遺された通信記録――神崎の言葉
モニターの光が安西の顔を照らしていた。
自宅のデスク。午前三時。コーヒーはとっくに冷めている。画面上で暗号化されたデータが、一行ずつ意味のある文字列に変わっていく。鈴音がUSBメモリに残した通信記録。軍用レベルの暗号だった。だが安西には解ける。時間はかかるが、解ける。
復号された文字列が画面に現れた。
「対象:園部真司。処理期限:九月末。方法は任せる。痕跡を残すな」
安西の手が震えた。キーボードの上で指が止まった。
次の行。
「報告。園部の件、完了。苦しませなかった」
鈴音の返信。短い。事務的。だが「苦しませなかった」の五文字に、殺人者の最後の良心が滲んでいた。
安西はスクロールし続けた。数年分の通信記録が復号されていく。日付順に並んでいる。神崎からの指示。鈴音からの報告。その繰り返し。
「対象:水野遥。情報統制に支障。至急対処」
「対象:仲村明日香。データ持ち出しの形跡あり。回収後に処理」
「対象:高梨昇。関口の調査を引き継いでいる。早急に」
一つ一つが殺人の命令書だった。穏やかな文面で。丁寧な言葉遣いで。人を殺せと命じている。
安西は嘔吐感をこらえた。同じ組織の人間だ。同じ警察の人間が、この言葉を書いた。
さらにスクロールすると、七つの事件以前の記録が出てきた。名前のない三件。鈴音が冴に語ったファイルに残っていない三人。
「対象A。処理完了」
「対象B。処理完了」
「対象C。処理に手間取った。次回は事前情報を充実させてほしい」
神崎の返信。「了解した。次からは改善する」
改善。殺人の効率を改善する。安西はモニターから目を逸らした。机の端に手をついた。呼吸を整えた。
◇
冴は病室のベッドで手帳を開いていた。
三日間の昏睡から覚めて二日目。身体はまだ重い。頭の中で七人分の記憶が明滅している。だが意識は戻っている。
手帳。冴が無意識に書き殴ったページ。日付と場所の羅列。神崎が鈴音に殺害を指示した日時。鈴音の記憶の中にあった情報が、冴の手を通じて手帳に刻まれていた。
安西から電話があった。
「朽木先生。通信記録の復号が完了しました」
「全件か」
「はい。数年分、約二百件の通信記録です。殺害指示、事後処理の命令、資金の受け渡し記録。全て神崎室長の発信です」
「日時は」
「確認してほしいことがあります。先生の手帳に書かれた日時を教えてもらえますか」
冴は手帳を読み上げた。二〇一六年三月十二日。二〇一七年八月七日。二〇一八年十一月三日。一つずつ。
安西の声が震えた。
「完全に一致します。先生が無意識に書いた日時と、通信記録の殺害指示の日時が。一日のズレもありません」
鈴音の記憶は正確だった。冴の手帳と安西の復号データが互いを裏付けている。
「もう一つ。水野さんの暗号化ファイルも突破しました。パスワードは『鏡に映る花』。中身は鏡花プロジェクトの内部資料です。被験者データ、実験プロトコル、予算書。これで物的証拠と通信記録と内部資料が三点揃いました」
「安西。一つ聞く。通信記録の中に、最近の日付のものはあるか」
安西が沈黙した。画面をスクロールする音が聞こえた。
「あります。二週間前の日付で、一件」
「内容は」
「『次の標的候補:桐生薫。技術顧問としての利用価値を再評価後、要否を判断する。現時点では保留』」
冴の指が手帳を握り潰した。
「二週間前。薫が再鑑定報告書を仕上げている最中だ」
「はい。保留という判断は、薫さんが技術顧問として使えるかどうかを見極めている、という意味です。使えないと判断されれば――」
「消される」
病室の白い壁が圧迫してくるように感じた。冴は携帯を耳に当てたまま、窓の外を見た。東京の空が白く霞んでいる。
「安西。通信記録を全て検察の結城に送れ。御堂先生経由で。手帳の内容と照合した資料も添えろ。時間がない」
「了解です。朽木先生。薫さんには――」
「私から言う」
電話を切った。
手帳を膝の上に置いた。日時の羅列。鈴音の記憶が冴の手を通じて残した証拠。鈴音はもういない。だがその記憶は冴の中にある。七人分の死と、十七年分の苦痛と、一つの使命。
冴はベッドから足を下ろした。まだ足が震える。だが立てる。




