第四幕、モンタギュー・激昂1
「薬事法違反で、現行犯逮捕」
吹き飛んだティバルトを道路の向こうに追い、澪は駆け寄るとその後ろ手に手錠を架けた。
ティバルトの怪我が致命傷でないことをとっさに確認すると、澪は無線を取り出し駆け足で状況を上官に報告する。報告が終わり澪が慌てて振り返ると、ジュリがスカートをたくし上げ、左の腿にハンカチを包帯代わりに巻いていた。
「ジュリ! 怪我は大丈夫なの?」
心配げに戻ってきた澪が、慌ててジュリの胸元を覗き込む。
「派手に切り裂かれちゃって、こっちは怪我ないの? 大丈夫――へっ?」
だが澪の動きはそこで止まってしまう。驚きにブラウスを離し、手を挙げてしまう。目も点で、口もぽかんと空けた。
「何よ。オイラー方程式にひょっこりと顔を出す『オイラーくん』みたいな顔をして」
「えっ? えっ? えっ? お、男? ジュリ、何? 男なの? へっ? ジュリ! 男!」
そう、ジュリの胸は男としか思えない程、平坦で筋肉質だった。
「そうよ。オイラーくん」
「何よ? 『オイラーくん』て?」
「オイラーくんはオイラーくんよ。理想流体を現すオイラー方程式の計算項目よ」
そう言ってジュリは、近くに落ちてあった木切れを広い、地面に走り書きをする。数式のようだ。数式の一部に、確かに顔のように見える項目があった。
――『(ν・∇)ν』
かなり驚いている。大口を開け、目が点になり、両手を拡げて上げている。今の澪の顔そのままだ。でもそれでいて何処か楽しげだ。
「顔文字?」
「違うわ。立派な方程式の一部よ。『∂ν/∂t+(ν・∇)ν=-1/ρ∇p-g』ていう難しい式に、ひょっこりと顔を出すお茶目な子よ。知らないの?」
「知らないわよ、そんなの。確かにそんな感じに驚いたけどさ。てか、今そんな話じゃないの! ――ッ! ああっ! わ、私! 私、一晩中! ジュリの隣で寝てたんだけど!」
「シャツ一枚に、パンツ一丁でね。年頃の娘が、はしたないわ」
「ななな、何を言って! ――ッ! あっ! ジュリ、私が着替えてる間もいてたよね!」
「別にあんたが後ろ向いたから、背中しか見てないわよ」
「なーッ! お尻も見えてんじゃないの? それって!」
「自分で、見せたんでしょ」
「キーッ! ロザラインがニヤニヤしてたのは、そのせいなのね!」
「そうよ。一本取られたわ」
「一本取られたとか、そういう話じゃないわよ!」
「いいじゃない。私だってあんたのこと、最初は男だと思ってたわよ」
「どさくさまぎれに、何失礼な告白してんのよ! てか、何で直ぐ気がつかないのよ!」
「うるさいわね。あの公園、暗かったんだから、しょうがないでしょ。あんたが女だと気がついたのは、ホールに入って声かけた時よ。何か色々とお互い様よ」
「お互い様? へぇ、そうなんだ……」
澪の動きがぴたりと止まり、眉毛だけがぴくりと一つ動いた。
「ジュリ、一つ訊いていい?」
「何、澪?」
「あなた私の胸、触ったよね。ダンスの時。子鹿がどうのって、言いながら」
「野に遊ぶ子鹿のようによ」
「そう……でも、そんなことは、どうでもいいの……触ったよね?」
澪の声は徐々に怒気をはらんでいく。
「ええ、触ったわよ。何? 怒ってんの、今更? いいじゃない、減るもんじゃあるまいに」
「何、堂々と触ってくれてんのよ!」
「えっ? 要確認――かな? って思ったのよ」
「何を確認するのよ! 見て分かるでしょ! 必要ないでしょ!」
「そうね。確かに、余計に自信がなくなったわ……」
「キーッ! なんて言い草! 腹立つ!」
「そんなことより、澪――」
「そんなことって何よ! 大問題よ!」
「問題だとしても、『大』がつく問題なの?」
「ム・カ・つ・く! 胸の大小は、その価値に左右されないわよ!」
「あ、そう」
「キーッ!」
尚も切れる澪を余所に、遠くから足音が聞こえてきた。ブーツの音だ。それも複数。制服警官達だろう。その足音にジュリと澪がお互いに目配せをした。
「もういいわよ。もういいから、早く――」
澪は呆れたようにそう言うと、左手をかざしてその冷気の呪力を煌めかせ出した。
「――ッ!」
「早く――死になさいよ!」
ジュリが驚いたように口元に手をやるや、澪はためらいもなく氷の呪術を放った。