澪は二日前のあの日偽りの報告書を書くと、貧民街でロザラインと落ち合い首尾を確認した。
無駄だと思いつつも昨晩の文句を言うと、ロザラインにやはり鼻で笑われた。鼻声での通報もやり過ぎだと言ってみたが、むしろ鼻を摘んで反省の弁を聞かされてしまった。それも『反省してます』か『鼻栓してます』か、よく聞き取れない鼻声――『はにゃせーしてます』でだ。
澪はそのまま一度宿舎に帰って心身共に疲れを取ることにした。翌水曜日は報告書の確認と、その説明に時間を費やした。澪は翌々日の木曜日の朝――府警本部に向かった。
澪はジュリの呪術が解ける時間の少し前に、険しい顔で死体安置室に現れた。名目はこれから実際どれぐらいの時間で、己の氷の呪術が解けるかの確認だった。
だがそこで聞かされたのは、ジュリの遺体が今朝早く移送されたという情報だった。
「本館最上階――本部長室。正確には、その控え室です」
「まさか。モンタギュー本部長のところだなんて。バレたの……」
澪は焦りを押し殺し、死体安置室を足早に後にした。
享都市上刑区下断売通り晨町西入――享都府庁。その知事室。
「知事。議会のお時間ですが? もう、お戻りでしょうか?」
知事室つきの秘書と思しき女性職員の声が、ドアのノックとともにした。
どうぞと中から男が返事をすると、職員は遠慮がちに扉を開けて入ってきた。
「ああ、すまないね。今戻ったよ」
窓の外を見ていたらしき知事が、にこやかに振り返った。
「衛藤ジュリ。捕まったそうですね?」
「捕まったよ。ま、死体としてだけどね」
「でも、わざわざ府警本部まで、知事自ら死体の確認にいきなさるなんて……」
「警部補の氷の呪術で凍っていたからね。本部長に意見を求められたんだ。早く解凍できないかってね。彼も色々やってみたらしいけど、ダメだったらしい」
知事はそう言うとその職員に軽く微笑んでみせた。お堅い公職にあるべき者の顔が器用に親しい笑みを浮かべる。むしろその笑みは悪戯を思いついた子供のように無邪気ですらある。
「はぃ……」
女性職員は思わず頬を染めそうになりながら、その言葉に相づちを打った。知事の言葉と同時に胸がズキッと痛み、その鼓動が早くなる。まるで心臓に小さな雷が落ちたかのようだ。
「ま、本部長が途中でトイレに中座して、死体と二人っきりにされた時は、ぞっとしたけどね」
「まぁ。知事を何と思ってらっしゃるんでしょ? 知事も出張帰りで、お疲れですのに」
「はは、でもそれは本部長も同じ。だが私も公職者。市民の為にできることは何でもするさ」
知事は何処までもにこやかに応える。
「で、衛藤ジュリはどうでした?」
その労を厭わぬ応えに、女性職員の頬は更に熱がこもっていく。
「まさに凍りついていた。死して尚、己の身に触らせまいとしているかのようだったよ」
「でも、これで一件落着ですよね? いくら緋撃のジュリエットといえども」
「さぁ、どうだろうね。だがジュリエットと呼ばれる程の人間――」
そう言うと知事は、さりげなく女性職員の肩に手を回す。部屋を出ようと促しながらも、それでいて急かしている印象を与えない。それ程自然に知事はその職員を誘導する。
「はい……」
女性職員はそれだけで、特別扱いをされたような気になったのか、今度は我慢できずに頬を赤らめた。そして背中に小さな電流が走ったかのように、自然と背筋を伸ばしてしまう。
知事は何げない様子で、出口で振り返る。その視線の先は窓――そしてその向こうにある先ほどまで己が注視していた府警本部だ。
「慌てん坊で、バカ正直な恋の道化が、死体を並べにくるかもしれないけどね」
知事は誰かに聞かせるかのように、そっと呟いた。




