姉妹の告解
凛のマンションは中野にあった。
1LDKの部屋は凛らしく散らかっていて、テーブルの上にゲラ刷りの原稿が積まれ、キッチンのカウンターに食べかけのチョコレートの箱が置いてある。冴の飼い猫、夜がソファの上で丸くなっていた。
「夜、元気にしてた?」
冴が夜の頭を撫でると、猫は薄目を開けてゴロゴロと喉を鳴らした。
「ちゃんとご飯あげてたよ。カリカリの方が好きみたい」
凛がキッチンに立ち、紅茶を淹れ始めた。手つきが少し震えている。蔵本の研究室で泣いた後、帰り道はほとんど無言だった。
紅茶が二つ、テーブルに置かれた。凛がソファの端に座った。冴は反対側に座った。夜が二人の間で尻尾を揺らしている。
「お姉ちゃん。全部聞かせて」
冴は紅茶のカップを見つめた。湯気が立ちのぼっている。
「何から話せばいい」
「最初から。お姉ちゃんの能力のこと」
冴は息を吐いた。そして、話し始めた。
死者の遺体に触れると、最期の記憶が流れ込んでくること。死の直前三十分間の主観映像。視覚だけでなく聴覚も嗅覚も、死者が感じた感情さえも。食べた記憶は蓄積し、夢やフラッシュバックとして不意に再生されること。
七つの未解決事件。全ての被害者の記憶を食べたこと。そして自分が刺され、七枚の写真が残されたこと。
鏡花計画。五歳のとき被験者にされたこと。記憶を消されて社会に戻されたこと。もう一人の被験者、鈴音のこと。
御堂の告白。神崎の存在。犯人が鈴音であり、神崎に使われた被害者でもあること。
話し終えたとき、冴の紅茶はすっかり冷めていた。
凛は黙って聞いていた。途中で何度か涙を拭いたが、一度も遮らなかった。
「お姉ちゃん」
「ああ」
「ずっと一人で抱えてたんだね。何年も」
「嶋田さんは知っている。薫も最近知った」
「でも家族には言えなかった」
冴は答えなかった。答える必要がなかった。
凛が冴の手を取った。温かい手だった。
「お姉ちゃんは何も悪くない」
冴の視界が滲んだ。
「五歳の子供が選んだんじゃない。選ばされたんだよ。お姉ちゃんの能力は傷痕かもしれない。でもその傷痕で人を助けてきた。それはお姉ちゃん自身が選んだことだよ」
嶋田と同じことを言っている。だが凛の言葉には、血の繋がりが持つ重みがあった。冴は歯を食いしばった。泣くまいとした。だが堪えきれなかった。
涙がこぼれた。
凛が冴を抱きしめた。冴は妹の肩に顔を埋めた。三十二年間で、冴が妹の前で泣いたのは初めてだった。
夜が心配そうに二人の足元に擦り寄ってきた。
◇
翌朝。冴は凛のマンションで目を覚ました。
ソファで眠ったらしい。毛布がかけてあった。キッチンからトーストの匂いがする。凛が朝食を作っている。
「おはよう。目玉焼きとトースト。コーヒーも淹れたよ」
「ありがとう」
二人で朝食を取った。夜がテーブルの下で目玉焼きの匂いを嗅いでいた。
「お姉ちゃん。鈴音さんのこと、助けるんでしょう」
「ああ」
「私にできることがあったら言って。調べ物なら得意だから」
「凛。これ以上は」
「危ないのは分かってる。でも、お姉ちゃんだけが危ない目に遭うのは嫌だよ」
冴は凛を見た。妹の目は真剣だった。もう子供ではない。二十七歳の大人の女性が、覚悟を決めた目で姉を見ている。
「分かった。ただし、何か動くときは必ず私に相談してから」
「約束する」
冴が凛のマンションを出ようとしたとき、携帯が震えた。安西からのメッセージだった。
「緊急連絡。神崎室長が朽木先生の行動記録を要求してきました。過去一ヶ月の入退館ログ、メール送受信記録、証拠保管庫へのアクセス履歴。嶋田さんに報告済みです」
冴はメッセージを読み返した。神崎が動き始めている。冴の再調査を察知し、情報の流れを把握しようとしている。
凛が冴の表情を見て、何かを察した。
「お姉ちゃん。気をつけてね」
「ああ」
ドアを開けて外に出た。朝の空気が冷たい。冴は携帯を握りしめたまま、駅に向かって歩き出した。
神崎の包囲網が、着実に狭まってきている。




