第三幕、ティバルト・猛襲3
ジュリは僅かばかりだけ己の意になる呪力を操り、逃げ込んだ筋を駆け抜けた。一歩地面を蹴る度に、無様な音を立ててブーツがくすぶった炎を上げた。
ジュリはふらつく足取りで、歩を進める。傷む鳩尾を押さえながら、前に進む。己の無力にほぞを噛みながら、足を動かす。
今なお何人も連行されていると分かっていながら、敵に背を向ける。
情けない――
鳩尾が痛む度にそう思ってしまう。
足下がふらつく度に、悔しさに拳を握ってしまう。
そして何故かその焦燥に喘ぐ、ジュリの心に浮かんだのは、
「これがあなたの正義なの? これがあなたの大紋宮なの? 澪!」
険しい目をこちらに向ける一路澪の顔だった。
享都市下業区某筋御冗通り上る――貧民街。その御冗通り側入り口。同日夜。
ジュリは昼過ぎ、覚束ない足取りで貧民街に帰ってきた。だが皆に姿が見えるところまでくると、何事もなかったかのように真っ直ぐ歩き出す。
そしてジュリは夜までに、入り口にバリケードを作ることを提案した。ジュリが大人達と力を合わせると、大通りである御冗通り沿いのその辻々に、即席のバリケードができ上がった。
昼間の捕り物から逃れてきた者達が、この地区の貧民街にも雪崩れ込んでいる。これを口実に警察がこちら側に逮捕の目を向けても、何の不思議もない。特にあのティバルトはマキが目的のようだ。マキもここに逃げ込んでいる。あの男がそれを見逃すとも思えない。
「……」
ジュリはバリケードの内側を見やる。殺気立った住人達が緊張に身を固くして座り込んでいた。誰もが分かっている。もう一度警察がくれば、次に逮捕されるのは自分達だと。
警察は手当り次第に市民を逮捕していた。逮捕される理由どころか、逃れられる理由がない。
「怯えるのも無理ないわね……」
ジュリは皆の様子を確かめにバリケードの内側を点検するように見回った。
ズキッ――と少し歩くだけで鳩尾が痛んだ。
「比翼連理といきたいところだけど……支えてくれる人なんていないわよ……」
ジュリは痛みを堪えると、また顔に出さないように歩き出す。バリケードを作っている間も、今見回っている間も、誰もジュリが歩くのがやっとだと気がつかなかった。
それでも傷む度に、ふらつく度に思い浮かんだのは、澪の顔だった。
「何であの娘の顔が、思い浮かぶのよ?」
ジュリが不機嫌に顔を歪めると、不意に己の名を呼ばれた。ジュリが振り返ると、何人かがバリケードの向こうを指差していた。どうやら招かれざる客のようだ。皆がいぶかしげに視線を向け、ジュリに意見を求めるかのように黙って待っていた。
「あれは……」
ジュリが思わず呟く。それはたった今目に浮かんだ顔だったからだ。
一路澪だ――
皆が憎悪で目を向ける先に、無防備にも澪が立っていた。バリケードの向こう、八車線の道路の中央分離帯に澪が真っ直ぐ立っていた。
己の姿が見える位置に、己の声が届く距離に、澪がその身を曝している。その上最初から警察だとバレている。皆の視線がそれを物語っていた。むしろ自ら名乗り出たのだろう。
こんな時まで、何真っ直ぐに立ってんのよ――
と、ジュリは半ば憤りを感じながらバリケードを乗り越え、その向こうに身を乗り出した。
「こんな夜更けに何の用? てか、昼の夜よ。あの昼の、今日の夜よ。ぬけぬけと顔を出して。何? 死ぬ気なの?」
ジュリが誰よりも前に出る。バリケードの後ろに、殺気立つ住人を残して一人前に立つ。
「話があるの」
「話? 話はなしよ。この皆の殺気に気づけないの? さっき気づきましたじゃ、遅いのよ」
ジュリが突き返すように応える。殊更つまらなく言葉をかけた。
らしくない――
ジュリは我ながらそう思う。昼間の怒りを澪にぶつけているのだ。確かにらしくない。
「どれだけの人が連れていかれたと思ってるの? どれだけの人があのまま帰ってこないか知ってるの? どれだけの人があの人達の帰りを待っているのか分かってるの? どれだけの罪をあの人達が犯したって言うの?」
「それは……」
「この際だから、はっきり言うわ、澪。私は警察が嫌いなの。私達は警察を信用してないの。私達は小さい頃から、行政や警察にゴミのように扱われてきたわ。こんなに個性豊かな人達をつかまえて、彼らはゴミのように扱うのよ。法とやらを振りかざしてね」
「……」
「そうよ、私達は大なり小なり、今回みたいなことをされてきたの。私はゴミ扱いされるが、この世で一番嫌いよ。一気に血が昇る程にね。本当にゴミを見るように、いつも彼らは私達を見るのよ。今日のようにね。そうよ、今まさにそんな怒りが頂点に達しているのよ」
そんな中、あなたは一人できたの? バカじゃないの――
ジュリは最後の言葉を呑み込む。
「今回の捜査は……警察内部でも、異論がない訳じゃないわ。でも、まだ小さな声なの……」
「慰めにもならないわ。今際の際に、歯が丈夫ですねと、言われてるようなものよ」
あなたはどう思ってるのよ――
喉まで出かかっていたその言葉も、ジュリは呑み込む。
「……」
「……」
二人は苛立たしげに、そしてもどかしげに互いに見つめ合った。
「……」
ジュリの後ろで、鈍器を手に持った大人達が何人か身じろぎをした。
「……帰った方がいいわ、澪……」
ジュリはかけ値なしにそう思ったのか、冷たく突き放すように澪に告げた。




