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死者の記憶を食べる検屍官、自分を殺した犯人を追ううちに七つの未解決事件の真相に辿り着く  作者: ぽんぽこライフ


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協力者たち

 安西真帆は、嶋田が言った通り素直なタイプではなかった。


 警視庁本庁舎の廊下は、蛍光灯の光と革靴の足音で埋め尽くされている。冴が民間人として足を踏み入れるのは久しぶりだった。来客用のバッジを首から下げ、嶋田の後ろを歩く。すれ違う警察官たちの視線が、冴の白衣の裾に触れて通り過ぎる。ここでは冴はよそ者だ。


 捜査一課の資料室で、冴は安西と初めて向かい合った。二十代後半。短く切り揃えた髪に、細いフレームの眼鏡。化粧気のない顔は若く見えるが、目だけが十歳分老けている。デスクの周りにはモニターが三台並び、ケーブルが蛇のように絡み合っていた。


「嶋田さんから話は聞いています。三年前の転落死事件の防犯カメラ映像の復元、ですね」


 安西の声は平坦だった。冴を見る目に、歓迎の色はない。


「失礼ですが、朽木先生。なぜ民間人の法医学者が、終結済みの事件の捜査に関わっているんですか」


「個人的な再調査だ。警察の公式捜査ではない」


「個人的な再調査に警察のリソースを使うのは、規則違反じゃないですか」


 嶋田が割って入った。


「安西。これは俺の判断だ。お前には映像の復元だけを頼んでいる。捜査の全体像については俺が責任を持つ」


「嶋田さんの判断で、ですか」


 安西は眼鏡の位置を直し、冴を真っ直ぐに見た。


「朽木先生の評判は聞いています。法医学の鑑定で異常に正確だと。不審死の事件で、鑑識が見落とした痕跡を見つけることもあると。……どうやって見つけるんですか」


 冴は表情を変えなかった。


「観察力だ。法医学者の仕事の基本だろう」


「そうですか」


 安西は納得していない。だが嶋田の上官としての判断に逆らうほど不遜でもなかった。モニターに向き直り、キーボードを叩き始めた。


「バックアップテープの復元には三日かかります。データが生きているかどうかの保証はできません。三年前のテープですから」


「頼む」


 嶋田がうなずき、安西は資料室を出る二人の背中に視線を投げた。冴はその視線を首筋で感じていた。


 廊下に出ると、嶋田が低い声で言った。


「気を悪くするな。ああいう奴だ。だが腕は確かだ。警視庁のデジタルフォレンジクスで一番切れる」


「わかっている。疑われることには慣れている」


 冴は淡々と答えた。嘘だった。慣れてなどいない。ただ、感情を表に出さないことに慣れているだけだ。



  ◇



 研究室に戻ると、スマートフォンに着信履歴が残っていた。


 桐生薫。


 冴は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。三年間、この名前を意図的に避けてきた。電話番号を消すことはしなかったが、連絡を取ることも、取ろうとすることもなかった。


 着信は二回。留守番電話にメッセージが残っている。冴は再生ボタンを押した。


「冴。私です、薫。……ニュースで見ました。新宿で刺傷事件があって、被害者が東都大学の法医学者だと。名前は出ていなかったけど、冴だとすぐにわかった」


 薫の声は、三年前と変わらなかった。柔らかく、穏やかで、どこかに芯がある。


「大丈夫なの。連絡ください。……お願い」


 メッセージが終わった。冴はスマートフォンを机に置き、天井を見上げた。


 桐生薫。三十歳。冴と同じ大学出身の法医学者。別の大学病院に勤務している。法中毒学が専門。三年前まで、冴の恋人だった。冴が隠し事をしていると感じた薫が離れた。隠し事は事実だった。能力のことを話せなかった。


 スマートフォンが再び鳴った。薫だった。冴は一拍の間を置いて、出た。


「……薫」


「冴。よかった、生きてた」


「大袈裟だ」


「心肺停止があったって聞いたけど。大袈裟じゃないでしょう」


 薫の声にかすかな震えがあった。それを隠そうとする努力が、冴には痛いほどわかった。


「退院した。もう大丈夫だ」


「本当に?」


「本当だ」


 沈黙が落ちた。電話越しの沈黙は、対面よりも重い。三年分の空白が、その沈黙に凝縮されていた。


「冴。会えない? 顔を見て確かめたいの」


「……今は忙しい」


「忙しい。刺されて入院した直後なのに」


 薫の声に、聞き覚えのある苛立ちが混じった。三年前、最後の喧嘩でも同じ声をしていた。冴が壁を作り、薫がそれを叩く。同じパターンだ。


「薫。一つ頼みたいことがある」


「……頼みたいこと」


「三年前、藤原美咲の検屍で気になった所見がある。爪下の繊維片と、外傷パターンの再評価。法中毒学の観点からも確認したい」


 薫はしばらく黙った。冴が「会いたくない」ではなく「仕事として関わりたい」と言っていることを、理解している沈黙だった。


「送って。所見のデータを。確認する」


「ありがとう」


「ありがとう、じゃないでしょう」


 薫の声が少しだけ柔らかくなった。怒りの底にある心配が、ほんの一瞬だけ表面に浮かんだ。


「冴。無理しないで。お願いだから」


「ああ」


「嘘つき。……まあいいわ。データを待ってる」


 電話が切れた。冴はスマートフォンを握ったまま、窓の外の夕暮れを見つめた。薫を巻き込みたくなかった。だが法中毒学の専門家が必要だった。そして正直に言えば、薫の声を聞いて、胸の奥で何かが緩んだ。


 その緩みを、冴は自分に許さなかった。


 デスクに向かい、藤原美咲の検屍データをまとめ始めた。薫に送る資料。能力のことには一切触れず、法医学的な所見だけを整理する。


 スマートフォンにメッセージが入った。安西からだった。


「テープの一部、生きていました。映像の復元に成功。確認してください」


 添付された静止画を開いた。


 三年前のビルのエレベーターホール。ノイズ混じりの粗い映像。だが十分に判別できる。


 フードを被った長身の人物が、エレベーターの前に立っている。屋上行きのボタンを押す直前、その人物はカメラに一瞬だけ顔を向けかけ――そしてまるでカメラの位置を正確に把握しているかのように、すっと顔を逸らした。


 計算された動作だった。フードの影に顔を隠しながら、死角の位置を完璧に理解している。これは偶然カメラに映った不審者ではない。カメラの存在を知った上で、最小限の映り方に制御した人間だ。


 冴は画面を拡大した。体格。身長推定百七十センチ前後。やや細身。黒いコートの裾が長い。歩行の姿勢に、どこか優雅さがある。力任せではない、制御された身体の動かし方。


 美咲の事件の目撃証言と重なる。長身。黒いコート。女性的な歩き方。


 同一人物だ。


 冴はスマートフォンをデスクに置き、椅子の背もたれに体を預けた。二つの事件が一本の線で繋がった。三年前の交差点と、三年前のビルの屋上。同じ人物が、同じ黒いコートで、美咲と柏木のそばにいた。


 犯人は実在する。記憶の中の幻影ではない。映像に映る、生身の人間だ。


 窓の外が暗くなっていた。研究室の蛍光灯が冴の影をデスクに落としている。安西の送ってきた一枚の静止画が、モニターの中で冴を見つめ返していた。


 フードの奥の、見えない顔。


 お前は誰だ。

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