被験者02の告白――鈴音の十七年
鈴音の声が白い部屋に落ちていく。掠れた声。公園の噴水のような抑揚のない語り口。だがその淡々とした響きが、かえって内容の残酷さを際立たせた。
「冴ちゃんがいなくなった後、三ヶ月くらいは一人で白い部屋にいた。検査は続いていた。毎日、注射。毎日、電極。でも冴ちゃんの手がなくなったら、耐えられなくなった」
鈴音が自分の手首を見た。シルバーのブレスレットの下に、古い傷跡が何本も走っている。
「最初に壊れたのは八歳のとき。死んだ人の記憶を食べすぎて、自分が誰か分からなくなった。三ヶ月間、名前を呼ばれても反応しなかったって。カルテに書いてあった」
冴は黙って聞いていた。膝の上で拳が白くなっている。
「十歳で施設を出た。神崎が引き取った形になっている。書類の上では里親。実際は管理者。マンションを一つ与えられて、そこに閉じ込められた。学校には行けなかった。人と接触すると能力が暴走するから」
「十歳の子どもを一人で」
「一人じゃない。監視員がいた。神崎の部下。週に一度、能力のテストをされた。記憶の読み取り精度、対象物の範囲、持続時間。数字で管理されていた。被験者02。それが私の名前だった」
鈴音が目を閉じた。瞼の下で何かが揺れた。
「十五歳のとき、初めて外に出された。神崎が言った。『鈴音、君にしかできない仕事がある。国を守るための仕事だ』。穏やかな声で。あの人はいつも穏やかだった」
冴の歯が軋んだ。
「最初は遺体の記憶を読む仕事だった。未解決事件の捜査協力。冴ちゃんと同じことをやっていた。でも、違うのは――」
鈴音が言い淀んだ。咳が出た。小さな咳。喉の奥から血の匂い。
「私の能力は冴ちゃんの三倍から五倍強い。遺体だけじゃなくて、生きている人の記憶にも触れられる。書き換えることもできた。神崎にとって、それは捜査の道具じゃなくて――」
「兵器だった」
「うん。十七歳で最初の任務が来た。事件の目撃者の記憶を消すこと。消しただけ。殺してはいない。でも、あの人は自分の記憶が欠落していることに気づいて、おかしくなった。入院した」
冴は目を閉じた。自分の中にある記憶の空白。五歳から七歳までの二年間。あれも鈴音の能力で消されたのか。御堂が、神崎が、そう処理したのか。
「二十歳のとき、初めて人を殺した。神崎の命令で」
鈴音の声が僅かに震えた。淡々とした語り口が、ここで初めて揺らいだ。
「七人じゃないの。七人より前に、三人。名前は知らない。知らされなかった。ファイルも残っていない」
冴の背筋に冷たいものが走った。七人ではない。十人。
「それから五年の空白があった。神崎が私を使わなかった時期。理由は分からない。政権が変わったからかもしれない。その五年間は、マンションで一人で暮らしていた。猫を飼いたかったけど、許されなかった」
鈴音が小さく笑った。
「冴ちゃんの猫、可愛かった。夜っていう名前。私になついてくれた」
冴の喉が詰まった。
「それから七つの事件が始まった。十年前から。鏡花プロジェクトの秘密に近づいた人を、一人ずつ」
「手紙に書いてあった」
「書いたこと以外にも、あるの」
鈴音が冴の手を取った。冷たい指。骨が浮き出ている。
「殺すとき、いつも意識を奪ってからにした。苦しませたくなかった。園部さんは鎮静剤。仲村さんも鎮静スプレー。水野さんは薬を飲ませた。美咲さんだけは……最初だったから、下手だった」
鈴音の目から涙がこぼれた。
「殺した後、全員のお葬式に行った。遠くから見ていただけ。仲村さんの葬式では泣いてしまった。知らない人に声をかけられて、逃げた」
冴は鈴音の手を握り返した。加害者の手。被害者の手。同じ手だった。
「神崎は電話一本で指示を出す。穏やかな声で。『次の対象』と言うだけ。断れなかった。断れば冴ちゃんが危なくなると言われていた」
「私のせいか」
「違う。断る力がなかっただけ。でも、冴ちゃんのことを理由にすると、少しだけ楽になれた。誰かのためだと思えば」
白い部屋の蛍光灯が点滅した。二人の影が壁に揺れた。
◇
鈴音がポケットから小さなUSBメモリを取り出した。黒い小さな箱。
「これが最後の力。神崎との直接通信の記録。暗号化してある。安西さんなら解けると思う」
冴はUSBメモリを受け取った。手のひらの中で、小さく硬い感触がある。この中に、十七年分の犯罪の記録が入っている。
「鈴音。これを渡して、それから」
「それから、冴ちゃんに最後のお願いがある」
鈴音が両手で冴の手を包んだ。冷たい指が冴の指を握っている。
「私の記憶を全部食べて。七人のこと。神崎のこと。二十五年間のこと。全部。通信記録だけじゃ足りない。私の記憶の中には、ファイルに残っていない三人のことも入っている。神崎が口頭だけで指示した任務の記録も。全部、この頭の中にある」
冴の呼吸が止まった。
「その中に、神崎が絶対に逃げられない証拠がある。日時、場所、指示の内容。全部、私が覚えている。私の記憶が、証拠になる」
「鈴音。記憶を全部食べたら、お前は――」
「分からない。でも冴ちゃん。私はもう十分生きた。二十五年も。白い部屋の中で二十五年。もう充分だよ」
鈴音が冴の手を握った。冷たい指が、かすかに震えていた。
「こわいね」
鈴音が囁いた。幼い頃と同じ言葉。同じ震え方。
冴は鈴音の手を握り返した。答えが見つからなかった。ただ、手の冷たさだけが確かだった。




