包囲網再構築――それぞれの戦場
嶋田はブラインドを下ろし、会議室のドアを閉めた。
警視庁の小さな会議室。安西と二人。テーブルの上にリストが一枚。嶋田が内部調査から復帰して最初の仕事は、信頼できる人間を集め直すことだった。
「橋本を外して四人。捜査一課の高山、監察の遠藤、公安の小林、それから」
「生活安全の宮本さんを入れましょう。去年の汚職事件で神崎室長に圧力をかけられて、握り潰された人です。恨みがある」
「恨みだけで動く奴は信用できねえ」
「宮本さんは恨みだけじゃありません。娘さんが検察官で、正式なルートで告発したがっている」
嶋田が頷いた。五人。少ないが、裏切り者を入れるよりはいい。
「安西。通信記録のバックアップは」
「クラウド三箇所、物理メディア二箇所。検察の結城副部長に匿名で一部を送付済みです。御堂先生経由の正式提出は来週ですが、保険として」
「賢い女だ。二回目だが」
「嶋田さん」
「何だ」
「私、最初は朽木先生のことを信じていませんでした。能力なんてあるわけがないと。非科学的だと」
嶋田は安西を見た。若い刑事の目が真っ直ぐだ。
「今は信じています。通信記録と手帳の日時が完全一致した。あれは偶然じゃない」
「そうだな」
「私はデジタル捜査官として、この事件の証拠を守ります。朽木先生の代わりに、データを法廷に届ける。それが私の仕事です」
嶋田は安西の肩を叩いた。二回目だったが、前より力がこもっていた。
◇
凛は出版社の応接室にいた。
向かいに座っているのは東栄製薬の元経理部員、松原という男だった。六十代。退職して五年。髪が薄く、目元に疲労が刻まれている。
「取材と聞いて来ましたが」
声が震えている。
「お話を伺いたいのは、鏡花プロジェクトへの資金提供についてです」
松原の顔色が変わった。
「どこでその名前を」
「姉の調査で出てきた名前です。私は出版社の人間で、ジャーナリストとしてお話を聞いています」
凛は嘘をついていた。半分だけ。出版社の人間であることは本当だ。だが取材ではない。姉のためだ。
「松原さん。鏡花プロジェクトへの資金は、東栄製薬の正規の研究費から出ていましたか」
松原が目を伏せた。テーブルの上の紅茶に手を伸ばし、すぐに引っ込めた。
「正規ではなかった。裏金だ。臨床試験の名目で計上された予算のうち、三割が別勘定に流れていた。年間一億から二億。私が経理にいた十年間で、少なくとも十五億以上が消えた」
「その証拠は」
「帳簿のコピーがある。退職時に持ち出した。保険のつもりだった。もう黙っていられない」
松原の声が震えた。だが目は据わっていた。怯えと怒りが入り混じった目。
「高梨さんが殺されてから、怖くなった。取材に応じた人間が次々と消えていくのを見ていた。だが――」
「もう大丈夫です。証拠は検察に提出します。松原さんの名前は保護されます」
凛は笑顔を作った。姉に似た笑顔ではなかった。凛にしか出せない、明るく人を安心させる笑顔だった。
◇
冴は自宅の机に向かっていた。
手帳を開いている。鈴音の記憶から書き殴った日時と場所の羅列。それを一つずつ、時系列順に整理し、メモに書き起こしている。
ペンを握る指が白くなるほどの力。記憶が頭の中で明滅している。書くたびにフラッシュバックが起きる。美咲の恐怖。園部の泡。関口の血。七人分の死が冴の手を通じて紙に落ちていく。
鼻血が出た。ティッシュで押さえ、書き続けた。
夜が膝に乗ってきた。黒い猫。温かい。冴はペンを置き、猫の背中を撫でた。
テレビが点いていた。ニュース番組。コメンテーターが何かを話している。
「――特命捜査対策室の神崎怜司室長が本日、記者会見を行い、捜査協力者の一人について精神的な不安定さを指摘しました」
冴はテレビを見た。画面の中で神崎が穏やかに微笑んでいた。銀縁眼鏡の奥の目が、カメラの向こうの冴を見ているようだった。
「協力者のプライバシーに配慮し名前は控えますが、妄想に基づく虚偽の告発を準備しているという情報があります。組織として適切に対処します」
冴はテレビを消した。リモコンを置く手が冷たかった。
神崎は先に動いた。メディアを使って冴の信頼性を潰しにかかっている。記者会見で「能力者」の存在を否定しながら、冴を「妄想の検屍官」に仕立てようとしている。
だが神崎は一つ失策をした。記者会見で「能力者の存在」を完全に否定した。もし法廷で冴の能力が証明されれば、神崎自身の発言が矛盾として跳ね返る。
冴は手帳を閉じた。夜の背中を撫で、立ち上がった。
「鈴音。お前が遺したものは無駄にしない」
猫が鳴いた。冴は窓の外の東京の夜景を見つめた。神崎の穏やかな笑顔がまだ網膜に焼きついている。あの目だけが冷たく光る笑顔。
時間がない。実証実験の前に、精神鑑定の令状が出る。




