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死者の記憶を食べる検屍官、自分を殺した犯人を追ううちに七つの未解決事件の真相に辿り着く  作者: ぽんぽこライフ


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白い部屋の記憶

 フラッシュバックは、夜明け前に来た。


 冴はベッドの上で目を覚ました。全身が汗で濡れている。シーツが身体に張り付いていた。心臓が壊れそうに打っている。


 白い部屋。白い天井。白い壁。白い床。蛍光灯の音だけが響く部屋。


 フラッシュバックの中の自分は小さかった。五歳か六歳。病院のガウンのような白い服を着て、ベッドに横たわっている。隣にもう一つベッドがあった。カーテンで仕切られていたが、隙間から小さな手が見えた。


「もう少しで終わるからね」


 男の声。穏やかで、優しい声。冴はその声を知っている。御堂孝之。恩師の声だった。だが声はもっと若かった。三十代の御堂の声。


 頭に何かが取り付けられていた。電極のようなもの。冷たい金属の感触が、こめかみと後頭部に貼り付いている。


 痛くはなかった。だが怖かった。


 隣のベッドの手がカーテンの隙間から伸びてきた。小さな手。冴より少し大きい手。冴はその手を握った。温かかった。


「こわいね」


 隣のベッドの声。女の子の声。冴と同じくらいの年齢。


「こわいね」


 冴はその手を握りしめた。


 フラッシュバックが途切れた。


 夜が足元で鳴いていた。冴の異変を察したのか、猫が布団の上に乗り、冴の顔を舐めた。ざらりとした舌の感触が、冴を現実に引き戻した。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 自分に言い聞かせた。だが声が震えていた。


 時計を見た。午前四時二十三分。窓の外はまだ暗い。


 冴はベッドから起き上がり、洗面所に行った。鏡に映る自分の顔は土気色で、目の下にくっきりと隈ができている。水で顔を洗った。冷たい水が肌を打つ。


 白い部屋。御堂の声。電極。隣のベッドの女の子。


 これは夢ではない。冴自身の記憶だ。封じられていた幼少期の記憶が、事件を追う過程で少しずつ蓋を開けている。



  ◇



 朝食も取らずに、冴は自宅のクローゼットの奥に手を入れた。母親の遺品箱。五年前に母が亡くなったとき、凛と二人で整理したものだ。母の名前は朽木雪乃。小学校の教師だった。


 箱の中身は写真アルバム、通帳、保険証書、そして書類の束。冴は書類を一枚一枚めくった。これまで読む気になれなかった母の記録。今は読まなければならない。


 母の手帳。日記のようなメモが断続的に書かれている。冴の幼少期の記録。


「冴、四歳。言葉の発達が早い。先生から特別クラスの推薦があった」


「冴、五歳。特別な検査を受けることになった。御堂先生が推薦してくださった。冴の才能を伸ばせるかもしれない」


 冴の指が止まった。五歳。特別な検査。御堂先生の推薦。


 ページをめくる。


「冴、五歳三ヶ月。検査は月に二回。御堂先生がとても丁寧に説明してくださる。冴は嫌がらない。お友達ができたらしい。鈴音ちゃんという女の子」


 鈴音。


「冴、六歳。最近、冴が夜泣きをする。検査のことを聞いても答えない。御堂先生に相談したら『一時的なものです』と」


「冴、六歳八ヶ月。検査が急に終了になった。御堂先生から電話。『プロジェクトが中止になりました。冴くんにはしばらく休養が必要です』。冴は何も覚えていないと言う。鈴音ちゃんのことも」


 冴は手帳を閉じた。手が震えていた。


 鈴音。隣のベッドの女の子。「こわいね」と言った声。冴は六歳八ヶ月で全てを忘れさせられた。記憶処理。嶋田が見つけた封印文書にあった言葉だ。


 箱の底を探った。書類の束の下に、もう一つの封筒があった。茶色の封筒。表書きはない。中を開けると、一枚の用紙。


「残留記憶感応性試験への参加同意書」


 正式な文書だった。研究機関のレターヘッド。東栄リサーチセンター附属神経科学研究室。研究責任者の欄に「御堂孝之」の活字。


 保護者欄に、母の筆跡の署名があった。「朽木雪乃」。日付は冴が五歳のとき。


 冴はその署名を指で撫でた。母の筆跡。少し右に傾いた丸い字。母はこの同意書にサインした。娘の才能を伸ばせるかもしれないと信じて。御堂先生が推薦してくださったと信じて。


 冴の能力は天賦のものではなかった。実験の結果だった。


 幼い冴の脳に、何かが為された。残留記憶感応性。死者の記憶を食べる能力。それは科学の実験によって植え付けられた。


 冴は同意書を握りしめた。紙がくしゃりと音を立てた。


 スマートフォンが鳴った。凛からだった。


「お姉ちゃん、今日の夜ごはん一緒に食べない? 最近全然会えてないから」


「……ああ。いいよ」


「大丈夫? 声変だよ」


「寝起きだ」


「もう八時なのに? お姉ちゃんって五時に起きる人でしょ」


 凛は笑った。冴は笑えなかった。


 電話を切った後、冴は同意書をファイルに入れた。御堂に会わなければならない。この同意書を持って。


 白い部屋の記憶が、冴の内側で渦を巻いていた。あの部屋で何をされたのか。御堂は何を知っているのか。そして、隣のベッドの鈴音は、今どこにいるのか。


 冴は支度を始めた。御堂の自宅に向かう。答えを求めて。

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