1-8『名前』
――バコンッ!
すさまじい破砕音とともに、木製の棚がギシギシと悲鳴を上げて大きく揺れた。
「おいおい、マジかよ! ドクター、窓が開くか確認してくれ!!」
番長が全身の体重をかけ、力強く棚を押さえつける。
迫りくる危機感を本能的に察した俺も、慌てて番長に並び、二人掛かりで棚を押し返した。
「任せてください!」
威勢よく愛想のいい返事を返し、ドクターは窓の施錠へと向かう。
「……施錠を解除するのは厳しそうですね。校内のセキュリティシステムが完全に作動しているみたいです」
その言葉を聞いた瞬間、棚を抑える俺と番長の額から冷や汗が噴き出した。
忘れていた。この学校を支配する管理システムの存在を。生徒の行動一つひとつを徹底管理している連中が、侵入者の退路を塞がないわけがない。
「――おい、ちょっとの間棚を頼むぜ!」
「え、ちょっ――!?」
番長は棚からパッと手を離すと、背負っていた金属バットを素早く引き抜いた。俺はすかさず歯を食いしばり、全身全霊の力で棚を抑え込む。
「ドクター! 窓から離れてろ!」
ドクターが素早く身を引いたと同時に、番長はフルスイングの勢いで金属バットを窓ガラスに向かって投げつけた。
――バリンッッ!
窓ガラスが豪快に砕け散る。飛び散る破片が、まるで美しい雪の結晶のように光を反射した。
「よっしゃ! 思った通りだぜ!」
ルンルンで満足そうな声をあげ、番長がすぐさま棚の抑えに戻ってくる。
「まずはドクターから外に出てくれ!」
「ええ。ですがその前に、一つだけ――」
ドクターは窓枠に手をかけながら、ふと俺へと視線を向けた。そして、ペストマスクの奥から優しく語りかける。
「君はどうしたいのか――素直になって、自分自身の意思で選択してくださいね」
そうと言い残すと、彼女はひょいっと軽やかに窓の外へ姿を消した。
「次はお前さんの番だ! 先に行け!」
番長がガスマスク越しに強い視線をぶつけてくる。
この時にはもう、彼らに対する俺の第一印象は最悪な状態から百八十度ひっくり返っていた。
――こいつら、めちゃくちゃいい奴らじゃねえか。
胸の中で呟く。俺のとるべき行動は、もうすでに決まっていた。
窓から逃げるか、このイカれた校内に留まるか――迷う必要なんてどこにもない。
「後は任せたぞ、番長!」
俺は棚から手を離し、勢いよく窓の外へと身を投げ出した。
……完全に失念していた。保健室が『一階』にあるということを。
俺は地面にしこたま身体を打ち付け、滑稽な体勢で転がった。
「っ痛てて……!」
背中をさすりながら顔を上げると、目の前がペストマスクで埋まった。
「ふふ、ちゃんと選択できましたね」
嬉しそうなドクターの声を聞き、少しだけ顔が熱くなる。絶対、今俺の顔は赤くなっている。
――バタンッッッ!!
窓の奥から、ついに棚が激しく倒れ込む重厚な音が響いた。
「番長は!?」
思わず叫びそうになったが、その心配は無用だった。
番長は鮮やかな身のこなしで窓枠を飛び越え、着地してみせた。
「二人とも無事か!? ずらかるぞ!」
「「おう/ええ!」」
俺とドクターは力強く頷き、三人で全力で街を目指して走り出した。
走る最中、壊された窓の中を振り返るような真似はしなかった。なんとなく、見てはいけない恐ろしいものを見てしまう気がしたからだ。
◇
校門を無事に駆け抜け、学校から遠く離れた路地裏で、三人ようやく足を止めた。
「はぁ……はぁ……巻いたか……?」
「みたいだな」
「ですね」
肩を上下させ、酸素を貪るように呼吸を整える。二人なんて分厚いマスクをつけているんだから、俺以上に息苦しいはずだ。
「そういや、お前……これからはなんて名乗っていくんだ?」
一足先に息を整えた番長が、俺に問いかけてきた。肺活量化け物かよ。
「はぁ……はぁ……本名じゃダメなのか……?」
「この世界で本名を名乗るのは、あまりおすすめできませんね。セキュリティやリスク管理の観点からもです」
ドクターの言葉に、なんとなく合点がいった。やはり、この世界を陰で支配している存在は――。
「俺がこれから名乗る、名……」
俺という存在の証明。この歪んだ世界に対する、俺の象徴。
思考を巡らせていた時、あの教室で番長から投げかけられた最初の問いが鮮明に蘇った。
『――お前、人間か?』
そうだ。俺は人間だ。
感情を失い、管理された人形どもに対抗する、血の通った人間。
人間、ヒューマン――。
ゆっくりと呼吸を整え、俺は二人に向かって胸を張り、力強くその名を口にした。
「――俺は『ヒューマ』と名乗る者だ」




