証言台への道――覚悟の選択
テレビのコメンテーターが嘲笑的な声で語っている。
「妄想の検屍官、ですか。まあ、捜査に超能力を持ち込むなんて、正気とは思えませんよね」
冴はテレビを消した。リモコンを置く音が静かな部屋に落ちた。
自宅のソファ。朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。新聞は見ていない。携帯の通知は切ってある。ネットの記事は読まない。読めば折れる。折れるわけにはいかない。
夜が膝に乗ってきた。猫の喉がゴロゴロと鳴っている。冴は猫の背中を撫でた。この部屋と、この猫と、この静けさ。これが冴の日常だった。もうすぐ壊れる。
携帯が振動した。薫からだった。
「冴。検察の結城さんと話がついた。実証実験の日程が決まったわ。来週の月曜日」
「月曜」
「場所は検察庁の特別室。立会人は結城さんと検察の法医学顧問、それから警察の外部委員が一人。遺体は冴が一切関与していない直近の変死事件のもの」
「了解した」
「冴。もう一つ。神崎側の弁護士が、あなたへの強制精神鑑定の令状を取得した。執行日は来週の水曜日」
月曜に実証実験。水曜に精神鑑定。二日の猶予しかない。
「間に合うか」
「間に合わせる。実証実験の結果が出れば、精神鑑定の前提が崩れる。能力が実証されれば、『妄想』という根拠が消えるから」
冴は電話を切った。
◇
法医学教室。黒田教授の部屋。
「呼び出してすまないね、朽木くん」
黒田は机の向こうに座っていた。机の上に冴の業績ファイルがある。十年分の厚み。黒田がそれを手で撫でた。
「上からの通達で、大学として君を擁護する立場にはないと回答することになった」
「分かっています」
「個人的には――」
黒田が言い淀んだ。眼鏡を外し、目頭を押さえた。
「個人的には、君は私の教室で最も優秀な法医学者だ。能力のことを差し引いても。検屍技術、分析力、報告書の精度。どれも一流だ」
「ありがとうございます」
「だが、大学という組織は個人を守れない。君もそれは分かっているだろう」
冴は黒田の顔を見た。老いた教授の目に、無力感と申し訳なさが混じっている。
「教授。来週、検察で実証実験を行います。能力を公に証明します」
黒田が目を見開いた。
「本気か」
「はい。精神鑑定の令状が出ています。それより先に、能力を証明するしかない」
「朽木くん。それは――取り返しがつかないぞ」
「取り返しがつかないことを、二十五年間避け続けてきました。もう避けない」
黒田が椅子の背にもたれた。天井を見上げた。長い沈黙。
「君の覚悟は分かった。だが一つだけ聞く。失敗したらどうなる」
「精神異常者の烙印を押され、全てが終わります」
「成功したら」
「人間でなくなるかもしれません。普通には生きられなくなる」
黒田が冴を見た。
「どちらにしても、普通ではなくなる」
「はい。でも死者の声を届けることは止めない。それだけは変わりません」
黒田が頷いた。立ち上がり、冴に手を差し出した。冴は握り返した。
「健闘を祈る。それしか言えない自分が情けないがね」
◇
薫の研究室。ホワイトボードに実験プロトコルが書き出されている。
冴と薫が向かい合っていた。
「手順を確認するわ。遺体は検察が選定する。冴は事前情報なし。遺体に触れて記憶を読む。読んだ内容を記録し、後日の捜査で事実と照合する」
「分かった」
「冴。一つ聞いていい?」
「何だ」
「怖い?」
冴は薫を見た。薫の目が真っ直ぐだ。科学者の目ではない。冴を心配する人間の目。
「怖い。失敗したら全てが終わる。成功しても、何かが終わる」
「何が終わるの」
「普通の人間として生きられる可能性が」
薫が冴の手を取った。
「冴。あなたは最初から普通の人間じゃなかった。でもそれは悪いことじゃない。私はそう思う」
冴は薫の手の温もりを感じた。鈴音の手は冷たかった。薫の手は温かい。生きている人間の手。
携帯が鳴った。安西からだった。
「朽木先生。検察が実証実験に正式に同意しました。月曜日、午前十時。場所は東京地検の特別解剖室です」
「了解した」
「それと、もう一件。神崎室長の代理人弁護士が、今日中に強制精神鑑定の令状を執行すると言っています。前倒しです」
冴の胃が冷えた。水曜ではない。今日。
「安西。令状の執行を止められるか」
「結城副部長が検察の権限で仮差止めを申請しました。月曜の実証実験の結果が出るまで、精神鑑定の執行を保留する命令です。通るかどうかは五分五分です」
冴は携帯を握りしめた。手のひらが冷たく汗ばんでいる。
「五分五分か」
「はい。ですが、結城さんは本気です。『この事件は国家の恥部だ。潰すわけにはいかない』と言っていました」
冴は電話を切った。薫を見た。
「月曜まで時間がある。準備をする」
薫が頷いた。ホワイトボードに向かい、マーカーを取った。
死者は嘘をつかない。だから私も嘘をつかない。その言葉を、冴は心の中で繰り返した。




