1-7『合流』
「てか、ここどこだよ!? アイツはどこに逃げやがったんだ!!!」
廊下の向こうから、重厚な怒号と大きな独り言が響いてくる。誰かに追われながら、俺の姿を探し回っているのに違いない。……っていうか、アイツは今までずっと校内を走り回っていたのか。体力どうなってんだよ。
奴の声を聞いたおかげで、熱くなっていた頭が少しだけ冷静さを取り戻した。
と同時に、さっきドクターから聞いた話と状況が繋がり、頭の中で一つの推測が形作られていく。
――あのガスマスクは、ドクターの仲間だ。
そして、そのガスマスクを追いまわしている『何か』がいる。
その『何か』の正体って、まさか――。
俺の推測が確信に変わりかけた、その時だった。
閉じ切られていた暗闇に、突然まばゆい光が差し込んできた。
ドクターがカーテンを開けたのだ。彼女の顔には、先ほど外していたペストマスクが再びしっかりと装着されていた。
「一体、なにを……」
「あの子を回収しなくちゃいけませんから」
俺の問いかけに、彼女は丁寧な口調でそう答える。その言い方は、まるでやんちゃな大型犬のリードを引き戻そうとする飼い主のようだった。
そう言い残すと、ドクターは保健室の引き戸をほんの少しだけ隙間を開けた。そして――
「番長ーーー!! こっちですよーーー!!!」
静寂を切り裂くような大声で叫んだ。
その声は廊下の端まで届かんばかりに朗々と響き渡る。洗練されたお姉さん風の口調から、突然のたくましい怒号への切り替え。相変わらずこの人の緩急にはついていけない。
直後、廊下の遠くから威勢のいい声が返ってきた。
「助かるぜ! 今いく!!」
さっきまでのイライラした独り言とは打って変わり、あからさまにテンションが上がっている。
その返事を聞いて満足そうに頷くと、ドクターはパタンとドアを閉めた。そして、くるりとこちらへ振り返る。
「今から来る子も、とってもいい子なんです。緊張するでしょうけど、会話を楽しんでみてくださいね」
「え……」
ドクターの圧倒的な緊張感のなさに、俺は引き気味の声を漏らした。
ガスマスクの男は絶賛追われている最中のはずだ。会話を楽しめって、どんなメンタルしてるんだ……。
「さっきの声はここからだな!」
ドアのすぐ裏手から、自慢気な声が聞こえた。直後、引き戸が勢いよく開け放たれる。
「ドクター! ここにいたのか! って、感動の再会に浸ってる場合じゃねえ……!」
部屋になだれ込んできたガスマスクの男は、入口の脇にあった重厚な木製の薬品棚に肩をぶつけ、そのまま一気に押し込んだ。
――ズズズズッ!
床を削る凄まじい音とともに、棚が保健室の扉をがっちりと塞ぎ込む。
「ふぅ……これで少しは時間を稼げるな。……ドクター! 医薬品の回収はどうだった?」
「見ての通り、バッチリですよ、番長」
「さすがだぜ! オレさまなんて、せっかく人間を見つけたのに尻尾を巻いて逃げられちまってよ。見失った挙句、あいつらに追いかけ回される始末だ」
ガスマスクの男は首をゴキゴキと鳴らしながら、露骨に疲労をアピールしている。……やっぱり俺を探して走り回っていたのか。
「ふふ、番長も頑張ったのね」
ドクターがクスリと微笑み、そっと俺の方を指さした。
その指先を、ガスマスク――『番長』の視線が追う。
「――って、いるじゃねーか! 人間!!!」
部屋中に響き渡るズッコケそうな大声。
教室で女教師をブッ叩いていた時の恐怖感とのギャップに、俺の頭は処理が追いつかない。
「てか……お前、泣いてたのか? 顔がぐしゃぐしゃだぞ」
言われてハッとした。そうだった、俺はさっきまで泣いていたんだ。
頭では次々に起こる展開を必死に追っていたが、溢れ出た感情と涙は止まっていなかったらしい。ドクターが何事もないように接してくれていたから、すっかり忘れていた。
「ほらよ」
掛け声とともに、番長がポケットから何かを放り投げてきた。受け止めてみると、一パックのポケットティッシュだった。
「それやるよ。使いな」
不意を突かれ、顔がカッと熱くなる。なんだか猛烈に恥ずかしくて、むず痒い。
だが、その不器用な気遣いがありがたかった。一枚ずつ丁寧に引っ張り出し、目元を拭って、鼻をかむ。
「……ありがとう」
かすれた声で、なんとか絞り出した一言。
これまで泣いている俺に、ティッシュを差し出してくれる奴なんて、ただの一人もいなかった――。
番長は満足そうに胸を張り、ぐっと親指を立てた。
「オレさまは『番長』と名乗る者だ! さっきは脅かしちまって悪かったな!」
「番長……」
俺は無意識にその名を呟いていた。
なぜ怒らないんだ? 俺が逃げ回ったせいで、こいつは散々校内を走らされてひどい目に遭ったというのに。
「――っと、こうしちゃいられねえ! ドクター、現状についてなんだが――」
――バコン!!!!!!!!!
会話を絶ち切るように、廊下側から破滅的な打撃音が叩きつけられた。
――バコン! バコン! バコン!
ドアを塞ぐ木製棚が激しく揺れ、悲鳴のような木擦れ音が響く。
鳴り止まない破壊音に、保健室の空気は一瞬で氷点下へと叩き落とされた――。




