1-4『異物』
「……なんで、ここにも不審者がいるんだ?」
妄想の中に出てくる不審者の相場なんて、一人って決まっているだろう。
ガスマスクの次は、ペストマスク。今日の俺はとことんついていない。二人目の出現に対する強烈な警戒感が、心臓の鼓動を容赦なく加速させていく。
だが、ここで沈黙をつらぬくのは悪手だ。俺はそっと息を吐き出し、喉の奥から絞り出すように言葉を打ち明けた。
「――あんたたちの目的は、なんなんだ」
口にした瞬間、すぐに後悔した。挑発的すぎたかもしれない。上からの物言いだったかもしれない。もっと卑屈に、相手を刺激しないよう下手に出るべきだったのではないか。
しかし、俺のそんな心配をあっさりと吹き飛ばす返答が戻ってきた。先ほどと同じ、穏やかで優しい声だ。
「私たちの目的は、三つあります」
そう言いながら、彼女――ペストマスクの女性は、俺への警戒を一切見せることなく、棚の薬品を吟味してリュックに詰め込んでいく。毒薬を探している素振りすらない。本当に、日常生活で使いそうなものだけを選んでいるようだった。
「エタノール! これはいくらあっても困りませんからね」
なんだか嬉しそうに、また一つボトルをリュックへ押し込む。
「……食料ならスーパーで買えるだろ。薬品だって薬局に行けばいい……わざわざこんなところに不法侵入する必要なんて、ないと思うけど……」
誰もが抱くであろう素朴な疑問を、そのまま口にした。決して挑発するつもりはない。
彼女はこちらを一度も振り返ることなく、作業を続けながら答える。
「君の言っていることは、正しいと思いますよ」
「じゃあ、なんでこんな危険なことをするんだよ。このままだと、あんたたち警察に捕まるぞ」
「今の君の『認知』なら、そう考えるのが当然です。否定はしません」
認知? 何のことだ。俺はこの世界の常識をそのまま口にしただけだ。それなのに、なぜか目の前の彼女よりも、自分の方が致命的な間違いを犯しているような錯覚に襲われる。
「では、二つ目についてお話ししますね」
彼女は手を止めることなく、マイペースに言葉を紡ぐ。
「二つ目は――この区域の調査をするためです」
「この区域って……この街全体ってことか?」
「ええ、そうです」
静かなトーンで、彼女は問いかけてきた。
「君はこの街で、何か『違和感』を抱いたことはありませんか?」
「違和感……?」
「例えば――先ほどの非常事態で、君のクラスメイトたちは何か反応していましたか?」
その質問に、背筋が凍りついた。
そうだ。不審者が教壇に殴り込み、女教師をバットで殴り倒した時でさえ、奴らは顔色一つ変えずにただ座っていた。普通じゃない。どう考えたって異常だ。
「いや……何も反応してなかった、と思う」
「誰かの喜び、怒り、悲しみ、笑い――あらゆる感情表現を、この街で目にしたことがありますか?」
膝がカタカタと震えだす。思い出せない。
この街で生まれてからずっと過ごしてきたはずなのに、人間の泥くさい感情なんて、どこでも見かけた記憶がない。違和感の膨らみが、恐怖となって身体に表れていた。
「……心当たりが、ない」
「おかしいと思いませんか? 感情の欠落した街なんて――」
その投げかけを否定することはできなかった。ここで否定すれば、それはただの現実は脱出不能な逃避でしかない。
「そして、最後に三つ目――」
ようやく作業が一段落したのか、彼女はふっと手を止め、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。
「――――えっ」
ペストマスクの暗がりの中で、彼女が小さく驚きの声をあげた。
恐怖や困惑ではなく、まるで何年ぶりかに親しい知り合いに遭遇したかのようなトーンで。
体感で五秒――いや、もっと短い一瞬だったかもしれない。空間の流れがピタリと止まったような、息の詰まる沈黙が保健室を支配した。
やがて、彼女は何事もなかったかのようにすんなりと立ち上がる。
「三つ目は……仲間探しです。君のように『感情が残っている人間』を、私たちは探していました」
最後の目的を聞いた瞬間、すべてが腑に落ちた。
感情を持つ人間――俺みたいな存在は、この世界において圧倒的な『異物』なのだと。
これまで「当たり前」と信じ込んできた常識が、ガラガラとゲシュタルト崩壊を起こしていく。
俺の認知が、世界そのものの歪みによって静かに書き換えられていくのを、抗う術もなく感じていた。




