第三幕、ティバルト・猛襲7
享都市下業区某筋御冗通り上る――貧民街。ジュリのアジト。翌朝。
ジュリが目を覚ました。寝つく前の記憶が曖昧で、今自分が何処にいるのかとっさに分からない。何しろこんなにぐっすりと無警戒に眠ったのは、随分と久しぶりだったからだ。
鳥の鳴き声がしていた。朝だというのはそれで分かった。
更に状況を確認しようと、ジュリは先ずはと横に目を転じる。何だかいつものベッドよりは、そちらに大きく沈んでいる。そんな風に感じたからだ。
ジュリがまどろみながらも横に視線を向けると――
「――ッ!」
そこには澪がいた。
そう、ジュリの隣で澪が寝息を立てていた。ワイシャツ一枚だった。ショーツ一枚だった。うつぶせで、ジュリに向けてその寝顔を向けていた。
「最大事後確率!」
ジュリは何やら叫びながら、慌てて上半身を跳ね起こし、腰を引いた。
「いえ、何を言っているの私! それは主観確率の一つで、事後確率を最尤法で……いえ、そんなこと、今はどうでもいいのよ。ダメね、動揺しているわ、私。しっかりしなさい、衛藤ジュリ。何もなかったはずよ。自分の主観を信じなさい。私と澪が……そんな確率、あり得ないわ。宇宙人との出会いを計算する、ドレークの方程式でもそんな確率、計算できないわ。どんな数値を放り込んでもあり得ないわ。宇宙人との邂逅以上に、奇跡的よ」
ジュリは尚も意味不明に呟きながら、小さなベッドで少しでも距離をとろうと後ずさる。
「何暢気に寝てんのよ。シャツに、ショーツ一枚だなんて無防備だわ。まるで、薄手の包装紙で包んだ一輪のバラ……――ッ! なっ! 何で澪をバラなんかにたとえてるのよ、私!」
「ん……」
ジュリの騒ぎに目が覚めたのか、澪が上半身をむくっと起き上がらせた。
「あ、おはよ、ジュリ……ふわぁ……」
澪は眠たげに目をこすりながら、ジュリに背中を向けベッドから何げなく降りる。
「な、ななな……何? 心身ともに蕾と言わんばかりの顔して……バラの蕾についた朝露よろしく、涙まで目の端に溜めて……てっ! やっぱり何を言ってるのよ、私……」
ジュリは目を見開き、ベッドに腰を着いたまま更に後ろに下がっていく。
「もう、大変だったんだからね。ベッドもシーツも、一つしかないし。隣の部屋はカギかかってるし。パジャマの場所は分かんないし」
「パジャマ?」
その言葉にジュリは慌てて己の身を見下ろす。いつものブラウスにベストだ。スカートも履いている。脱いでいるのは靴だけのようだ。
ジュリはめくれ上がっていたスカートの裾を、慌てて押さえて整え直した。
「ロザラインが、靴だけ脱がして放り込んどけって言うから、悪いけど着替えさせてないわよ」
「あ、あ……あ、そう……そうね。その方が、確かにありがたいわ……」
ジュリが慌ててそう言うと、
「――ッ! てっ! 何してるのよ!」
シャツを無造作に脱ぎ始めた澪に、更に慌てふためいて叫び上げた。
「何って、着替えよ。あっ、寝間着にシャツ借りたわよ」
澪は上半身裸で首だけ振り返る。幸か不幸か澪はジュリに背中を見せていた。
澪のその背中には背骨と肩甲骨が、控えめに浮き出ていた。
ジュリは澪の背中から目が離せない。
「まるで浮き彫りで作った、瑪瑙細工のカメオのような繊細さね……モチーフはやはりバラかしら? 開花前のたおやかな草花の――そう、その茎とウテナを思わせる、そんなはかなげな……」
ジュリは我知らずぶつぶつと呟くと、その背中に魅入ってしまう。
澪はそんなジュリを気にせず着替えを済ませていく。
「……」
ジュリはシーツを引き寄せ、隠すように下半身にかぶせた。
「何よ?」
澪はスーツに着替え終わると、こちらを凝視しているジュリに振り返る。
「……別に……」
「早く起きなさいよ。もう大丈夫でしょ? いつまでシーツひっかぶってんのよ。鳥の鳴き声が聞こえないの? もう朝よ。火曜の朝よ」
澪はそう言うと、ジュリが下半身にかけたままのシーツを引っ張ろうとする。
「いいから! まだ朝じゃないから! そうよ、あれは夜を告げる鳥! そう! 夜鳴鳥――ナイチンゲールよ! ナイチンよ! ナイチン!」
「……」
「何よ?」
「……あんまり、ちんちん言わないでよ。何か……照れるじゃない」
「――ッ!」
その言葉にジュリは更にシーツを握りしめる。
「てか、何言ってんのよ。あれ雲雀よ。朝雲雀。早く起きなさいよ」
「私はいいから! 私はいいから、先にいってて!」
澪は尚もシーツを引っ張ろうとするが、ジュリはあくまでそのシーツを固守する。
「何よ? 何興奮してんのよ?」
「こここ、興奮! 興奮ですって? だだだ、誰が! 興奮なんか! みみみ、澪になんか興奮なんてするもんですか!」
「何で私に興奮するのよ? てか、さっきから、いきり立ってるじゃない? 何よ、ジュリ?」
「いいい、『いきり』! 『いきり立ってる』ですって? いい、いきり立ってなんか、い、いないわよ! だだだ、誰の、どど、何処が、ナナナ、ナニだって言うのよ!」
「さっきから、何言ってんの? しっかり興奮してんじゃない? もう、何なのよ?」
「あああ、朝だからよ! そ、そうよ! 朝だから! あ、朝だからに、決まってるわ!」
「変なジュリ。何で朝だからって興奮するのよ? まぁ、いいわ。早く降りてきなさいよ」
澪は呆れたようにそう言うと、一人で部屋を出て階下に降りていった。
「……屈辱だわ……何て屈辱なの……澪の寝姿や裸に動揺するなんて……」
ジュリは悔しげに奥歯を噛みながら、今しばらくベッドから降りることができなかった。




