第三幕、ティバルト・猛襲10
「ぐ……」
ジュリは体中に受けた衝撃波で、バラックの外に投げ出された。そのまま向かいのブロック塀に背中から激突し、後頭部を強打してしまう。
「弾はなくとも、衝撃波だけ撃ち出せるんだな、これが」
ティバルトがゆっくりとバラックから現れる。
「ま、威力と狙いはあまくなるがな。あんなけボンベがあっちゃ、贅沢は言えねぇしな。それに数を食らえば、それなりのもんだろ? なぁ! ジュリエットさんよ!」
「おのれ……」
「頭打ったか? 動けねぇみたいだな。ははっ、容赦はしねぇけどよ」
ティバルトがジュリの襟元を掴んで、強引に立ち上がらせた。
「ティバルト……」
「ふん。さしもの緋撃のジュリエットも、ここまでくればただの女だな」
ティバルトはジュリの両手首を左手で掴み、そのままブロック塀に押しつける。
背の高いティバルトに吊るされる形になったジュリは、足を地面に着けることもできずに宙に浮かされた。ティバルトの視線が満足げに上下した。
「猟で仕留めた鹿の毛艶じゃあるまいし、成金貴族みたいな顔で見ないでくださらない?」
「口はまだ達者だな。だが体は動かねぇだろ? さあ、あの女の居場所を吐いてもらおうか?」
ティバルトが銃をホルスターに戻し、懐から細身のナイフを取り出した。
「誰が……」
「ははっ! 簡単には口は割らねぇか。シャレが好きなようだし、シャレで尋問してやろうか?」
「お前のような半端者に、シャレた趣向など考えつくものか」
「ははは、そりゃそうだ。では、お前がほざいていたふざけたシャレの言葉でも、切り刻んでやろうか。腿でも腹でも、好きなところにな。おっと。謝礼は結構だぜ」
「おのれ……」
「おいおい。そんな顔で睨むよ。愛しちまうだろ? 惚れちまうだろ? イカレちまうだろ?」
ティバルトは陽に光るナイフを一度ジュリに見せつけると、
「受け止めな! 俺の気持ちをよ!」
やはり何のためらいもなく、ジュリの左の腿に突き刺した。
「ぐっ……」
左の腿に走った激痛に、ジュリが堪らず声を上げる。
「おやおや、初めって訳でもあるまいに? 男に刺されて痛がるなんて、演技が過ぎるぜ」
「ふん、随分と下品で、節穴ね……穴が空いているのは、あなたのお目めの方よ……」
「おやおや、下品はお互い様だ。だが、生意気ないい目だ。もっと傷つけてやりたくなる」
ティバルトは嗜虐的に目を細めると、ナイフをジュリの腿から抜いた。この暴虐の警部は、意識して傷が深まるようしようとしてか、左右に震わせながらナイフを引き抜いた。
「――ッ!」
だがその仕打ちに、声も出さずにジュリは耐える。
ティバルトがこれ見よがしに、血のついた切っ先を、ジュリの前で撫でるようにふるった。
ナイフについていた血が、ジュリの頬に移る。浅く頬を切り裂いた刃が、更に血をしたたらせた。血が血を呼んでいるかのように、ジュリの頬が朱に染まる。
「ふふ……確かに美しい……傷をつけずには、いられねぇな」
「サディストが……」
「ははっ! お褒めいただき光栄だ。しかし、緋撃のジュリエットとはよく言ったもんだ。悲しい程、劇的に赤がよく似合うぜ。血が流れ出る度に、赤いドレスで着飾っていくみてぇだ」
「あなたにドレスを送られる覚えはございませんわ……仕立て屋でもありますまいに……その手に持った縫い針は、繕い物には少々大き過ぎますでしょうよ……」
「おやおや、もう一つの可能性を、わざと避けるとは。聞きしに勝る天の邪鬼ぶりだ」
「もう一つの可能性ですって? あなたに愛を囁かれたことは、一度もございませんわ……」
「ははっ! 今まさに、愛の告白中だがな。それに気づけねぇとは、噂のジュリエットもたいしたことはねえようだな。先ずはダンスにでも、お誘いするべきだったか? ああっ!」
ナイフがジュリの喉元を撫でた。静脈の上。薄皮一枚を挟んで、刃が踊る。
「く……」
「ははっ! 俺のナイフのステップは気に入ってくれたか? 一緒に危険なダンスしようぜ」
「これが求愛のダンスですの? あなたの愛情は、羽虫のように鬱陶しいですわ。周りで飛び回るだけでご満悦なら、いっそのこと炎の中にでも飛び込んで下さらない? 身を挺して愛しい人を、喜ばしてご覧なさいよ。鼻で笑って、他の恋人と楽しんであげるわ」
「ほざけ!」
ティバルトのナイフが一閃した。その一撃がジュリの胸元をベストとブラウスだけ切り裂く。
「な……貴様……」
その露になった胸元にティバルトが息を呑んだ。
「あら失礼。〝パッケージ〟と〝商品〟が違いましたでしょうか? それとも〝付属品〟にでも、間違いがございましたでしょうか? だけど本体はお望みになったもののはず。あなたが欲しいと思ったもののはず? それでもご返品なさいますか?」
ジュリがはだけてしまった胸元を、惜しげもなく曝して言い放つ。
「バカにするな!」
ティバルトが怒りとともに、ジュリを地面に放り投げた。
「悲劇から逃げ出すとは……人生がまだまだ分かってらっしゃらないのね……」
ジュリが立ち上がる。だが立ち上がったその場でふらついてしまう。
「ははっ、何を! 人生の悲劇から逃げ出す為に、クスリに手を出す連中と一緒にすんな!」
ティバルトはナイフを懐に仕舞い、ホルスターから銃をポケットから新しい弾を取り出した。
「自分だけは違うって、おっしゃいますの?」
「おうよ。渡した瞬間に、慌てて口に含んじまう、あんな惨めな連中と一緒にすんな」
尚もふらつくジュリに見せつける為か、ティバルトは一つ一つ弾を込めていく。死刑執行の秒読みでもするかのような、それはゆっくりとした乾いた動きだった。
「『渡した瞬間』?」
「おっとまたまた失言だったかな? そうよ。あの連中が手にするクスリは、大抵俺が卸したやつさ。ま、体一つで買いにきた女には、直接渡すこともあったがな」
ティバルトは弾を込め終える。わざとらしく音を立てて弾倉を戻した。
「その一人がマキなのね……そして、今や邪魔なのね……」
「そうだ……直ぐに飽きちまったからな。ポイッと、捨てたのさ。ゴミよろしくな」
「――ッ! ……この……」
「おっと怖いね、その顔。ゴミ扱いは、お嫌いだったな。だがまぁお前にゃ、もう関係のない話。とっととあの女の居場所を吐いて、死んでくれ」
そう言ってすっとティバルトが銃口を向けると、臆せずジュリが口を開く。
「ですって。聞いてましたわね――」
「ああん?」
いぶかるティバルトの背後――バラックの陰から、不意に人影が飛び出した。
「澪!」
ジュリの呼びかけに応えるように、飛び出した一路澪がその銃を蹴り飛ばした。