1-9『帰宅』
俺は少し誇らしげに、満面のドヤ顔で名乗ってみせた。
「『ヒューマ』か! いや、その名乗り方なんかカッコつかえねえなぁ!」
番長のフランクなツッコミを聞き、俺はさっきまでの気恥ずかしさに急激に顔を赤らめた。二人の自己紹介はあんなに雰囲気があってカッコよかったのに、今の俺は客観的に見てかなり滑稽だったに違いない。
番長と顔を見合わせたまま、わずかな沈黙が流れる。そして、我慢できなくなったように二人で同時に吹き出した。
その様子を、ドクターがれんげ草のように微笑ましそうに見守っている。
「ふふっ。緊迫した状況なのに、二人ともすっかり仲良しですね」
「まあ、命がけで棚を押さえつけた仲だからな!」
番長はからりと明るく笑い飛ばす。やっぱり、こいつはとびきり良い奴だ。
一通り笑い合ったあと、俺は話を本題へと切り替えた。
「――で、これからどうするんだ? 本来の目的は達成できたのか?」
「これ以上、あの学校を探索するのは危険すぎますね。ただ……校内で十分な医療品や食料をかき集められなかったのが、唯一の問題です」
食料が見つからなかったのも無理はない。あの学校は給食ではなく、一人ひとりに合わせた弁当制だったからだ。
「『ヒューマ』にこうして出会えたこと自体が、すっげえ大成果なんだけどさ! でも、ぶっちゃけ俺達の備蓄もカツカツなんだわ」
番長の肩がわずかに落ちている。この調子だと、手持ちの食料は持ってあと一日といったところか。
――食料が手に入る場所。この街で、俺が知っている確実な場所といえば。
「俺が住んでいる学生寮はどうだ? 共用の食堂がある寮だから、食材のストックなら絶対に眠っているはずだ」
「マジか! じゃあ、次の目的地はヒューマの住処に決まりだな!」
ドクターもこくりと頷く。
「では、道案内をよろしくお願いしますね、ヒューマ」
俺の記憶が正しければ、こうして誰かと群れて行動するのはいつぶりだろう。こんな異常な状況だというのに、胸の奥がわずかに高鳴っていた。
◇
寮へ向かう道すがら、俺は二人にこの世界の核心について改めて質問を投げかけていた。
「――で、訊きたかったんだが。この世界を支配しているのは、やっぱり『AI』ってことで間違いないのか?」
「ええ。ヒューマが学校で過ごしていたように、人間はシステムによって徹底的に管理されています。ただ、ヒューマのように自分の自我を保って生きている人はごく少数で、大半の人間はすでに『廃人化』してしまっています」
やはり、俺の嫌な予感は的中していた。
昔から毛嫌いしていたAI。そいつらに人間が支配されているなんて、どれほど最悪な結末だ。ていうか、AIを作り出した人間が逆に支配されるなんて、人類の歴史はどこまで愚かなんだよ。
「じゃあ、俺たちと、廃人化している連中の『大きな違い』って何なんだ?」
「――大きな違い。それは、『感情』の有無です」
感情。人間が物事や対象に対して抱く、喜怒哀楽の揺らぎ。それが、あいつらにはないだって……?
「あいつらの感情は、一体どこへ行ちまったんだ?」
「それは、俺達にもまだ分かっていない。……あと、ここで一つ訂正だ」
前を歩いていた番長が、低く引き締まった声で振り返る。
「感情を無くしているのは、あいつらだけじゃねえ。俺達も……正確には一部を失っているんだ」
俺たちも、感情を失っている?
だが、そんなはずはない。だって俺たちは今、こうして生々しく会話をし、恐怖し、笑い合っているじゃないか。
「といっても、俺達に共通しているのは『失ったのは感情の一部だけだ』ってことだ。全部が抜け落ちてわけじゃねえから、こうして廃人化せずに自我を保っていられるのさ」
番長の説明を聞き、背筋が凍るような悪寒が走った。
せっかく元の現実を取り戻そうとしているのに、自分自身が「何を失っているのか」すら見当もつかない。俺は、この頭の中で勝手に芽生えていた自分の人格そのものを疑い始めた。
「……ヒューマには、まだピンとこないかもしれません。ですが、番長の言っていることは事実です。今は無理に理解しようとせず、心の片隅に留めておいてください」
ドクターの穏やかな声に促され、俺はぐっと息を飲み込む。今はこれ以上深く考えるのはよそう。俺は別の疑問を口にした。
「じゃあ、AIと、俺たちのような人間の見分け方はあるのか?」
「――目の色。奴らの瞳の色は、血のごとく冷酷な『赤』だ」
番長の口から告げられたその色に、心臓が激しく跳ね上がった。
その瞳の色を持つ人物に、思い当たる節があったからだ。
まずは、俺のクラスの担任の女教師。彼女の瞳は、鮮血のような赤色だった。あの温厚とは程遠い、淡々と管理を遂行する姿――。番長が迷うことなく彼女にバットを振りかざした理由が、今なら痛いほどよく分かる。
そして、もう一人。俺の身近に、どうしても心当たりがある人間がいた。それは――。
「おい、ヒューマ! あれが目的地か?」
番長が前方の一際大きな建物を指さす。
「……ああ。あれが、俺の住む学生寮だ」
俺たちは足を速め、寮の正門へと近づいた。
今朝、正門を出たときと同じ風景。しかし、そこには到底無視できない『先客』が佇んでいた。
その姿を認めた瞬間、ドクターと番長が瞬時に身構え、臨戦態勢に入る。
あれこそが、さっきから胸騒ぎの正体だったもの。
血の色をした、赤い瞳の持ち主。
――食堂の、おばちゃんだった。




