1-2『不審者』
『――繰り返します。校内に不審者が侵入しました』
俺はこんな妄想をした覚えはない。学校に不審者が侵入し、そいつを倒して全校生徒のヒーローになる――なんて使い古された妄想は、とっくの昔に飽きていた。
まだ夢を見ているんじゃないかと、頬を力任せに引っ張る。
――痛っ。
突如として始まった異常事態に、指先の力加減すらバグっていた。手に残る確かな痛みが、ここが現実であることを突きつけてくる。やはり、最悪の一日になってしまうのだろうか。底冷えするような不安が、じわじわと体内に広がっていく。
『――生徒の皆さんは、その場で教室にとどまってください』
感情の整理が追いつく前に、次々と機械的な指示が流れてくる。混乱の極みにいる俺は、ただただテンパるしかなかった。
そこで、俺はふと違和感を覚える。
自分の激しい鼓動の陰に隠れて気づかなかったが、他のクラスメイトたちはどんな反応をしているんだ? 普段は会話すら交わさない連中だが、これほどの緊急事態なら顔色くらい変えるはずだ。
意を決し、ゆっくりと周囲を見渡す。
しかし、視界に飛び込んできたのは、俺の予想とはかけ離れた異様な光景だった。
――無表情。
誰一人として、顔色ひとつ変えていない。
『冷静』などという生ぬるい言葉では片付けられない、背筋が凍るような静寂。全員が、能面のような真顔で教壇の女教師を見つめている。当の女教師もまた、一切の焦りを見せることなく無心でたたずんでいた。
ガサゴソと無駄に動いているのは、この空間で俺一人だけ。こんな状況でまで猛烈な疎外感を味わうとは思わなかった。
放送が続く。
『教職員の皆さんに業務連絡です。不審者を見かけた際は、速やかに処理を――』
その不穏なアナウンスは、ブツリと唐突に途切れた。
『処理』とはどういう意味だ? 普通なら警察に通報するか、最新型の警備システムで拘束するのではないのか。
その言葉の歪さに引っかかっているのも、やはりこの教室で俺一人だけだった。疑念を抱く間もなく、スピーカーの奥から異質な『音』が漏れ聞こえてくる。
『――バコンッ、ガンッ!』
何かが鈍器で強打されるような、濁った衝撃音。続けて、ノイズ交じりの声が響いた。
『――これが制御盤か? ……手あたり次第にぶっ壊せばいいんだっけな』
先ほどのアナウンスとは明らかに違う、荒々しい男の声。
状況はバカでも理解できた。不審者の声だ。手あたり次第に破壊なんて、ヤバい奴以外の何者でもない。
身体がガチガチに強張る。破壊、暴力――幼い頃のトラウマがフラッシュバックしかける。早くこの時間が過ぎ去ってくれと心の中で叫びながら、俺は机に顔を伏せた。
◇
どれほどの時間が経っただろうか。
体感では二時間ほどに思えたが、壁の時計を見上げると、わずか十分しか経過していなかった。あれ以来、アナウンスは途絶えている。誰も教室から出ようとせず、ただ死んだように待機を続けていた。
一向に変わらない状況に、不安は膨らむ一方だ。固唾をのんだ、その時だった。
廊下の向こうから、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
足音は、たった一人分。
不審者だ。もし誰かが追われているなら、もっと複数の足音が重なるはずだ。
破壊を撒き散らす不審者。恐ろしい想像が頭を駆け巡り、俺は覚悟を決めて強く目をつぶった。大きくなっていく足音が、俺の鼓膜を容赦なく揺らす。
――ガラガラッ!
教室の扉が勢いよく開け放たれた。
一目だけでも相手の正体を見てやろうと、恐る恐る目を開ける。そこに広がっていたのは、我が目を疑うような光景だった。
金属バットを握りしめた、謎の男。
大きなリュックを背負い、フードを深々とかぶっている。何より異様だったのは、その顔面に装着された無骨な『ガスマスク』だった。素顔を隠すためか、毒ガスでも警戒しているのか、装着している意図がまったく読めない。
教室中の視線を一身に集めたその男は、次の瞬間、教壇に向かって猛然と飛びかかった。
そこには、あの女教師が立ち尽くしているはずだ。
目が惨劇を認識するよりも早く、重重しい音が教室中に響き渡った。
――ドゴンッ……!
俺が生まれてから聞いてきた中で、最も重く、不吉な鈍音だった。




