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1-3『きっかけ』

俺はゆっくりと、鈍音が響いた教壇へと目を向けた。そこに広がっていたのは、最悪の想像通りの結末だった。


――不審者の手元にある金属バットから、鮮血が滴り落ちている。


女教師は、糸の切れた人形のように床へと崩れ落ちていた。不意打ちに加え、狙われたのは脳天だ。普通の人間なら即死でもおかしくない。今、俺の目の前で、人間が一人殺されたのだ。

この男は一体何者なんだ……。


一刻も早くこの場から逃げ出したいのに、強烈な動揺のせいで足が言うことを聞かない。こんな肝腎な時に役立たずな身体だ。痛いのは、もうごめんだ。


必死に震える頭を働かせながら、俺は不審者を睨みつけた。今の俺にできる、精一杯の威嚇だった。


ガスマスクの奥から、奴の視線がこちらを捉えたような気がした。

――次のターゲットは、俺か?


俺はそっと拳を握りしめた。緊張と恐怖で、手のひらが冷や汗で濡れていくのがわかる。唾を飲み込み、最悪の事態を想定して覚悟を決めた、その時だった。


「――お前、人間か?」


不意を突いた問いかけに、張り詰めていた覚悟が揺らぐ。

何を言っているんだ? 俺は人間だ。こいつは一体、何を――。だが、相手の声色は冗談ではなく、真剣そのものだった。


「……アンタの目的は、なんだ」


震える声を押し殺し、俺は問い返した。


「だから、お前は人間かって聞いてるんだよ」


不審者は呆れたような、あるいは値踏みするような口調でそう返す。目的の分からない狂人に、ペラペラと身内事情を喋る義理なんてない。


「おいおい、聞いてんのか――」


男がわずかに体勢を崩した、その一瞬の隙を突いて、俺は教室を飛び出した。


「おい、待て!」


背後から怒鳴り声が響く。振り返らなくても分かる。奴は俺を追ってきている。ただ、前だけを向いて全力で走るしかなかった。


「不審者だ! 誰か来てくれ!」


出せる限りの声を張り上げながら逃げる。このまま振り切れないなら、他の誰かの助けを借りるしか――。

ズキズキと痛む肺と横腹を押し殺し、必死に足を動かす。


◇


階段を駆け下り、廊下の突き当たりを曲がったところで、遠くから不審者の低い声が聞こえてきた。


「……邪魔が入ったか。どいてもらうぜ」


焦りや怒号ではなく、やけに冷静なトーンだった。追いつかれていないのは、もしかすると他の教師陣が奴の足止めをしてくれているのだろうか。


考える間もなく、俺は走り続けた。その視界の端に、ふと一つのプレートが飛び込んでくる。


――保健室。


これが偶然なのか、それとも必然なのか。この時の俺はまだ知る由もなかった。

この扉のノブをひねったことが、俺の、そしてこの世界の運命を大きく変えるきっかけになるということを。


気づいた時には、俺の手は保健室のドアノブにかかっていた。

ゆっくりとそれを回し、中の様子をうかがうように軽く扉を押し開く。


人の気配はない。――ホッと胸を撫で下ろした、その瞬間だった。


「――君は、誰ですか」


部屋の奥を仕切るカーテンの裏から、上品で優しい女性の声が降ってきた。この学校の養護教諭だろうか。


「俺は生徒です! 不審者から必死に逃げていたら、たまたまここに――」


そこまで言って、俺はピタリと口を閉ざした。

同時に、自分の底なしの不運を呪った。


なぜなら、ゆっくりとカーテンの裏から姿を現した人物は――。


不気味な『ペストマスク』を装着した、第二の不審者だったからだ。



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