御堂の懺悔――鏡花を生んだ男
御堂の手が震えていた。茶碗の中で茶が波打っている。
世田谷の自宅。居間。冴、嶋田、安西が向かいに座っている。御堂は正座していた。背筋だけが真っ直ぐだった。
「すべてを話す」
御堂が切り出した。声に震えはなかった。手だけが震えている。
「鏡花プロジェクトは二十七年前に始まった。内閣府の直轄事業として。正式名称は先端認知科学研究助成プログラム。通称、鏡花計画」
冴は黙って聞いた。鈴音の記憶が頭の中で呼応している。白い部屋。注射。電極。
「責任者は三人いた。学者として私。官僚として神崎。実行者として蔵本夕子。私が研究設計を行い、蔵本が被験者の管理を担当し、神崎が資金と政治的な後ろ盾を確保した」
書斎の壁に掛けてある集合写真を、御堂が手に取った。二十五年前の写真。若い三人が並んでいる。
「目的は、死者の残留記憶を読み取る能力の人為的な発現と制御。被験者は二名。五歳から七歳の児童。被験者01が冴くん。被験者02が高宮鈴音」
安西のペンが止まった。嶋田が腕を組み直した。
「薬物投与と神経刺激を組み合わせた。トリカルバゾン系前駆体の連日投与。脳波計測。そして遺体組織への接触実験。五歳の子供に、だ」
御堂の声が僅かに揺らいだ。
「冴くんは安定していた。能力は発現したが、制御可能だった。だが鈴音は違った。脳波振幅が冴くんの三倍から五倍に達した。能力が強力すぎて制御できなかった。八歳で最初の精神崩壊を起こした」
冴の腹部の傷が疼いた。鈴音の記憶の中にある痛み。白い部屋で泣いている八歳の少女。自分の名前が分からなくなった三ヶ月間。
「二年後、私は中止を進言した。倫理委員会も問題を指摘していた。だが神崎は中止に反対した。成果が出ている、と。国家安全保障上の利用価値がある、と」
「先生は中止できたのか」
冴の声は平坦だった。
「プロジェクト自体は中止になった。政権交代のおかげだ。だが問題はその後だった」
御堂が目を閉じた。皺の深い顔に影が落ちた。
「私は取引をした。神崎と。冴くんを私が引き取り、記憶を処理して社会に戻す。その代わり、鈴音については神崎の管理に委ねる。口を出さない。冴くんの安全と引き換えに、鈴音を見捨てた」
嶋田が低い声を出した。
「それが二十二年前か」
「ああ。二十二年間、神崎から年に一度、『運用報告』が届いた。鈴音の状態と活動の概要。私はそれを読んで、何もしなかった。見て見ぬふりを二十二年続けた」
御堂の目から涙が流れた。一筋。拭わなかった。
「冴くん。鈴音を救い出す機会は何度もあった。告発する機会も。だが私はそのたびに、冴くんの安全を天秤にかけた。冴くんが平穏に生きている。法医学者として実績を積んでいる。その日常を壊す権利が私にあるのか、と」
「先生」
「言い訳だ。分かっている。鈴音を見捨てた言い訳だ」
御堂が写真を膝の上に置いた。若き日の三人。学者と官僚と実行者。
「しかし、もう終わりにする」
御堂が顔を上げた。涙の跡が光っている。だが目に迷いはなかった。
「弁護士を通じて、東京地検の結城副部長に接触した。来週、証拠資料一式を提出する。私自身が証言台に立つ。鏡花プロジェクトの主任研究者として、全てを語る」
安西が口を開いた。
「御堂先生。先生が検察に接触したことは、もう神崎に知られています。先生の自宅に不審者が侵入した痕跡がありました」
「知っている。今朝、玄関の鍵に引っ掻き傷があった。微かにタバコの匂いが残っていた」
「身の安全は」
「結城が手配した。検察の保護プログラムに入る」
嶋田が立ち上がった。
「御堂先生。俺も動く。内部調査は切り抜けた。安西と一緒に、警察の中で神崎に疑念を持っている人間を集める。内部告発の準備だ」
御堂が嶋田を見た。
「嶋田さん。あなたの家族は」
「娘には昨日話した。『お父さんはしばらく忙しくなる。でも悪いことはしていない』とだけ」
「そうか」
御堂が冴を見た。師弟の視線が交差した。
「冴くん。二十五年も遅い懺悔だ。だが、やる。鈴音のためにも」
冴は立ち上がった。御堂の前に立った。恩師の目を見下ろした。怒りがある。赦しがある。どちらが大きいか、まだ分からない。
「先生。鈴音は先生に怒ってはいなかった」
御堂の目が見開かれた。
「鈴音の記憶の中に、先生への言葉があった。『御堂先生は冴ちゃんを守ってくれた。それだけで充分です』と」
御堂が両手で顔を覆った。嗚咽が漏れた。肩が震えている。
冴は黙って立っていた。白い部屋の記憶が蘇る。幼い鈴音の声。「置いていかないで」。
置いていかれた少女は、二十二年後に、自分を置いていった人間を赦していた。
冴には、まだその赦しが分からなかった。だが鈴音の記憶はそう言っている。




