03.逆行
「お嬢様! お体の調子が優れないのですか?」
「……え?」
聞き慣れた声音に呼ばれ、途絶えた筈の意識が浮上した。
ぱちぱちと瞬いている間に、ほっと安堵に変わった女性の相貌が視界の真ん中から下がっていく。
この感触、何故ベッドに横たわっているのかしら。魔物の大群に食い殺された筈、だったんだけど……見慣れた天井……追放地ではなく、公爵家にある私の部屋?
「いつもの時間に起きて来られないから、何処かお悪いのかと心配しました。今日もお食事の前に昨日の復習をなさるのですよね?」
「……ミリア?」
「はい、お嬢様」
明らかに若返って見える彼女——専属侍女の名を呼べば、離れようとしていたミリアが振り返って小さく笑ってみせた。
ミリアは私の生家、ブレイズ公爵家の派閥であるアスト伯爵家現当主の妹。第一王子に婚約破棄され学園のみならず王都からも追放された私に、一切の迷いなく追放地へ着いて行くと申し出てくれた忠義の女性だ。
スタンピードが起きる一週間ほど前から、病弱な甥が著しく体調を崩して危うい状態との事でちょうど私の元を離れていた。
ミリアが魔物の群れに食い殺される事がなかった偶然だけは、不幸中の幸いだと思った覚えはあるんだけど……難を逃れた筈の彼女が、何故ここに?
混乱しながら手を伸ばそうとして、視界に飛び込んできた自分の腕がやけに短い事に気付いた。
「………………ミリア」
「どうしたのですか、お嬢様。先程から様子が……」
「私、今何歳だったかしら?」
彼女にとっては随分唐突で不可解であろう問いに、ぱちりと不思議そうに瞬く。
それでも問い正すよりも主人の疑問に答える事を優先して、淀み無い返答がきた。
「今日はお嬢様が七歳になるお誕生日ですよ。夜はお祝いのパーティです」
「ななさい」
ええ。そんな気はしていたわ。二度目ですもの。察しはついていましてよ。
——私、またしても過去に戻ってますわね!
「お。お嬢様? 本当にどうなさったのですか」
「……いえ、なんでも……」
額を押さえて天井を仰いだ私に、隣でミリアが困惑している。でも宥める余裕は無かった。
流石に二度目とあってはもう夢だとは疑えない。だって気付けば幼少期に戻っていた前回とは異なり、今回ははっきりと魔物に殺された痛みと恐怖を覚えている。
リュミエールに嫌われたまま、また会う事すら叶わず一人で死ぬ恐怖を、憶えている。
あの全身が凍り付く恐ろしさが夢である筈がない。
今が夢なのではと疑うのも、二度目とあっては無理があった。
——私は、何らかの契機によって流転している。
いいえ、自分自身の過去に戻っているのだから逆行していると言うほうが正しいのかしら。
どうして……? 私に秘められた力があったのだとは思えない。
確かに由緒正しいブレイズ公爵家の直系として豊富な魔力を持ってはいるけれど、流石に時を遡るなんて神の所業を成せるほどでは無い。私だけでなく、歴史に刻まれた大魔法師達であっても不可能よ。
……神の所業。神様が、私に何かをさせたくて過去に戻してくださった、とか?
私自身を助けていただいた訳ではないでしょう。だって私、未来の王妃として相応しい存在であろうとしてはいたけど神事や神殿に特別な影響を与える事はしていなかったわ。神様に目を掛けていただけるような覚えがない。
現代で一番神に近いのは聖女だけど……あんなの、聖女とは認めていませんわ。それに聖女が理由なら、私ではなく彼女自身が巻き戻っているでしょう。あれは無関係だと一旦退けておく。
私があれを嫌いだから考えないわけではなくてよ。
そうなると……私にリュミエールを助けさせたい、とか。
それなら、有り得るかもしれない。我が国の王族は神の子孫と伝わっている。
まあそれは世界中の大国殆どが主張してるけど。王権の裏付けとして、各国が神の血筋を主張していた時代があったのよね。
その頃から今に至るまで持続している国は皆、己が国の王家こそが神の血を引くもっとも尊き存在だと表明している。
私にリュミエールを救わせたいなら、本当に我が国の王家が神の血を引いているのかしら。
それとも、リュミエールが討伐されるまでの間に滅ぼした人々の中に神の子孫が混じっていた?
……まあ神様の意図があろうとなかろうと、私の成す事は一つよね。
ベッドから起き上がると、ミリアがまだ心配そうな視線を向けてくる。
「お嬢様、体調がお悪いなら医者を……」
「大丈夫よ、ミリア。夜にパーティという事は、リュミエールさまは先に来られるのでしょう? 早く準備を済ませておかなくっちゃ」
はしたなくもウキウキと、分かりやすく声が弾んでしまった私にミリアの空気が凍った。
分かってますわ。王室入りする事が決まっているのだもの、感情を露骨に出すのは良くないわね。
でも過去に戻ったばかりの私の感覚としては、一年間彼に会えてなかったのよ。今日は見逃して頂戴!
差し出された水で顔を洗い、ふわふわのタオルで水気を拭われる。
一年ぶりの柔らかな感触へ密かに感動しながらベッドから移動し、目覚めの準備を整えられていく。
パーティは夜だから、朝はまだ普段着だ。でもパーティより前に第一王子のリュミエールに会うのだから、少し可愛らしさを追加して。
と言っても私は子供の頃からピンクやふりふりのリボンなどは似合わなかったから、本当に些細な事しか出来ないのだけど。
お気に入りの赤いドレスに赤い靴、留め具はリュミエールの髪と同じ金色。髪飾りは普段あまり使わない、青い宝石を控えめなレースが飾っているこれにしましょう。リュミエールの瞳よりは少しくすんでるけど、あんなに澄んだ蒼穹色は滅多に無いから普段使い出来ないのよね。
ネックレスは……そうね、私の六歳の誕生日にリュミエールから贈られた宝物で。
私が選んだネックレスの選択に、ミリアが目を丸くしている。
「お嬢様、よろしいのですか?」
「え、どうして?」
「……いえ。では本日はこちらにしましょう」
あら? そう言えば私、前回この大切なネックレスを一度も身に付けなかったような……
理由を考えるより先に、一拍置いてにこりと笑ったミリアの手によって大粒の蒼い宝玉を金の台座が支える、大好きなひとを象徴する色彩のネックレスが首に掛けられた。
……ええ。とても、とっても似合うじゃない? さすが私!
「ねえ、ミリア。どうかしら?」
「とても可愛らしいです、お嬢様!」
色々と考えなくてはならない事は山積みだけど、何だか浮かれてきちゃうわね! 追放されてからの一年間は、青色も金色も身に着ける事を禁じられていたんだもの。
思わず立ち上がってくるりと回転して見せると、頬を赤らめた侍女が嬉しそうに賞賛した。
流石、私の専属侍女だけあってよく分かっているわ。そうよ、今日のテーマは美しいではなく可愛いなの!
執事長にも見せびらかしたくなって部屋を飛び出すと、ドアから飛び出た瞬間黒い大きな壁にぶつかった。




